水曜日はどんよりとした重苦しい天気だった。雨こそ降らないものの、じっとりと水分を抱えた分厚い雲はいつだって降らせてやるぞという気概を見せていた。
日暮れ前に森番としての仕事を終わらせるつもりだったが、空の灰色と好き放題枝葉を伸ばした木々のお陰で、森の中は時間の感覚を狂わせる。森を抜けた頃にはすっかり外も同じような薄闇色に変わっていた。
跳ね回るファングを宥めながらハグリッドの小屋へと戻る。一度私の部屋へ連れて帰ったがどうも落ち着かないらしく、雪が降るまでここはファング専用の家となった。
暖炉に火をつけ皿に水を入れるとファングの前へと置いてやる。勝手知ったるなんとやらだ。最初はアンブリッジの部屋へ忍び込むより遥かに罪悪感が芽生えたが、ハグリッドが私に森番とファングを託したとき、ファングはここにいた。それにこの小屋の鍵は開いていた。
だから良いと言うわけではないが、私はここを利用させてもらっている。窓を開け換気をしたり、埃が溜まらないように掃除をしたり、ユニコーンの尻尾の毛を拾えば小屋の保管場所に加えているのだから利用料としては十分だろう。
時計を見ればもう夕食時を半分も過ぎていた。リリーはコツコツと杖でテーブルを叩き、厨房から一人と一匹分の食事を取り寄せる。ここへ来たばかりの頃は知らなかった、ホグワーツ内専用の厨房とを繋ぐ呼び寄せ呪文。
「今日は一緒に食べようか、ファング」
リリーが大きな生肉をファングの皿へと入れてやると、彼は待ってましたと言わんばかりにかぶりつく。そんな姿に癒されながら、リリーもステーキ・キドニーパイへとかぶりついた。マッシュポテトや野菜スティックなどを平らげ、ファングが満足げな顔で寛ぎ始めたとき、ピクリと彼の耳が上がる。
ドンドンドン、と扉を激しく叩く音がした。
「ハグリッド!?帰ってきたの?!」
煙突から上がる煙に勘違いをした生徒が来てしまった。リリーは申し訳なさに眉を下げながらも、本人の自覚以上に慕われている友人にほっこりと温かくなる。
「ごめんね、私が借りてるんだ」
そう言って緩く扉を開く。流れ込んできたのはグレンジャーとウィーズリーだった。ポッターは罰則中なのだろう。いつの間にか駆け寄ってきていたファングと彼らに挟まれリリーはキョロキョロと視線を動かす。
「私が言うのもなんだけど、入っていく?ファングが喜ぶよ」
二人は二つ返事で椅子に座った。
グレンジャーの咎める視線を背に受けながら、リリーは紅茶を二人に振る舞った。すぐ手に取ったウィーズリーとは対照的にグレンジャーは飲んで良いものかと葛藤を見せたが「少し拝借したことより何も振る舞わない方がハグリッドは嫌がると思わない?」とリリーが言えば、ようやく大きなカップを持ち上げた。
椅子に座るグレンジャーの膝へ顎を預けたファングがゆったりと箒で掃くように尻尾を揺らす。
「あの、エバンズ先生はハグリッドが何処にいるか――」
グレンジャーがキッとウィーズリーを睨み付けた。
「あー、いつ帰ってくるのか、僕たち気になってて……」
もごもごと言葉を濁しながらウィーズリーが続けた。グレンジャーの視線が怖いのか、紅茶を飲む振りをしてハグリッドサイズのカップで顔を隠す。
「何も気にしなくて良いよ。私は一員じゃないけど動向についてはダンブルドア校長から伺っているから。あぁ、これは他言無用で、ね」
シーっと唇に人差し指を寄せる。昨年度末にスネイプ教授とシリウスの手を取り合わせたのは私だと知っているはずだから、十分信用に足るだろう。明言は避けたがグレンジャーには届いたようで、ハッと納得した顔をしていた。
「じゃあハグリッドのことも!?」
食いつくように身を乗り出したグレンジャーから迷惑そうにファングが離れる。暖炉そばの特等席に丸まり大きな欠伸を一つした。
「彼が何をしてるかはあなたちにも察しがついてるでしょ?いつ帰ってくるのかは私にも分からないけど、きっと無事。そうでないと困る」
リリーは憂いを帯びてしまった息を引き上げた口角で誤魔化す。しかし彼女の不安は二人にも伝染し、昼間の暗雲ようなどんよりとした雰囲気に包まれてしまった。
「あ!」
無理矢理明るさを見出だそうとしたウィーズリーが声を上げた。空気を壊す彼のこういった勇気は利点だとリリーは思っているが、グレンジャーはそうではないらしい。脛を蹴られたウィーズリーが「いてっ!」と呻く。
二人の様子にリリーがクスクスと笑うとグレンジャーにもぎこちないながらも笑みが見られ、小屋を幾分か穏やかな空気が包み込む。
「気を揉んでても仕方ないからね。スナッフルズは元気してた?掃除ばかりでいじけてたでしょ」
