118 追放


刻一刻と試験が近づく。

大わらわな生徒たちに交ざって、リリーも忙しい日々を過ごしていた。多くは生徒らによる勉強会の手伝いだったが、クィディッチ最終戦の日だけは違った。

その日は穏やかな晴れの日だった。校庭の雑草はさざ波のように揺れ、綿菓子様の柔らかな雲が大海原を漂う。競技場の熱気がグワングワンとドラゴンの咆哮よりも大きく夏間近の空気を揺らしていた。

私はハグリッドを説き伏せて、観戦中のポッターとグレンジャーをグロウプの元へと誘った。

私自身、グロウプと会うのは久しぶりだった。フィレンツェが群れを抜けケンタウルスが荒れるようになってから、ハグリッドは私を森に誘わなくなったし、私も行きたいとは言わなかった。

グロウプへ辿り着くまでがもう重労働で、紹介したときにはポッターらに恨めしげな視線を浴びせられた。「何故自分たちがこんな目に?」と言いたげな二人に、私は頼りなく微笑み返すしか出来なかった。

《本》にそう書いてあるから、など言えるわけがない。それに私は彼らがグロウプと面識を持っておくべきだと判断した。




「リリーの言った通り、ケンタウルスはあの子達なら襲わんかもしれん」

「一番はハグリッドがここを離れずに済むことだよ」

「分かっちょる。だが時間の問題に違いねぇ。俺を追い出したくてウズウズしとる」


遠くから赤と金の楽しげな歌声が風に運ばれてきた。大逆転を勝ち取った彼らは個々の実力を遺憾なく発揮して、空までもが茜に祝いの色を重ねている。暗雲は校庭の片隅にある小屋にだけ立ち込めていた。






その日はすぐに来た。OWL試験二週目の水曜日のことだった。

夕食後の時間をリリーは職員室で過ごしていた。半時間毎に時計を確認しては知らず知らずため息をつく。

その様子をスネイプは少し離れた自身の机から窺っていた。試験期間中は生徒だけに留まらず教員にも負担が大きい。しかしOWL試験は魔法省も噛むため気疲れはするが他の学年ほどではない。試験の監督もなければ採点もないのだ。だからこそ、今日の彼女の様子がスネイプには際立っていた。

時間を確認した何度目かで、リリーは席を立った。机上を整理し、何も持たずに扉へと向かう。スネイプはそれを目線だけで追った。

リリーが玄関ホールへ入ったのとマクゴナガルが大理石の大階段を駆け下りてきたのは同時だった。


「マクゴナガル教授、一体?」

「ドローレスです!今しがた闇祓いを引き連れハグリッドの小屋へと乗り込んでいきました!」


部屋から赤い閃光も見たのだと続けるマクゴナガルは、足を止めることなく大きな樫の扉を開ける。リリーは懐が熱を帯びたような気がした。


「何てことを!」


校庭をハグリッドの小屋へ向かって走りながら、マクゴナガルが悲愴さに声を震わせ叫んだ。彼女の視線の先には小屋を襲う数人の影。


「お止めなさい!何故なのです、一体彼が何をしたと言うのです!」


ずんずんと渦中へ突き進みマクゴナガルが尚も声を荒げる。しかし誰一人として耳を貸す様子はない。まるで自分達には関係のない憤りだと言わんばかりに閃光を迸らせた。

リリーがローブの中へと手を入れる。

しかしその手が引き出されることはなかった。半歩後ろに付いてきていたリリーへ何一つ注意を向けなかったマクゴナガルが、ガッチリとその腕を掴んでいた。


「教授っ――」


「何故」と問う前に、前方で四つの赤い閃光が輝いた。と同時に、掴まれていた腕を引き寄せられる。視界が夜より暗い黒に覆われた。

ガクンと大きく、自分を覆っていたものが波打った。

そしてゆっくりと、剥がれ落ちて行く。


「マクゴナガル教授!何てこと――」


崩れゆく彼女の身体を支えようと手を伸ばす。

しかしその手が届くことはなく、リリーの視界を赤が覆った。






リリーが出て行ってから少し経ち、一人の生徒がノックもせずに職員室へ駆け込んだ。


「アンブリッジが!ハグリッドを襲って、マクゴナガル先生とエバンズ先生が!」


息も絶え絶えに語る生徒を押し退けて、スネイプが我先にと部屋を飛び出す。スプラウトやフリットウィックがそれに続いた。そわそわと玄関ホールに集まりかけていた生徒をベクトルが談話室へと押し戻す。


