89 試験期間


年度末恒例の試験が始まった。

リリーは行く先々で生徒に引き止められては質問に答える。こんなギリギリになって詰め込んだ知識を試験に発揮出来るとは思えない。しかしそう伝えたところ『質問した範囲は出ないに違いない』と勘違いの噂が広まりとても面倒なことになった。それ以降リリーはすべてに答えることにしている。


「リリーが職員室にいるとは珍しいですね」


両手にこんもりと羊皮紙を抱えたマクゴナガルが声をかけた。リリーは机に突っ伏していた頭を上げ、へらりと笑う。

生徒からの引く手数多ですっかり疲れきってしまい、研究どころではなくなっていた。それでも手をつけないと気になって安眠できないのだから『病的だ』と言われたのは間違いではない。


「教授方がお忙しいのに私だけ趣味に走ってはいられませんよ」

「そうですか」


マクゴナガルの目がギラリと嫌な光を発した。それに気づかないリリーは引き出しからチョコレートを取り出し一つ口に放り込む。


「マクゴナガル教授も如何ですか?元気が出ますよ」


昨年ホグワーツを辞めていった男を彷彿とさせる言葉に、やはりこの子は彼と何かあるのではとマクゴナガルは勘繰らずにはいられなかった。しかし今はその話題に嬉々として食いつけるほど暇ではない。


「では一つ戴きます。あぁそれと、あと10分ほどでスフィンクスが到着します。出迎えにはハグリッドが行きますが、あなたもいた方が良いでしょう」

「分かりました。向かいます」


バタバタと机上を片付け、リリーは職員室を出た。


「リリーはいつも何かに追われているようだね」


職員室に残るマクゴナガルにフリットウィックが話しかける。独特の高い声からは感情が読み取りにくいがその表情は憂いを帯びていた。


「それにここ1年で彼女は痩せています。仕事には慣れたようですが……」

「休暇、旅行に誘ってみたらどう?」

「ポモーナやポッピーに声をかけてみましょう。女子旅なんて、ワクワクしますね!」


教室へと向かう彼女の背を、残されたフリットウィックが少し複雑な表情で見送った。






第三の課題を翌日に控えた夜、リリーは定位置となった地下牢教室にいた。机にはゴポゴポと強火にかけられた大鍋とトロ火で音もなく小さな気泡を吐き出し続ける大鍋。乱雑な材料瓶はリリーだけが分かる規則性を持ちそこに鎮座していた。


「――火力の与える影響は……揮発して……ハナハッカが――」


顎に手を当て利き手では羽根ペンを握る。思い付くままに書き込んでは打ち消し線を引いた。背後の黒板には難解な魔法薬理論に試行錯誤した跡が残されたまま。

初めてハグリッドに煎じ薬を使ってもらってから、研究は進んだと言えば進んだし、変わらないと言えば変わらない。ハグリッドのような強い皮膚を再形成させるのを何かが拒んでいるようだった。

リリーは羽根ペンを置き杖を手に取る。煮立った大鍋へと振り火を止めた。柄杓で掬えばドロリと配水管のぬめりそっくりの不気味な液体が出来上がっていた。


「やっぱり強火は論外か……あとはトロ火がどうなるか……」


羊皮紙へ大きく『×』をして項垂れる。時計を見ればもうすぐ日付が変わろうとしていた。しかしトロ火にかけた大鍋の様子が変わるまで動くわけにはいかない。リリーは丸椅子に腰かけてもう何度も読み返した巨人と半巨人についての専門書を開いた。

彼らの食事、文化、言語、暮らす環境。ハナハッカやグリンデローの角にこだわりすぎていたかもしれない。もっと他に適した材料があったのかも。――今さら遅いわけだが。

これでダメなら今出来る最高のものを渡すしかない。不完全燃焼ではあるが彼は包帯だらけにならずに済む。きっと喜んでくれるのだろう。また私を持ち上げるだろうか。あのときの彼の顔は忘れられない。目尻も頬も髭と同じくらいくしゃくしゃで――


不意にハグリッドがリリーを揺さぶった。力強く遠慮のない揺れは気持ち悪い。下ろしてくれと何度も頼むが彼はリリーを掴んだまま――


「エバンズ!」


リリーはびくりと身体を震わせた。そしてやっと湖面へ浮かび上がってきたかのように頭をもたげ大きく息を吸う。


「……あれ?」

「調合中に寝るな!」

「あ、えっ、あー!」


揺さぶっていたのはスネイプで、リリーは地下牢教室にいて、いつの間にか夢の中にいた。不自然な姿勢で寝てしまったせいでバキバキと軋む身体を奮い立たせる。スネイプは歯が見えるほど怒り心頭といった様子で思わずリリーの身がすくむ。

リリーは突如思い出した。


トロ火にかけた大鍋がそのままだ!


