88 試薬


忙しくて時間はいくらあっても足りないのに、忙しければ忙しいほど時間は早く過ぎてしまう。イースターがもう遠い昔のことのようだった。太陽はより一層凶悪になり、ジリジリと地上を焼いて楽しんでいる。

リリーの魔法薬研究はまた行き止まりだった。グリンデローの角を手に入れ一度は進み出したものの、目の前の壁を打ち壊せずにいる。

イースター以降何度か湖へ潜り(バレる度にスネイプはリリーへ苦言を呈した)グリンデローの成熟度や使う角の部分を吟味してトライしたがもう一押しというところでスルリと離れてしまう。お陰ですっかりグリンデローに嫌われ、近づくことも一苦労となってしまった。代わりに大イカとは仲良くなって、何となくぼんやりと手伝ってくれている(少なくともリリーはそう感じた)。

休暇が終わってからもリリーは地下牢教室の一つを借り続けていた。休暇中のように散らかしっぱなしには出来ないが、それでも大助かりだ。何せ目標の期日までは多く見積もっても1ヶ月ほど。

フリットウィック曰く『近頃のリリーの魔法薬研究は殆んど病的だよ!』ホグワーツ職員としての仕事はきっちりこなしているため止めこそしないが、リリーに用事があるときはまず地下牢教室を探すのが職員の中で通例と化していた。




6月も数日が経ったある日の午後、リリーはハグリッドと二人、クィディッチ競技場にいた。リリーは競技場にかけられた人避け呪文の補強とハグリッドのサポート、ハグリッドは生け垣の世話をするためだ。

風はなく、生温い空気が漂っていた。生け垣がミチミチと軋み生き物のようにひしめき合う。


「リリー!ちょっくら手を貸してくれ!」

「あと5分待って!」


リリーは急ぐ素振りもなく杖を複雑に動かした。年齢線と人避け呪文が組み合わさったこの呪文は面倒なことこの上ないが、代表選手を始め生徒が悪戯に入り込まないようにするため疎かにはできない。ここの補強はホグワーツ職員の持ち回りだった。


「ハグリッド、今行くー!」


ようやく一仕事終えて、リリーが杖を箒へと持ち変える。既に生け垣の背丈は4メートルを超え、ハグリッドさえも隠してしまっていた。


「お待たせハグリッド」

「俺がここの生け垣の面倒見る間、そっちの悪魔の罠を押さえといてくれや」

「任せといて」


聳え立つ生け垣が作り出す薄暗さに持ち込んだランプを灯す。リリーは標的を確認すると何度か杖を振りリンドウ色の篝火を用意した。うねうねと避けるように不気味に動く蔓に合わせ、ハグリッドから遠ざける。彼はツンと鼻を刺激する臭いの肥料を鼻唄混じりに撒いていた。


「イテッ!」

「ハグリッド?」


リリーは悪魔の罠を抑えきれなかったのかと視線を走らせた。しかし確かに悪魔の罠はリリーの火によって怯えるようにその蔓を丸め縮こまっている。リリーはランプをハグリッドの手元へ寄せた。


「食中蔓がもうここまで伸びてきちょる。ちと肥料をやり過ぎた」

「有毒じゃなくて良かった。あとで手当てしよう」

「こんくれぇの掠り傷、何てことねぇ。心配すんなや」

「んー、うん……」


リリーの返事はとても曖昧だった。ハグリッドが食中蔓の刈り取りを始める間も気はそぞろで、受け答えはしっかりしていたが時折視線が下へと落ちていた。


「お前さんどうした?俺に言いたくねぇことなら……ウン、なんだ、聞かねぇ」

「んー、いや、その……ハグリッドのことなんだ」

「俺の?」


自分のことだとはこれっぽっちも思わなかったハグリッドは上擦った声のあとポカンと口を開けた。リリーはぐいっと口角を上げただけの笑みを向け、ポケットへと手を忍ばせる。そこには試作段階の魔法薬があった。

試作とは言え自信がある。あとは実際に使ってみなければと、ここ数日持ち歩いてはいたのだ。機会に恵まれても、言い出せなかっただけで。


「ハグリッドは医務室の薬が合わないって言ってたでしょ?だからハグリッド用に作ってみたんだ、薬。自信はある、絶対に害はない。あなたさえ良ければ使ってみてほしいんだけど、実質実験台だから言いづらくてね」


小瓶を片手に乗せ胸の前まで上げる。チラリとハグリッドを窺えば、口はまだあんぐりと開いたままだった。


「リリー……!」


途端、ハグリッドの大きな手ががっしりとリリーの両肩を掴む。そして、ガクガクと揺さぶられリリーは咄嗟に手を握りしめた。掌の中でたぷたぷと薬が揺れる。抑えきれずにランプの灯りもチラチラと不安な揺らめきをしていた。


