119 選択


朝方、リリーの隣のベッドで目を覚まさずにいたマクゴナガルが聖マンゴ病院へと搬送された。


「命があることが不思議なくらいなのです。この際隅々まで調べていただいて、ミネルバには一層元気になっていただかなくては!」

「そうですね、マダム」

「リリー、まさかあなた自分を責めているのではないでしょうね?悪いのは魔法省のポンコツ役人のせいなのですよ!」


リリーは空になった隣のベッドを眺めた。

教授も、マダムも、慰めてくれる。しかし彼らの言葉を素直に受け止める自分がいながらも、隣で眠り続けるマクゴナガル教授を見る度に責める自分がいた。どうしようもない不安の波に襲われ、夜中に何度も彼女の呼吸を確認したりもした。


「睡眠を薬に頼るのは悪いことではありません。持ってきますから、もう一度寝なさい」


長年病人を見続けてきたマダムの目がピカリと光る。寝不足なのはお見通しだった。


「いえ、マダム。眠れそうですので、このまま」


マクゴナガル教授は聖マンゴ病院へと移された。私という危険分子から離され、あとは《本》の予言通りになる。これほど安心できることはない。

優しく布団をかけ直してくれるマダムに微笑んで、リリーは再び目を閉じた。






ぐうーっとお腹の切なげな蠕動で目が覚めた。なんとも恥ずかしい目覚まし音である。サイドテーブルの腕時計を引き寄せれば、時刻は正午丁度。大広間に行ったところでまだ何もないはずだ。

半日以上をベッドで過ごしてしまったせいで身体はバキバキと悲鳴を上げているが、頭はこれ以上ないほどにスッキリとしていた。同時に、ドクドクと防ぎようのない不安が再び押し寄せる。


「大丈夫、やれる」


そう自分自身に言い聞かせた。






ハリーは魔法史の試験を放り投げて玄関ホールを飛び出し、大理石の大階段を駆け上がっていた。


シリウスがヴォルデモートに捕らわれている!

早く騎士団の人間に知らせなければ!


人気のない廊下を、階段を、全力で疾走し、医務室の扉を見つけると押し入るように飛び込んだ。


「あの、マクゴナガル先生は?緊急なんです!」

「ポッター?先生なら今朝聖マンゴ病院へ移されました。彼女は本当に強い人です。あのお歳で失神呪文を――」


ハリーはマダム・ポンフリーの話を殆んど聞いていなかった。胸中を絶望が渦巻きそれどころではない。

ダンブルドアも、ハグリッドも、マクゴナガル先生までいなくなってしまった。もう、頼れる人間はここにはいない。自分で何とかしなければ。


――いや、待てよ


騎士団ではないがもう一人、話を聞いてくれそうな人がいる。その人は騎士団員ではないものの、シリウスもルーピンも彼女が騎士団に入らないのが不思議でならないと溢しているのを聞いたことがあった。それに以前似た夢を見たとき、彼女はハリーを信じ、ハリーの意を汲んで真っ先にダンブルドアへウィーズリーおじさんの安否を確認させていたではないか!


彼女なら!


「じゃあ、エバンズ先生はどこですか!?」

「退院はしましたが今日1日は休むようにと――」

「ありがとうございます!」


マダム・ポンフリーの言葉を遮ってハリーは再び駆け出した。廊下を、階段を、同じように駆け下りる。玄関ホールへ続く大階段へ差し掛かったとき、ハリーはそこに二人の親友の姿を見つけた。


「ハリー、どうしたの?何があったの?」

「ハーマイオニー、話はあとで!エバンズ先生を探してるんだ。他に頼れる人がいない。手分けして早く!」

「わ、分かったわ。私、先生の部屋知ってる!」

「僕は職員室へ、ロンは――」

「あー、じゃあハグリッドの小屋。……いないとは限らないだろ?」


しかし唯一思い至った頼みの綱も、懸命な捜索を嘲笑うかのように見つかることはなかった。






マダムに退院の許可を得て、リリーは昼食を私室で摂った。正確には私室の階下、地下牢のような隠し部屋。

大きな作業机の中央にポツンと置かれた大鍋へ、事前にロングボトムから拝借しておいた髪を入れる。ドロリと邪悪な色をしていた煎じ薬が、赤み架かった金色の半透明な液体へと変わった。


「煮込みすぎたキャベツのような味、か」


色と味に関連があるのなら、これはまだマシかもしれない。だが今はまだ飲むのは早い。リリーはスキットルへと2時間分のポリジュース薬を流し込み、蓋をする。そして大切にローブへと仕舞い込んだ。


気を抜くと視線はある一点ばかりを指し示す。平凡な棚のその奥に、布で何重にも包まれた両面鏡があった。

しかしここ2週間はシリウスと話をしていない。話せば、冷静になれない気がした。シリウスに不審がられてしまうよりは、呼び掛けにも無視をして「むっつり病」を再発させてしまった方が良い。すべてが終わってから謝れば済むことだ。


金庫から厳重に保管された《本》を取り出して読み耽る。もう何度も繰り返し読んではいたが、予言を目で追っていないと落ち着かなかった。


リリーがシリウスの受ける閃光を紙面でなぞっていると、不意にノック音が響いた。私室の扉が叩かれれば階下にいても聞こえる呪文がかけてある。トトトンと間を開けず繰り返されるノックが緊急であると告げていた。

一体何事かとリリーは螺旋階段を駆け上がり、出入り口の隠し蓋を押し上げる。離れた扉のその向こうから焦る声が聞こえてきた。


「エバンズ先生、いらっしゃいますか?ハーマイオニー・グレンジャーです。あの、ハリーが先生のこと探してて……。先生?緊急なんです、先生、いらっしゃいますか?」


ポッターが、私を?


ハッと、彼が自分を探す理由に思い当たり、リリーはゆっくりと螺旋階段を逆戻りした。


今、彼に会ってはいけない


マクゴナガル教授に求めたことを、彼は今私に求めている。ここで出ていけばきっとこの件だけはハッピーエンドだ。3メートル先の棚にはシリウスの無事を示せる鏡もある。生徒たちを、騎士団を、今日は危険に晒さずに済む。

それでも、


例のあの人は予言の奪取を諦めるだろうか?

例のあの人の復活を信じないままで魔法界はどうなるのだろうか?


「フィニート(呪文よ終われ)」


上階と連動させていた音を解除した。膝を抱え、未だ頭で鳴り響くノック音から逃れたい一心で耳を塞いだ。限界まで身を縮こまらせ、自分は何も聞いていない、ここにはいないのだと、早く諦めてほしいと願い続けた。







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