リーマスから手紙が届いた。
吼えメール以降シリウスはポッターを構い倒しに行っていること、でも休暇終了を目前に寂しげな様子が増えていることが書かれていた。
カモフラージュを交えながらの検閲を想定した当たり障りない筆運び。その中に何度もやり取りしたリーマスらしい言葉選びが隠れていた。それを見つける度に私はクスリと溢して、彼おすすめのチョコレートを食べたような温かさが広がる。
リーマスが少しでも長く笑顔でいられるように、脱狼薬の調合に精を出そう。無茶はしないでと言えない代わりに、溝色の不味い良薬を差し入れてあげよう。
今年度一番の課題は何と言ってもシリウス・ブラックの救出だ。《本》の流れを尊重しながら、見捨てたくない死を掠め取る。その計画に1年をかける。彼を救うことができたなら、それは私の望む未来にとって大きな一歩となる。
『ときどきチェスの駒を見るような目で私を見る』
かつてシリウスが禁じられた森で私にそう言った。そして今、私は正しく彼をそんな目で見ている。私にとって彼はキングになり得ない。私がポーンならキングは、
セブルス・スネイプ、ただ一人
私はこの予言をもって先頭を進み、みんなの活路を開きたい。時折私自身が障害となってしまうことに奥歯を噛み締めながら。それでもまなじりを決し立ち向かうのだ。
「リリー・エバンズ、準備は出来ましたか?」
隣の部屋から独特の高いキーキー声がして、リリーは手紙をベッドサイドテーブルへと仕舞い込む。間延びした返事をすると、お尻に敷いてシワになってしまったローブを引っ張った。
窓が気の利いた額縁の顔をして私を誘う。外では蒼天に浮かぶ真白が明確な色のコントラストを線引きながら豪快に流されていた。
ホグズミードは活気にみちみちと湧き、誰彼構わず受け入れる雄大さがある。それが必ずしも良いとは言えないが、今はその寛容さに甘えて屋敷しもべ妖精と二人手を繋ぎながら通りを歩いた。
「今日は付き合ってくれてありがとう、ドビー」
「ドビーは友達と買い物をするのが好きです!」
ワクワクを体現しながらスキップの真似事のような足取りでドビーが跳ねる。倍ほどもある身長差だが、彼の声は吸い込まれるようにリリーの耳へと着地した。
擦れ違う数人に一人は心無い視線をドビーへ向ける。当の本人にはどうでも良いのか慣れっこなのか、彼の世界ではリリーとワクワクだけが色付いていた。
「ドビーはどこか行きたいお店はある?」
「リリー・エバンズの行く場所がドビーの行きたい場所です!」
気を使うとかそんな風もなく、ドビーは心からそう言った。真っ直ぐ見上げる大きな双球にリリーはむずむずと身体を捩ることで了承を表す。きらきらと澱みのないグリーンの瞳は晴天に後押しされ一層強く友情に煌めいていた。
ハイストリート通りを奥へ奥へと進み何度も路地を曲がる。辿り着いたのはスネイプ教授行きつけの薬問屋。そこへ常連である彼を連れずに来たのは初めてだった。
空は変わらず青々としていて、入り組んだ立地の暗褐色な建物とのミスマッチさが目に染みる。容赦ない陽光が刺す店先から見えるのはカーテンの付いたガラス窓のみ。繊細な商品たちへ配慮するばかりにどことなく胡散臭さを醸し出してしまう店内は、馴染みの地下を思い出す様相で居心地が良い。
「こんにちは。このリストのものをお願いします」
「おや、スネイプ教授のとこの。今日はお一人てすか?」
「いえ、ドビーと一緒に。教授のおつかいなんです」
クスクスと笑って肩を竦めれば、店主は感心した声を洩らして数度頷いた。首を傾げるリリーに気づくと「大したことではないんです」とリスト片手に店内を彷徨きながら話し出す。
「教授とはまだ彼が学生だった頃からのお付き合いですが、誰かを連れて来られたのも、人を使いに出されたのも、あなたが初めてでして」
「初めて……」
噛み締めるように呟いた。視線を落とすとワクワクを携えたままのドビーと目が合って、ふっと頬を緩ませる。
コン、キン、とガラスの触れ合う音をさせながらカウンターへ戻った店主が慣れた手つきで瓶を木箱に詰めていった。
「ご家族はお元気ですか?」
「え?えぇ、お知り合いでしたか。ちょうど上にいるんです、お呼びしましょうか?」
「いえ、以前お店に立たれた時にお子さんを抱かせていただいたことがあるんです。よろしくお伝えいただければそれで」
「そうでしたか。いつかうちの子もホグワーツでお世話になるんでしょうね」
驚きに手を止めていた店主がふわりと微笑んだ。無限に湧き出る慈愛に、あぁ彼も父親なのだ、と今更ながらに感じ取る。瞼の裏でちらついた霞がかる記憶の祖父も似た目をしていた。
同じように微笑もうとして、ギクリと頬が強ばる。
あの赤子がホグワーツに通うとき、私はどこにいるのだろう?
