今年の夏期休暇は休暇とは言い難い。二つ返事で引き受けた任務は常に闇の帝王へ心臓を捧げているに等しい。自分の言葉運びひとつで次の瞬間にはこの世と引き裂かれる。
数年前から不穏な動きを見せ始めていた闇の復活。誰もが帝王は去ったと思ったあの日から、ダンブルドアはこの日が必ずや来ると視ていた。此度の不死鳥の騎士団発足は迅速なものだ。
心の準備など、とうに出来ていた
あの日ダンブルドアに問われるまでもなく、自分の役目は理解していた。『もし、やってくれるのなら』などと濁されずとも返事は16年前から決まっている。この身すべてを捧げる誓いは、守りたかったものを失って尚途絶えてはいない。
すべてはアーモンド形をしたグリーンの愛する瞳のために
彼女が命を賭した者のために、私もまた命を賭けよう。この身が滅ぼうとも構わない。だが無駄に散らせるつもりも毛頭ない。
すべてを君に胸を張れるような結果で終えることが出来たなら。
リリー
また君の前に立つことを許してもらえるだろうか?
8月も半分が過ぎ、日々擦り切れていく精神をらしくない感傷で癒す。バチンと乾いた音と共に鼻につく不快な臭いの路地に姿を現せば、くしゃりとローブのポケットで紙の擦れる音がした。
『シリウスへ』
真っ赤な封筒に書かれた文字は見慣れたもの。スネイプはグリモールド・プレイスへ来る前にリリーからこれを託されていた。
『ポッターに聞かれたくないんです。ですからふくろうには任せられなくて』
そう言って押し付けて来た彼女はまるで私が拒むことなど考えていないようだった。腹立たしい。実に不快だ。人をふくろう代わりに使うなどと信じられん。
しかし今こうして手元に持ってきているのだから、あのときの私は正気でなかったに違いない。
少し、ほんの僅かばかり、事を荒立てたがらない彼女がしたためた吼えメールの内容が気になるだけ。その相手が憎きシリウス・ブラックなのだから尚更だ。
現れた十二番地の扉を杖でコツりと叩く。カチャカチャと金属音と鎖の刷れる音が止むのを待った。それから踊り場の騒がしい肖像画に配慮した忍び歩きでホールの一番奥へと進む。そこは騎士団の会議でいつも使われている場所。
「――あぁ、私もダンブルドアに進言してみたよ。リリーを騎士団に入れてはどうかって――」
ボソボソと扉から漏れる声に気にかかる名を聞き取り、スネイプは耳をそばだてる。声の主はルーピンだった。
「リリーにはホグワーツでの仕事がある、だろ?だがそれならマクゴナガルはどうなる?彼女は寮監もこなしてる」
話し相手がシリウスだと分かるとスネイプの顔がぐしゃりと歪む。悪臭を敏感に感じ取るかのように鼻を揺らし、力一杯扉を殴り付けてやりたい衝動を懐の吼えメールを意識することでやり過ごした。
「アーサーによれば彼女は昔神秘部にいた。なら尚更今の騎士団には必要な人材のはずなんだ」
「リリー自身はどうだ?」
「入る気はないって。ダンブルドアもそれを望むだろうって言ってたよ――」
ボソボソと会話は続く。
自分も彼女が騎士団にいないのは不自然だと思っていた。早くから任務に就いていたようだから既に一員なのかと思えばそうではないらしい。彼女は一度もここへ顔を出していないし、ルーピンを信じるならば本人に確認も取っている。隠し立てする必要も見えない。
しかし私にブラック宛の手紙を押し付けて来たことからも、騎士団の動向についてはある程度把握しているようだった。恐らくダンブルドアから聞いているのだろう。信頼は変わらず厚い。だとすれば自分でここへ足を運び直接聞いた方が話は早いはずで、そうしない理由が全く以て分からない。
やはり他人に知られては困る何かが彼女にはある
だが彼女が騎士団に入るべきかはまた別の話だ。彼女は既に多くを抱え過ぎている節がある。時折発作のように精神を崩し、青白い顔でポッターの無事を祈っていた。何が彼女をそこまで追い詰めたのか、命を絶とうとまでした。
だと言うのに、私は――
私は生ある者の特権である熱をエバンズに求めて利用しながらも、彼女に目を掛けることで終わることのない贖罪を軽減させようとしているのでは。
ふと、そんなことが頭を過った。
よもや私は彼女をリリーの代わりに?