バッと音がしそうなほど勢いをつけて振り返ると、そこには未だトロ火に熱され続ける大鍋が、ポポポと見覚えのある煙を吐き出していた。


「ひつじ雲!」


これから説教だというのに顔を輝かせ始めたリリーにスネイプの眉間が悲鳴を上げた。リリーは火を止め、わたわたと意味のない動きを挟みながら散らかり放題の羊皮紙や本を引っ掻き回す。もしや、とスネイプが羽根ペンを差し出すと、礼もなくリリーに奪われていった。


「これはいつからですか?!」

「これ、とは?」

「ポポポって、この、煙です!」

「君を起こす直前だ」


直前、と呟きながらリリーが自身の腕時計を見ると針は7時を少し過ぎた辺りを指していた。「ぎゃっ!」とリリーが催眠豆を潰したような声を出す。


「教授、今、何時でしょう……?」


時計から目を離せないまま震える声でリリーが問う。スネイプは片眉を上げ、リリーの時計を覗き込んだ。


「その時計は壊れていないようだが?」

「そんなに、寝て……」


信じられない、とショックを隠しきれないリリーがふらふらと視線をさ迷わせる。そして大きく息を吐き出すと不快な何かを吹き飛ばすように頭を振った。再度指に力を入れて『トロ火 8時間 攪拌なし ひつじ雲』と書きなぐる。


「ハグリッドのところへ行ってきます!一番に伝えないと!」

「今日は――」

「試験後に第三の課題ですよね?分かっています。では!」


リリーは碌にスネイプを見ることもなく瓶に煎じ薬を移して駆け出した。残ったスネイプはすっかり姿を変えた自分の教室を見回しため息をつく。そしてどうやら上手くいったらしい彼女の満面の笑みを思い浮かべ、弟子のような存在の成果に人知れず眉間を和らげた。




ドンドンドンドンッ

飛び出した勢いのまま、リリーがハグリッドの小屋を叩く。何事かと慌てた彼に思わず飛び付き、上気した頬のまま瓶を掲げて見せた。


「出来たよハグリッド!試さないといけないけど絶対に一番の出来!間違いない!あぁでも怪我してないよね?ううん、それが一番。良いことだよ。じゃあえっと、これは小屋に置かせて?どうせハグリッドしか使わないわけだし、でもファングには気を付けてよ?何が起こるかわからないから。あとアンブリッジ先生にも。売る訳じゃないから法には触れないはずだけど、新しい薬って本当なら届け出とか認可とか色々あるんだ。あぁそうだ、初めて使うときは私に声をかけてほしい。やっぱり危険はあるし何より見てみたいからさ!……どうかな?」


一気に捲し立てて力が抜けたリリーがふにゃりと笑う。ハグリッドは動きっぱなしの口から「あー」やら「うー」やらと言葉にならない息を洩らして、やがて大きく息を吸った。


「リリー……お前さんは、お前さんは最高だ!」


バンバンと喜びのまま加減を忘れたハグリッドがリリーの肩を叩く。リリーは靴底が地面に沈み、肩が馬鹿になってしまうような気がした。それでも彼女の頬から笑みが消えることはなかった。




競技場に用があるハグリッドと別れ、リリーは晴れ晴れとした気持ちで大広間へと向かう。温室を過ぎ、城内へ繋がる大きな樫の扉が見えたとき、避けて通りたくて仕方がない人物がいた。


「おはようございます、ムーディ教授。こんなところで何を?」


リリーは努めて自然に儀礼的な笑みを浮かべ、努めて自然に声かけをした。本当は世間話など始めず1秒でも早く立ち去りたい。しかし彼が一体ここで何をしているのか。答えてはもらえなくとも聞かずにいるのは不安だった。


「仕事か?」

「いえ、今から朝食を」

「なら、食え!そのあとでわしの部屋へ来い。やってもらいたい仕事がある」


「はい」か「いいえ」。どちらを答えるべきか迷って、ヒュッと空気が喉に貼り付いた。ムーディはリリーの返事など始めから聞くつもりがないようで、コツコツと義足の音を響かせ去っていく。

行きたくない。でも立場上行かなくてはならない。この1年関わることなく過ごせていたというのに最後の最後でこんなこと。彼の仕事は荷物運びだとか試験の監督だとか、そんなことかもしれない。それでも気の重さは変わらなかった。

ダンブルドアにだけはそれとなく伝えておこう、と入った大広間にその偉大な姿はなかった。これ以上萎まないと思ったリリーの心はいとも容易く干からびてしまう。地下牢教室を出ていったときとは真逆の様子にスネイプだけは怪訝さに目を光らせていた。







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