何処にいて、誰といて、何をしているのだろう?
すべてが終わったとき、ホグワーツに私の居場所はあるのだろうか?
そもそも私は、生き延びているだろうか……?
「スネイプ教授にもよろしくお伝えください」
「えぇ、もちろん」
「荷物はドビーがお持ちします!」
リリーは無理矢理顔に三日月を貼り付け木箱の行方を虚ろな焦点で追う。目一杯腕を伸ばして受け取るドビーの手助けをしながら店主に儀礼的な礼を残した。
カランコロンと扉を守るカウベルの響きがいやに耳につく。
「リリー・エバンズは疲れましたか?」
荷物で半分以上隠れたドビーのグリーンが、リリーを覗き込む。その目に宿る不安や心配がリリーに染み込んで、代わりに何かがスルリと抜けた。同時に貼り付けただけの口元も剥がれ落ち、下からは同じ弧が現れる。
「うん、少しね。どこかでお茶しようか。今日のお礼に奢らせてよ」
「もちろんです!」
パアッと大輪を咲かせドビーが弾む。木箱が揺れガサリと緩衝材の動く気配に慌ててリリーが頭に手を乗せた。リリーは揺れを抑えただけのつもりだったが、その手の温もりをドビーがあまりにも喜ぶものだから、リリーはぎこちなくその手を滑らせ彼を撫でた。
入学式前日になって、ドローレス・アンブリッジがホグワーツへやって来た。リリーはセストラルの引く馬車から降りてくる彼女を、ダンブルドアやマクゴナガルと共に城内へと続く大きな正面扉の外で迎えた。
ずんぐりとした身体をピンクの少女趣味なローブで包み、薄茶色のカーリーヘアーにはお揃いのピンクカチューシャ。年上とは思えないアンブリッジの出で立ちにリリーは目を白黒させる。
「ようこそおいでくださった。長旅でお疲れじゃろうが、部屋で休まれる前にちと校長室でお話をよろしいかな?」
恭しく手を差し出しダンブルドアが下車の介助をする。然も当たり前だと手を取るアンブリッジは満足げに口を歪ませ、甲高く尊大に「えぇ、良いでしょう」と返答した。
「荷物はこちらで部屋へ届けておきましょうぞ。さぁドローレス、こちらへ」
先導するダンブルドアに半歩遅れてアンブリッジが従う。後に続いたマクゴナガルはキッと眉を吊り上げ、飛び出しそうな不平不満を固く口を結ぶことで堪えた。
「さて、と」
自然だけが見守る中で、リリーはアンブリッジの荷物に手をかける。
「アロホモーラ(開け)」
几帳面に整ったその中は探し物をするには易しかったが、リリーはとうとうお目当てを見つけることができなかった。馬車を降りると抑えきれないため息が洩れ出す。
馬車から解放したセストラルはリリーが軽く尻を小突くと大きな翼を広げ禁じられた森へと飛び立った。
「あとはよろしく」
馬車に手を置き、姿もなければ聞いているかも分からないホグワーツの屋敷しもべ妖精へと投げかける。ドビーを知る前ならこんなことはしなかった。自分の暮らす世界ですら無関心を貫いていたのだ。存在を感じさせないことが良しとされる彼らの世界になどもっと興味がなかった。
私が《本》の予言へ影響を及ぼしているのと同じように、私もまた影響されている。私は悪影響しかもたらさないのに、世界は、彼らは、私にかけがえのないものばかりを与えてくれる。
言わば、これは恩返し
友を、情を、他者と関わる世界を見せてくれたすべてに、私はこの身をもって感謝を伝えよう。
《本》への反骨精神だけではない。
分不相応がなんだ。砕けるまで当たり続けるしか私にはできない。誰にも頼る気はないが、誰だって利用してやろうじゃないか。
死を掠め取るよりも多く、出来る限りの苦痛を取り除く。神にでもなったような傲慢さで不要なものを選択する。
善悪とか、正誤とか、後悔とか、一先ずそれは恋心と共に奥底に沈めておいて、今はただ伸ばした指の先を追い求めよう。
もう3年間突っ走ってきた
あと3年間突っ走るだけだ
まず手始めにシリウスへの吼えメール。次はアンブリッジの罰則用羽根ペン。
――と思っていたのに肝心のモノがないとは。ポッターへの罰則が翌日からとなっていたのは、この羽根ペンを取り寄せる時間が必要だったからに違いない。
一歩目から躓くとは幸先悪いがこんなもの序の口だろう。悪化ですらない。ここで挫けてなんてあげられない。
命を懸ける人たちがいる。
求める未来を目指して走り抜く人たちがいる。
私が彼らと共にいるには身を粉にするだけでは到底足りないのだから
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