似ても似つかない彼女を?
いや、寧ろエバンズと似ている人物がいるとするならば、それは私自身だろう。真意を隠し、懺悔する場も持てず、悪夢に生きる。
ならば自身を救いたいと?
救われるべきでないこの罪に差し伸べる手が欲しいのか?
馬鹿馬鹿しい。私は傷の舐め合いでもする気か。
眉間に手を当て揉みほぐすように動かすと、長い息を吐いた。そして扉に手をかける。
忘れよう。少なくとも今考えるべきことではない
「ところでリーマス。リリーとはどうなってるんだ?ハリーから君は彼女に指輪を贈ったと聞いたぞ。親友に報告もなしとは水臭いんじゃないか?」
スネイプの腕は伸ばされるのを今か今かと待ち望んでいたが、下世話なシリウスにギクリと止まる。
「ハリーの勘違いだよ。指輪は彼女が自分で買ったものだし、私たちには何もない」
スネイプはホッと胸を撫で下ろした。そして間髪入れず無意識に溢れた息にぎょっとする。繕ったところで溢れ出たものは元には戻らない。忘れようと脇へ退けたものがいとも簡単に自身の中心へと返り咲いた。
「ねぇ、リーマス。そのリリーってどんな――」
スネイプはかぶりを振って、言葉を遮るようにわざと仰々しく扉を開けた。中にいたのはルーピン、シリウス、トンクスの三人で、歓迎ムードとはいかない目をスネイプへと向けている。中でもシリウスは何もかもが気に入らない、とスネイプを睨み付けた。
「やぁ、セブルス。今日は早いね」
「ポッターはどこだ?」
スネイプは素早く部屋を見回しその姿がないと分かると三人の様子を個々に観察しながら懐へと手を入れる。
「あ?スニベリーがハリーに何の用だ」
普段からは想像もつかないスネイプの問いにシリウスが真っ先に食って掛かった。しかしスネイプにとってそれは想定の範囲内で、侮蔑を多分に含んだ嘲笑を返す。
「質問をしているのは我輩だ、ブラック。呑気に掃除ばかりして、簡単な質問への答え方も忘れてしまったとは。憐れだな」
「クソッ、この!」
ガタンッと椅子を倒し握りしめた拳をテーブルに叩きつけ、シリウスが立ち上がる。スネイプはピクリともせず歯を剥き出しにして怒る彼に冷たい目を向けた。バチバチと見えない火花を散らす二人をトンクスが交互に見やる。
「ストップ、シリウス。座って。……セブルス、ハリーは上でモリーと掃除をしてくれてるよ。どうして?」
シリウスの腕をぐいと引いたルーピンが穏やかながら探る目でスネイプに答えた。その上で今度はこちらが聞く番だと質問を加える。会話に乗り遅れたトンクスが肩を竦めた。
「ブラック、貴様にプレゼントだ」
「何っ――吼えメール!?」
鼻で嗤ったスネイプが真っ赤な封筒をシリウスの前へ投げつける。そして間髪入れずに部屋へ防音呪文を唱えた。反射的に身を引いたシリウスが顔を引きつらせる様に、スネイプはいい気味だと嫌みに口角を上げる。
巻き添えを食らう形となったトンクスとルーピンは顔を見合わせ顰めっ面で耳を塞いだ。塞いだところで多少軽減はされどつんざく怒声は鼓膜を震わせる。
『シリウスの大馬鹿者!ポッターの無罪放免を一番喜んであげるべきあなたがショボくれてるなんて信じられない!ポッターの方がよっぽど大人だよ!あなたがポッターと一緒にいたいのと同じくらいポッターだってあなたといたかったに決まってる!分かってるでしょ?!ダサい真似やめてポッターの休暇を一緒に楽しんであげて!あとスネイプ教授のこと侮辱する呼び方したら承知しないから!でないと貸したもの返してもらいに行くよ!』
シリウスの周りを飛び跳ねるようにして叱咤した声に彼とルーピンは顔を見合わせた。ビリビリと自身を食い破って散った手紙は欠片と共に怒声の余韻を部屋に残す。
しんと静まり返る空間にプッとルーピンの吹き出す声が響いた。律儀にポッターの居所を確認した目の前の男も、男にその指示を出しふくろう代わりに使ってみせた彼女にも、ルーピンは面白い出し物を見たような気分で声を上げて笑う。
「トンクス、リリーはこういう人だよ」
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