スネイプは杖明かりを灯し惨状を目の当たりにした。何もない校庭の真ん中でエバンズとマクゴナガルが寄り添うように倒れている。離れた場所には小屋からの明かりで魔法省の人間が三人延びているのが確認できた。

そこにハグリッドもアンブリッジの姿もない。森から聞こえる逃げ惑う鳥の羽ばたきが、争い続ける彼らの存在を指し示していた。

スネイプはリリーのすぐ側に跪くと、彼女の脈や顔色を素早く確認していく。そして最後にリリーの瞼を撫でるようにそっと開かせた。自分の推測に確信を持つと彼は杖を構え直す。


「エネルベート(活きよ)」


隣でフリットウィックが同じようにマクゴナガルへ蘇生呪文を唱えていた。

ピクリとリリーの瞼が震える。ぼんやりと寝起きの微睡みのように瞳が揺らめき、スネイプを映した。

ハッと息を呑んでリリーが身体を起こす。グラリとふらついた背をスネイプが支えると、その腕をひしと掴み堰を切ったように彼女が縋る。


「マクゴナガル教授は!?ハグリッドはどうなりましたか!?」


スネイプがチラリとフリットウィックを見て、マクゴナガルを見た。彼女はフリットウィックによる蘇生にも反応を見せずぐったりと横たわったままだった。


「ミネルバは回復までまだ時間がかかりそうだよ。でもきっと、大丈夫」


リリーの焦りを聞いていたフリットウィックが優しく励ますように言った。


「ハグリッドは恐らく森へ逃げた。アンブリッジが追って行ったようだが、彼ほど森を知り尽くしている者はいない」


スネイプがそう加えると、リリーは僅かに力を抜いた。だが彼の腕を掴むその手は未だ震えている。

マクゴナガルと魔法省の人間三人を担架に乗せ、駆けつけていた教職員が城へと引き返す。フリットウィックが膝をついたままのスネイプの背を「あとは任せた」と言わんばかりに叩いて行った。


「私、戦おうとしたんです。でも、マクゴナガル教授が杖を抜かせてくれなかった!そして、私を庇って……!」


リリーはスネイプを引き止めていない方の手でぎゅっとローブの上から杖を握りしめた。

マクゴナガル教授を守るはずだった。ご高齢の身体に鞭を打たずにすむように、松葉杖など必要なくなるように、私が守るはずだった。命の危険さえあったのに。


でも守られたのは、私

それが悔しくて、情けなくて、苦しい


「ダンブルドアが去った日のことを聞いたか?」


意図の見えない問いかけにも、リリーはコクリと頷く。


「ダンブルドアが彼女を守ったように、彼女もまた、君を守った。今、魔法省に盾突くのは賢いとは言えない。彼女は自分の信念に従っただけだ。君が気に病むことではない」


リリーはもう一度、コクリと頷いた。唇を噛み締め、涙を堪えながら、胸に広がる痛みを耐えた。

そうだ。私は今ここを追い出されるわけにはいかない。明日を何としてでも乗りきらなければならない。

マクゴナガル教授は大丈夫、ハグリッドも絶対大丈夫。言い聞かせるように、何度も心でそう繰り返した。


「立てるか?」


大丈夫だと言うリリーにスネイプが手を貸し引き立たせる。何とか踏ん張ってはいるものの、闇祓いの容赦ない一撃に、彼女の足取りは頼りないものとなっていた。


「暴れるな」


それだけ言うと、リリーが理解し終えないうちにスネイプは腰を屈めた。背と膝裏に腕を添えられ、ふわりと彼女の足が地面から離れていく。


「ちょ、スネイプ教授!」

「扉を開けろ。生憎私は両手が塞がっている」


それは私を抱えているからで、下ろしてくれれば良いのにと、暴れるどころか固まった身体であたふたと熱い顔に手を当てる。しかし急かすような視線をじとりと感じ、奮えずに悔やんだばかりの杖を振る。


「あの、下ろしていただけませんか……重いですよね?」


赤いに違いない顔を両手で覆っていると、馬鹿にした笑いで鼻を鳴らされた。


「大の大人が軽いはずはなかろう」


無人の玄関ホールに入ると教授は私をようやく下ろしてくれた。そして担架を出して、医務室まで運んでくれる。道中のほくそ笑んだ彼の顔に、私はからかわれたことを悟った。

でも私の中に燻っていた憂いはいつの間にか吹っ飛んでいて、あれは彼なりの励ましだったのではないかと思うと、医務室のベッドに寝転んだあともなかなか熱が収まらなかった。

隣で眠り続けるマクゴナガル教授を見るまでは。







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