112 ケンタウルス


トレローニー教授の進退がいよいよ怪しくなってきたある日、ハグリッドからダンブルドア校長が森を訪れたと言う話を聞いた。


その数日後だった。

リリーとハグリッドはグロウプに会うため禁じられた森を歩いていた。彼の腕はすっかり癒え、リリーは必要ないように思われた。しかしハグリッドは『そろそろ俺以外のやつにも慣れさせる練習をせにゃならん』とリリーを誘った。彼女は『もちろん喜んで』と快諾し、二人で会いに行くのはもう片手ほどの回数になる。


「シッ……森の様子がおかしい」


ハグリッドが足を止めて石弓の感触を確かめる。リリーもすぐさま杖を取り出した。

彼の言う通り森の様子はおかしかった。グロウプの影響で彼の根城へ向かうにつれて普段は動物がいなくなる。鳥も、リスも、鹿も、すべてがそっくり姿を隠し、静まり返るのだ。

しかし今日はどうだ。頭上の木々を縫うように鳥が羽ばたき、70メートルほど先のニワヤナギがガサガサと揺れている。


「動物が何かから逃げちょる」


言葉にすることでハグリッドが確信を強め、ジワリ、ジワリ、と今しがた鳥が飛び出してきた方向へと歩き出す。リリーも黙ってその背を追った。




「フィレンツェ!!」


10分ほど歩いたところで、ハグリッドが叫んだ。背の高い彼には茂みの向こうが見えた。リリーには茂みから飛び出た見知らぬケンタウルスの上半身しか見えなかったが、彼の焦燥に任せた叫びに、瞬時に状況を理解した。

矢も盾もたまらず駆け出すハグリッドを確認して、リリーが守護霊の呪文を唱える。杖先から銀色のセストラルが飛び出て一直線に城へと向かった。ダンブルドアへ現状を伝えるために。


「ダンブルドアへ報せを出したよ」


リリーがハグリッドに並び立つ。次々と降り注ぐ蹄になす術もなく耐えていたフィレンツェは、二人に庇われようやくその身体を起こした。


「ヒト族は我々群れの問題に口を出すべきではない」


口を開いたのはフィレンツェだった。左後ろ足をひょこひょこと不自然に浮かせ、美しいパロミノの毛並みは今や血と泥で見る影もない。それでも彼は毅然とした態度を二人へ向ける。

それらを囲むケンタウルスはギリギリと弓を引き、今にも射殺さんとしていた。


「ならあなたは私たちの正義感と良心に口を出すべきではないよ」


人間に庇われたことで彼のプライドや立場が一層悪化しようとも、リリーにここを退く選択肢はなかった。それはハグリッドも同じようで、石弓をキリキリと引き、多勢に無勢の中で対抗しようとしている。


「止めよ。双方止めるのじゃ!」


腹の底へズシンと威厳が響く。リリーがその姿を探すと、然程離れていない場所に煌めく薄紫を纏ったダンブルドアがいた。彼はズイッと集まった群れを見回してからリーダー格のケンタウルスを見つける。相手に手のひらを見せ両手を広げて、旧友へのハグをする直前のような朗らかさで多数の弓の前へ進み出た。




ダンブルドアの仲裁は成功したとは言い難い。しかし四人無事に森を抜け出ることが出来た。

フィレンツェの怪我は見るからに酷い。「我々には我々のやり方がある」と治療を拒む彼に、せめて添え木だけでもとリリーは彼の左後ろ足へと包帯を巻き付けた。そして自身の破れたローブにも杖を振る。

呪文の代わりに渡した濡れタオルでフィレンツェは身体の汚れを軽く落とした。瞬く間に甦る美しいパロミノに、リリーはつい魅入ってしまった。フィレンツェがスルリと尻尾の汚れを払い落としながら彼女を見据える。


「私はヒト族の鑑賞用動物ではない」

「あ……ごめんなさい」




着いた玄関ホールでは、アンブリッジとトレローニーの悲惨なやり取りが繰り広げられていた。トレローニーを良く思う生徒は多くはないはずだったが、今やみんなが彼女の味方。それほどまでにアンブリッジは醜く卑しい笑みを浮かべていた。

今日だったのかと驚きながら、リリーはダンブルドアのあとでそろりと入る。なるべく影に潜むよう彼から距離を置き壁際を陣取った。

ふと視線を感じて左右を確かめる。みんながホールの中央へ意識を投げる中、大理石の上り階段へ向かって左にある地下牢へ繋がる階段のそばで、一対の漆黒だけがリリーを捉えていた。

目が合ったのは気のせいだと思うほど、一瞬で逸らされた。釣られて同じ方向へ向ければ、夜霧に送り出されるようにフィレンツェが蹄を鳴り渡す。

グッと手首を掴まれた。

リリーは声が飛び出すのをギリギリで耐え、何事かと首を反対方向へ捻る。そこには距離があったはずのスネイプがいた。彼は一言も発っさずグイと彼女を引く。

ダンブルドアのにこやかな声が響く中、二人は地下へと消えた。




「スネイプ教授?どうされたんですか?」


口火を切ったのはリリーだった。当然だ。一先ずついてきたは良いが何が何だかさっぱり分からない。


「座れ」


ソファ近くで腕を離され、リリーは座りながらもスネイプの動きを追う。彼は研究室へ消えすぐに戻ってきた。手には褐色の瓶を持っている。


「ダンブルドアと森へ行っていたのか?」

「……はい」


厳密には違うがリリーは頷いた。スネイプは瓶を開け中身を少量取り出しながら彼女の隣へと座る。あまりにも自然な流れに受け入れかけたが、自分へと伸びる彼の手にリリーは身体を強ばらせた。

ふわりとハナハッカが香る。


「あのパロミノのケンタウルスも怪我をしていたな。大方君もその場に居たのだろう?」


グッと顎を彼の手で固定され、軟膏のついた長い指が頬をなぞる。ピリと痛みが走り、初めて怪我をしていたことに気がついた。一つ、二つ、頬に、手の甲に、赤い線の数だけ彼を感じる。

リリーは「はい」と答えるのが精一杯で、バクバクと主張する心臓がばれないようにと願った。


「他に痛みはないな?」

「はい、ありがとうございます」


リリーは何故、と問いたい気持ちを押し止めた。スネイプは手を離すと向かいのソファへ移る。


「今後一人で森へ行くな。薬草も摘む必要はない」

「ケンタウルスのせいですか?」

「そうだ。やつらは魔法省のせいで気が立っている。余計な刺激はするな」

「分かりました」


従順に返事をしたというのにスネイプ教授は疑わしいと目を細め、正面から威圧的な視線を寄越す。逆らう理由など何もない、という表情を作ってはみたが、それが彼に通じたかどうか。

二人の奇妙な無言のやり取りは一続きの隣室に気乗りしないノック音が響くまで続いた。







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