「お前さんはこのところ地下に籠りきりだと聞いとった。まさか俺のために?ずっと?」


そうだ、というのも気恥ずかしくて、リリーは肩を竦めた。彼に肩を掴まれたままで上手く伝わったかは分からない。


ハグリッドは喜んで薬を使ってくれた。数滴傷口に垂らせばひつじ雲のような湯気がポポポと上がり、忽ち血が覆い隠された。しかし完治とは呼べない。火傷痕のような突っ張った薄い膜状の皮膚が中途半端に出来ただけ。ポジティブに捉えるなら、失血への応急処置として使える。それでもハグリッドは感激し、リリーを幼子のように軽々と抱き上げた。





校庭でハグリッドと別れ、リリーは一人大きな樫の扉を開ける。やけに賑やかな大広間を素通りし、地下牢教室への階段を下った。右手にはコプリと揺れる小瓶。今なら何か閃きそうだった。


「エバンズ」


リリーは地下牢教室の一つを開けようとして、ピタリと止まる。いつの間にかスネイプが側にいた。手を後ろで組み胸を張って、彼女を見下すような視線を寄越す。


「こんばんは、スネイプ教授。何かご用ですか?」

「夕食の時間だ」


大広間が賑わっていたのはそのせいか。そう言えば匂いも漂ってきていたような気がする。煎じ薬で頭が一杯になって気がつかなかった。


「地下牢教室は飲食厳禁でしたね。分かっています」

「また食べ損ねる気ではあるまいな?たまにはご自分でミネルバの小言を聞いてはどうかね?」

「しかし……」


リリーは手元に視線を落とした。今なら何か閃くかもしれないのだ。初めて効果を試した興奮のまま研究に身を浸したい。

なかなか躱せそうにない彼をどう追いやろうかとうんうん唸っていると、視界にぬっと長い指が現れた。そしてくいくいと掌を曲げる。リリーの視線を追ったスネイプが小瓶を寄越せと無言の圧力をかけてきていた。

今まで相談は持ち掛けなかったが頑なに隠していたいわけでもない。リリーはおずおずと彼の手に小瓶を転がした。


「核はハナハッカか。ならば回復薬……それとグリンデローの角がどう繋がる?」


香り、色、と小瓶を丹念に調べ上げたスネイプが独り言のような呟きを漏らす。

どうせすぐに相談を持ち掛けてくるだろう、とスネイプは自分から突っ込むことはしなかった。しかし今回ばかりは一人でやり遂げると決めたらしく、彼女は一向に頼って来ない。


これまで散々質問を持ち込んでおいてピタリと止めるとは


今なら年度が終わる度に涙ぐんで生徒を送り出していたマクゴナガルの気持ちが分かるような気がした。推察出来るだけで同じ気持ちにまでは到底なり得ないが。


イースター休暇以降、エバンズは今までの研究を放り出して新たなものに手をつけ始めた。注意深く観察するまでもなくそのくらいは察せる。理論も調べ上げていたようだから手をつけ始めたのはもっと前からだろう。

スネイプはカチャリカチャリと頭で筋道を組み立てながら再度小瓶を眺める。自分が利用価値はないと切り捨てたものを拾い上げ何かしらを形作っていく彼女。魔法薬学に従事する者として興味を抱かずにはいられなかった。


「半巨人族用です。或いは、巨人族用。純粋な魔法族には利用価値がなくとも、彼らにとってもそうだとは限りません。現にそれは、少しですが、傷薬としての効果を示しました」

「ハグリッドか」

「はい」

「何故君はそこまで彼に?」

「友達の怪我を見ていたくないから。――なんて、ただの自己満足ですよ。あとは、何となく閃いたから?」


リリーは人を誤魔化すにんまりとした笑みでスネイプを真っ直ぐに見つめた。彼の口角がひゅっと下がると、逃げるように彼の手から小瓶を抜き取り。地下牢教室への扉へ手をかけた。


「君が行くのは大広間だ」


空いた手でペチンとスネイプが伸びたリリーの手に触れる。そして彼女の肩を掴みぐるりと無遠慮に身体を捻らせた。釣られてリリーが足を向けると、トンッと背中を押す。


「え、わっ!」

「連れて行かなければ我輩が迷惑を被る。無理矢理足を動かされたいのなら、喜んで引き受けよう」


ローブの杖へと伸びるスネイプの手をリリーが慌てて止めた。観念したと小瓶をポケットへ入れる彼女にスネイプがほくそ笑んだ。

席に着くまでの僅かな時間、リリーはポツリポツリとハグリッド用の傷薬について話し始める。隣で僅かに口角を上げるスネイプに、生徒はみな一様に彼のトレードマークである眉間のシワを向けていた。







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