113 校長


暖かな日差しの続く季節がやって来た。風は強いが刺すような冷たさはなく、空気もカラリと澄んでいる。温室や森の草木も背伸びをし、ぐんぐんとその恩恵を蓄えていた。

しかし夜はまだまだ冷える。リリーはマントを羽織り、カゴを片手に夜の校庭を歩いていた。


『今後一人で森へ行くな。薬草も摘む必要はない』

『分かりました』


スネイプ教授にはそう答えたが、右手のカゴには既に満月草が必要分摘まれている。

これで材料はすべて揃った。

ニワヤナギ、クサカゲロウ、ヒル、二角獣の角、毒ツル蛇の皮、そしてこの満月草。ポリジュース薬の材料だ。シリウスを救う計画にはこれが必要になる。


不意打ちでも何でもポッターを失神させられれば、例のあの人の罠に嵌まらずに済むだろう。しかし例のあの人がポッター目当てに乗り込んで来なければ、魔法省は例のあの人の復活を認めない。それは魔法界全体にとって大きな損失となる。

だから戦うべきだ。

私は守るべき生徒たちを死地へと送り込む。

そして、私もそこへ行く。

それは皆をより危険に晒す可能性を示す。五分五分、いやそれ以上の確率だ。必ず悪化すると思うべきだろう。


私はそれらを打ち消し、尚且つ予言された死を防ぐ


悪化の先で何が起こるかは分からない。肝心の例のあの人が現れないかもしれないし、死喰い人を逃してしまうかもしれない。生きる上で未来が不透明であるのは当たり前なはずなのに、今はそれがとてつもなく怖い。


それでも、私の取る選択肢は変わらない


カゴを手に下りた自室の階下は独特の匂いが充満していた。窓を開けてそれを逃がしながら、匂いの元を覗き込む。火にかけられた大鍋は順調に煮詰められていた。

行くとは決めたが、死喰い人らに姿を見られるのは避けたい。ここまで何とかやって来た。《本》がイレギュラーな存在なら、このまま下手を打たない限りきっと秘匿し通せる。何かバレてしまったならスネイプ教授から情報が伝わるはずだ。

それがないなら、大丈夫。

騎士団でも生徒でもない存在を印象付けたくないならば、姿を消すか変えるしかない。

私はポリジュース薬でネビル・ロングボトムへと成り代わるつもりでいる。《本》の中で最後までポッターと共に戦闘の渦中にいるのは彼だけだ。私はロングボトムとして死の間での戦いに参加し、シリウスを守る。

彼だけじゃない。


誰も欠けさせやしない






イースター休暇を間近に控えたある晩。リリーは早めのシャワーを済ませ寝室へと移動した。

開けたままのカーテンは月光を誘い、部屋へ妖艶な光の柱を立てる。ぼんやりと浮かび上がるサイドテーブルの瓶には、未だ手を付けていない安らぎの水薬が入っていた。ラベルの文字は印字のように整った愛しい筆跡。安らぎの水薬を度々飲んではいたものの、私はスネイプ教授から貰ったこの分だけは飲めずにいた。

この瓶は、そこにあるだけで効果をもたらす。

朝目覚めたとき、夜眠る前、落ち込んだとき、思いが溢れそうになったとき、私はこれを見つめて心を落ち着けた。どうしようもなくなったときは、自分で煎じた分を飲む。

最近の、いやもっと前から、スネイプ教授は私にとても良くしてくれるようになった。仕事には厳しいし嫌みも健在ではあるが、何かと気遣ってくれているのが分かる。そこに彼の意思があろうとなかろうと、その配慮だけはどうしても私の心に深く入り込んでしまう。


勘違いしてしまいそう


肺を空っぽにするほどの大きな息を吐いてクローゼットへ手を伸ばす。ちょうどそのとき、壁一枚隔てた隣の私室から歌うような鳴き声が聴こえた。猫とも梟とも違うそれは柔らかに響き、導かれるように隣室への扉を開けた。


「ダンブルドア校長!」

「お邪魔しておるよ。廊下で待つわけにはいかなんだのでな」


弱く灯された暖炉がパチパチとダンブルドアを歓迎していた。飛び回るには狭い室内で、その大きな翼を広げたフォークスが主人の肩からリリー目掛けて羽ばたいた。彼女はそれを曲げた腕で迎え入れる。


「フォークスは君が来るときをいつもわしに知らせてくれるのじゃ」


今回はフォークスに呼ばれたようなものだったが、リリーは淡く微笑んで優秀なその背を撫でる。シルクのように滑らかで見る者の心を温める深紅の体。長く垂れ下がった金色の尾羽に気を付けながら、彼女もまた、ソファに座った。


「一体、どうされたのです?」

「わしは校長職を追われる身となったのでな。ちょっとした挨拶じゃ」


ハッとリリーの息を呑む音が静かに洩れた。ダンブルドアがホグワーツを離れるということは、ポッターたちのダンブルドア軍団が見つかったということ。そしてアンブリッジによる圧政がより強力になると言うことだった。

リリーはすべて、《知っている》。


「そう、ですか……」


フォークスが身をくねらせリリーへと温かな体を寄せた。


「知っておったようで何よりじゃ。ならばわしも心置きなくみんなにここを任せられよう」


ダンブルドアは終始にこやかな笑みを浮かべているが、リリーはとてもそうはいかなかった。

自分はこうなることを《知っていた》。《知っていた》のに、何もしなかった。足掻いた結果、変化が起こせないのと、始めから行動しないのとでは天と地ほどの差がある。

私は《本》に抗うと決めながら、自分勝手にその取捨選択をしている。


「リリー、きみが暗い顔をする必要はない。わしがこの時間を無駄にするつもりはないと、きみは分かっておるのじゃろう?」

「私が知っているのは、ポッターが見聞きするものだけです。その上で、推測はできますが……」


例えば、分霊箱について調べるであろうこと。それ故、騎士団の本部に常駐する気はないということ。

ダンブルドアはブルーの瞳に言い知れない色を潜ませて、大きく二度頷いた。


「しばらくきみと話すことも出来なくなる。その前に、何か助けになれることはないかと聞きに来たのじゃ」


リリーは少し間を開けた。ダンブルドアにあまり時間がないのは分かっていたが、ここでの返答が未来に直結しかねないと思うと気軽に言葉が出なかった。


シリウスを救いたい


そう打ち明けてしまいたかった。偉大すぎるこの姿を前にする度、何度もそう思った。何度も考えて、何度も諦めた。


怖いのだ


予言を知る者が増えた先の未来が。私一人でこんなにも引っ掻き回してしまっているのに、それが二人になったとき、どうなってしまうのか。

杞憂かもしれない。

だがそんな僅かな希望のために大博打は打てない。ダンブルドア校長は変わり行くイギリス魔法界の中心にいる。そんな欠かせない彼が私のように成り果ててしまったら。

私がまだ《本》の予言に従順だった頃、私は何度も彼に《本》を読んでほしいと願った。けれども今、私は彼が《本》を読まなかったことを何よりも感謝している。彼の判断は正しかった。

ダンブルドア校長はポッターに予言を、彼の運命を、早々に告げなかったことを後悔していると《本》で言っていた。


ならば私は?

この先のすべて、

言った後悔と、言わない後悔、

どちらを取る?


「ならば一つだけ。OWL試験の最終日、必ず本部を訪ねてください」

「承知した。ここは君に任せたぞ」


私だけが問題を防ぐことができる

私だけが強くあらねばならない







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