97 9月2日


新学期が始まった。ポッターはもう五年生だ。

授業初日は朝からたっぷり2時間、リリーは禁じられた森で過ごした。授業に協力してくれるボウトラックル集めだ。イチイ、樫、ブナ、手当たり次第に木を眺めてはワラジムシを撒いた。


「ファング、ステイ」


落ちてきたのか降りてきたのか。湿った枯れ葉の上で踊らせる緑の細い身体をファングが興味深そうに小突いていた。


「いい子だね。やり過ぎると目玉をくり貫かれちゃうよ」


行儀よく座った彼の頭を撫でて、引き連れていた大きな木箱へとボウトラックルを誘導する。


「一、二、三、四――このくらいで十分か」


一緒に入れた小枝を掻き分けながらリリーが数を確かめる。グラブリー-プランクに頼まれた数は優に超えていた。


「おいで、ファング。帰ろう」


返事のように「バフッ」と吠えて、ファングが大きく尻尾を振る。犬種は全く違うのに。黒い大きな身体は苦々しい記憶のこびりついた屋敷に閉じ込められたままの男を思い出させた。


シリウス・ブラック


友と呼ぶには些かドライな関係だが、だからといって見捨てる選択肢はない。嫌う屋敷へと縛り付けておけたなら、彼の身は救われるだろう。だが神秘部での戦いにおいて彼の動きが欠けてしまうと他にどんな影響が出るか分からない。やはり彼はその日神秘部へ行く方が良い。

何度考えてみても辿り着くのは同じ結論だった。


浮かせた木箱があとをついてきているのか確認しようとリリーが立ち止まったとき、ファングもまた四足を止めた。しかし仮の主人に従った様子でもなく、頻りにフンフンと鼻をくねらせ太い樫の向こうを見ている。


「ファング?何かいる?」


禁じられた森には多くの生き物がいる。セストラルやユニコーンのような無害なものからアクロマンチュラやトロールまで。尻尾爆発スクリュートはつい最近仲間入りしたばかりだ。深く進まずどの縄張りにも入っていない。何にも警告される覚えはないが、念のため杖を握り直した。


「その必要はない、ヒトよ」


ニワヤナギが揺れ、ファングが三歩後ずさった。小枝を踏み枯れ葉を掻く音に混じりかすかに蹄の気配を感じる。リリーは杖先を木箱へ向け直した。

影ばかりの鬱蒼とした森でも分かる。プラチナブロンドの髪に隙のない顔立ち、黄金のパロミノ種の身体が隆々としなやかな、美しいケンタウルスだった。


「フィレンツェ……」


ポツリとリリーが囁いた。

幾度となくここへ通い、ハグリッドと、スネイプ教授と、時に一人で歩き回ったこの森で、ケンタウルスの姿を見るのはこれが初めて。神々しさすら感じる風貌に聡明さを映し出す青い目は自ら光を放っているようだった。


「我々もあなたを知っている。数奇な星の元に生まれしヒトよ」

「何かご用でしょうか?」

「我々はヒトに関与しない。君がここに留まることとは違う」

「え……あの!」


意味深な、すべてを見透かしているような言葉に、引き止めようと伸ばした腕は空を切る。背はすぐに見失ってしまった。考えたところで彼の言葉の意味も現れた意図も凡人の私に分かりはしない。残されたもやもやを消す術はなく、私は胸の奥底へとしまい込んだ。




夕食後、寮へと戻るスリザリン生と別れ、リリーはスネイプの研究室へと赴いた。仕事ではない。だがもちろん遊びでもない。脱狼薬の調合を叩き込まれるためだ。

ノックをして、扉が開き、リリーを見もしないスネイプの元へと歩く。事務机で名簿片手に細口瓶を睨み付ける彼は採点の真っ最中だった。

リリーは邪魔にならない距離に立ち、彼が良いと言うまで待機する。彼女の枕元にもある見慣れた色の液体は(固体のようなものもいくつかあるが)スネイプが蓋を開けると銀色の細い湯気をくねくねと吐き出した。

リリーはピンときて、すぐさま並んだ瓶を数える。それは本来あるべき数より一つ少なく、それがポッターの分であろうことは容易に想像できた。


「待たせた」


スネイプが細口瓶を木箱へ戻し、一瞥もせずペンスタンドへと羽根ペンを帰らせた。羽先の欠けた真っ黒なカラスのそれはリリーが初めてここへ来てからずっと同じもの。物持ちが良いのではなく選ぶのも面倒なスネイプが惰性的に買い続けている代物だ。


「安らぎの水薬ですか?」

「さよう。尤も、その作用を示せるものはここに一つしかない」

「グレンジャーですね」

「指示通りに煎じるだけなら誰にでも出来る」


その『誰にでも』が出来なかった惨状を視界に入れることすら苦痛で堪らない、とスネイプは額に手を当て深くため息をついた。


「一つ足りないようですが?」

「クリスマスローズのエキスを入れ忘れた愚か者がいた」


細口瓶の詰まった木箱を棚に戻してスネイプが答える。いつもは提出された羊皮紙や瓶が並ぶその棚も、今は木箱が二つ置かれているだけ。

スネイプが振り返ると、リリーは薄く唇に隙間を作ったまま眉を潜めていた。右下へ向けた視線は意味を持たず、時折指をモゾモゾと組み換えてはピクリと口元を震わせる。スネイプはニヤリと口を歪めてから息を吸い込んだ。


「ほう、ホグワーツの誇る優秀な助手殿もご存じないと見える」


楽しささえ滲ませて話すスネイプに、リリーはムッとした。そして不快さを隠すこともせずほとんど睨むような目を向ける。


「調べておきます」

「これは図書室で見つかるようなものではない」


研究室へと続く壁を抜けながらスネイプが得意気に鼻を鳴らす。リリーは彼の背にピタリとつきながら次の言葉を待った。


「時間を置くと酸のようなものへと変化する。単純にクリスマスローズを抜いて再現できるものでもなく、理論での立証も困難。昔同じミスをした愚か者のせいで散々な目にあった」


スネイプは目の前にその煎じ薬があるかのように顔を引き、ぐしゃりと歪ませた。


「文字も碌に読めぬ間抜けどもは我輩に実に多くを学ばせてくれる」


有り難いなどと微塵も思っていないのは明らかだ。自分も今からその間抜けの仲間入りをするのかと思うと、リリーは夕食にチキンをお腹いっぱい頬張ってしまったことを後悔した。

次は八分目に止めておこう。


「渡したものは読んだな?」


大鍋、柄杓、天秤、ナイフ、材料瓶。スネイプは必要なものを次々と呼び寄せた。リリーは乱雑なそれらを並べ大鍋に水を張る。


「はい。サラマンダーの血液がドラゴンのものへと変わっていました」


1年のブランクの間に脱狼薬研究は僅かならず前進を見せていた。前日にスネイプから渡された「実務魔法薬」には新たな脱狼薬の論文が掲載されており、大きな違いはその一ヶ所だけ。


「オパールアイ種。言うまでもないが、とても高価だ」


緑がかった深紅の液体が重たく揺れる瓶を持ち上げスネイプが片眉を上げる。リリーはガラスを伝うその一滴一滴に釘付けになった。


「これをどれだけ浪費するかは君にかかっている」


リリーの返事は喉に引っ掛かって掠れて消えた。







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