「まぁね。僕らだって気が進まなかったけどママがやれって言えばやるしかない」
肩を竦めたウィーズリーに、グレンジャーが何度か頷いた。そして今度は彼女が「あ!」と声を出す。
「先生、ルーピンさんにはお会いできてますか?」
「いいや。どうして?」
休暇中に一度会ったが理由が言えるわけでもなく、グレンジャーの意図が見えずに嘘をついた。すると彼女は「やっぱり!」という顔をして、誇らしげに胸を張る。
「ルーピンさんもお元気そうでした。ちょっと、髭が伸びてて草臥れた感じで……でも、お元気でした」
「想像できるよ」
リリーは以前護衛として泊まりに来た日のルーピンを思い出して微笑んだ。顔を洗う前のくてんとよれた姿勢でほんのり無精髭の伸びた彼。尤も、今の草臥れ方がそんな平穏なものであるはずはない。
「ハーマイオニー、どうして急にルーピンの話をするんだ?」
ウィーズリーの言葉にリリーも内心同意した。二人の仲が良いという認識はあっても不思議ではないが、些か突然すぎる。
グレンジャーが呆れた、とため息をついて、ウィーズリーにボソボソと耳打ちをする。リリーには漏れ聞こえてこなかったが、グレンジャーの視線が確かにリリーの指輪を捉えたことには気がついた。
「あ!」と今度はリリーとウィーズリーが同時に声を上げる。
「そうか!先生とルーピンは――」
「いやいや待って。誤解してるよ二人とも」
両手を掲げて制止しながらリリーが二人を交互に見やる。背後では家主不在のまま賑やかさを取り戻しつつある小屋に、一番の友が目を閉じたままゆったりとその尾をくねらせた。
「私たちはそういう関係じゃないよ。リーマスに迷惑がかかるから止めなさい」
教師らしくビシッと立てた人差し指を振った。
リリーはルーピンが結ばれる相手を《知っている》。その人は騎士団員だ。根も葉もない噂が伝わりブレーキでもかかってしまったら、彼らの未来に申し訳が立たない。これからリリーは彼らの未来をも延ばそうとしているのに、上手くいきませんでしたではあまりにも後味が悪い。
たしなめられた二人は顔を見合わせ、何か思うところがあると首を捻る。
「でもスナッフルズも間違いないだろうって」
「ルーピンさんがエバンズ先生のことを気にかけているのは間違いありません」
「去年は、ほら!手を繋いでた!」
口々に根拠とも呼べない事柄を捲し立てられ、リリーはやれやれとため息をついた。
「手を繋いだくらいでそう受け取らないでほしいし、スナッフルズは間違いだし、リーマスが気にかけてくれてるならそれは嬉しいかな。ただ本人が違うと言ってるんだから反論は無意味だよ」
言いながら、リリーは前にも同じようなことを言った覚えがあると記憶を遡った。
あれもリーマスと手を繋いでいたところを目撃されて指輪も指摘された。マクゴナガル教授とフリットウィック教授に挟まれて、逃げることもできずに流していたんだった。
二人が去ったあとも、リリーの思考回路は回り続けた。
何故こうもくっつけたがるのかと考えて、考えるまでもなかったと思い直す。
みんな、リーマスに幸せであってほしいと願っているのだ。人当たりが良く、気遣いの上手すぎる彼を愛し、愛されてほしいと願っている。
自惚れではないと思っているのだが、《呪い》のお陰もあってか年月の割りに私とリーマスは良好な友人関係を築いている。だから白羽の矢が立ちやすいだけで、彼らの願いの先にいるのが私である必要はない。それは直に彼らにも分かるだろう。
ハグリッドにリーマス。高慢な目線かもしれないが、友人が好かれていると知れるのはとても嬉しい。そして羨ましくもある。これらは真に彼らの勝ち得たものなのだから。
ズルい《呪い》もなく人の心を動かすことの、なんと尊いことだろう
気がかりがあるとすれば、私の大本命とも言える黒衣の彼が、その真反対をいっているということ。意図的な本人の言動がそうさせているに他ならないし、みんなに好かれたいとは思っていないだろう。それでも私の思う彼が彼であるならば、嫌われることに少しも心痛まない人間ではない。
愛を知る彼に心がないはずがないのだ。
余計なお世話なのは分かっている。それでも、自分の好きな人をみんなにも好いてほしいと願うのは、間違いだろうか。
友に向けるようなその笑顔を、彼にも向けてほしいと願うのは、可笑しいことだろうか。
願わくば、彼自身にも、心安らぐ笑顔が浮かぶ日が来ますように
そのために私はここにいる
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