111 信じる


近頃は雪の降る日もめっきり減り、積雪の減少が目に見える。地下牢のような自室の階下でリリーは大鍋を巧みに操っていた。ゴボゴボと大きな気泡の弾ける様を見つめながら、右へ左へとかき混ぜる。明かり取りにもならない部屋唯一の小さな窓の外では久々の青空が雲の隙間から顔を覗かせていた。まだまだ冷たい風が多いものの今日は穏やかだ。リリーは手を伸ばしてやっと届く高さのその窓を開け、薬品の匂い渦巻く空間に新鮮な空気を取り込んでいた。


「ポッターから連絡は来た?」


リリーは部屋に一人きりだった。しかし彼女の言葉は独り言ではなく、返ってくる声がある。


「ない。今度同じことを聞いたらバックビークでそっちへ行ってやる」

「二度と聞かない」


途端に不機嫌さを増した声をさらりとかわして、リリーは手元の大鍋を火から下ろす。声は鏡から響いていた。クリスマス休暇を終えて以降、リリーとシリウスは度々鏡を通して交流している。ストレスだらけの彼は毎日でも話したがったが、リリーはホグワーツで働く身。そうそう時間は取れなかった。

リリーは山嵐の針を量りながら新たな話題の引き出しを開ける。


「心の強さって、どうすれば鍛えられると思う?」

「何だ、決闘の次は心か?そんなもの、簡単にどうこう出来るものでもないだろ」

「やっぱりシリウスもそう思う?」


量り終えたものをすべて大鍋へ移し、リリーは内心ため息をついた。


「おい、白く変わったぞ」

「ありがとう」


シリウスのストレス発散とリリーの手伝いを兼ねたこのやり取りは纏まった時間が取れる度に開かれていた。

彼女は鏡の前に置いていた鍋を覗き込み、予め刻んでおいた薬草を放り込む。シリウスのお陰で調合はとても捗った。同時進行も難なくこなせている。


「だからか」

「何?」


もうもうと立ち上る湯気と煮立つ音に邪魔された。リリーは再度聞き取ろうと鏡を手に取りシリウスと向かい合う。


「さっき私が見ていた煎じ薬が何かは知らないが、今リリーが面倒をみてる鍋は安らぎの水薬だろ」


グッと鏡を持つ手に力が入る。

リリーは鏡を手に持ってしまったことを後悔した。油断して、不味いことに勘付かれたと顔に出してしまった。鏡に映ったシリウスはじとりと目を細めて、嘘は見破るぞと決意に満ちた表情だった。


「医務室用だよ。手伝っているのは話したでしょ?」

「君が個人的に頑張る部屋で、君が個人的に用意した材料を使ってか?」

「それは……」


「やっぱりな」と呆れ混じりの声がして、リリーはハッと気づいた。部屋を自分が頑張るための場所だと言ったのは確かだが、材料の出所まではシリウスに確信はないはずだった。鎌を掛けられたのだ。


「まだ話せないのか?君が何故脱獄直後の私を信じ、君が何と戦っているのか」

「ごめんなさい」

「言えないのは私だからか?こんな、一人屋敷でのうのうと過ごしている厄介者だから」

「それは違う!」


自分でも驚くくらい大きな声が出た。張り上げるつもりはなかったのだが、シリウスの言葉にカッとしてしまった。彼は不意打ちを食らったように目を丸くさせ、鏡の奥からは騒ぐバックビークの鳴き声も聞こえいる。


「ごめん……」


リリーが謝って、決まりの悪さに鏡を置いた。お互いが見えない角度に立て掛ける。


「いや、私も……らしくない馬鹿なことを言った」

「すべてを知っているのはダンブルドア校長だけだよ。私を信じなくてもいい。でも、校長のご判断を信じてほしい」

「断る」

「え……」

「君は前にも『自分を信じられなくても良い』と言っていたな。だが私は君が私にしてくれたことを覚えているし、リーマスにしたことも聞いた。もちろんダンブルドアの言葉もあるが、私が信じるのは、君自身だ」

「――っ!」


嬉しかった


シリウスだけじゃない。リーマスも、スネイプ教授も、私を信じると言葉にしてくれた。何も語れないこの私を。同じくらい言えない苦しさと、偽っている罪悪感に苛まれる。それでも、熱く溶ける胸の痼を知らない振りはできなかった。


「おい、リリーいるか?私は大鍋に語りかけている訳じゃないぞ」


反応を返さないリリーに痺れを切らしたシリウスが何度も彼女の名を呼んだ。段々焦った声に変わるを聞いて、とうとう我慢できずにリリーが笑う。


「趣味が悪いんじゃないか?折角良いことを言ったのに」

「シリウス、ありがとう」

「……おう」


たとえこれらが母に貰った《呪い》に引き寄せられた信頼だとしても、今はみんなの温もりに浸っていたい。それが何より、私の心を安らかにしてくれる。






3月になって、リリーは初めて『ザ・クィブラー』を購入した。大広間でそれを受け取り、表紙でぎこちなく笑うポッターに笑みをこぼす。スプラウトが去り空席となったその向こうから、スネイプが怪訝に声をかけた。


「君はそんなものを読むのか」


リリーはパラパラと流し読みしていた手を止めて、ひょいと一つ席を移動する。チラリと生徒テーブルを窺えば、アンブリッジがポッターらの元へ闊歩していくところだった。

隣へ来たリリーが表紙をスネイプに見せると、彼はぎょっとスクランブルエッグを呑み込み損ねた。


「これか……」


ポッターがホグズミードで何かしていたらしいことは護衛の担当から報告があった。面倒なことをと眉を寄せ、抱えたくなる頭を無理矢理起こしたような軋む動きでスネイプはアンブリッジの背を追った。


「読みます?あの様子だとすぐに読めなくなりますよ」


リリーの耳もまた、アンブリッジの耳障りな高い声に注意を向けていた。


「君の後で良い」

「はい」


リリーは今や大広間中の注目がアンブリッジとポッターらに集まっているのを確認すると、杖でコツリと雑誌を叩く。「変身現代」へと表紙を変えたそれを小脇に抱え、ゆっくりと内容を確認するべく大広間を後にした。







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