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13

 ――それにしても、ここはどこなのだろう。当然の疑問が今更になって湧き出てくる。水の神殿で聴いた海に沈んだ街というのがここならば、名前すら残されていないというのは奇妙に思えた。あれだけ立派な神殿を擁していたのだから、元々はかなりの規模だったと思っていいだろう。逸話の一つでも語り継がれていて良さそうなものなのに、まるで意図的に排除されているかのようにも感じられた。
 海水が揺らめく空を見上げる。結果的にレイアの言った方法で訪れることになってしまったようだが、どれくらいの深さにあるのだろう。これまで誰にも見つかっていないのだから、人が潜れるような深度ではないはずだ。もしくは、街を包む膜がなんらかの力で目隠しをしていたか。八百年もの間巧妙に隠されてきたのに、今になって存在をほのめかすような遺物が引き揚げられたのも不思議な話だ。
 つらつらと考えているうちに、神殿は既に目の前に来ていた。なだらかな階段を上りきれば、白い柱が立ち並ぶ入口である。
 近くで眺めると、この神殿もまた長い時に晒されたものであるのが分かった。他よりましではあるものの、そこかしこがひび割れ、砕けている。それでも柱の装飾にはっきりと精霊の意匠を見て取ることができた。描かれているのは三人の女性、だろうか。船で見せてもらった石の彫刻とよく似ている。これで何の精霊が祀られていたのか明らかに出来れば良かったのだが、残念なことにユイスでは知識不足のようだ。
 そしてもう一つ。神殿の付近まで来ると、足下の砂礫に薄緑の結晶が混じり始めていた。これも船で見た物と同じである。粒の形は不揃いで、もっと大きな物が砕けた跡のようにも見える。
 聖堂の扉は、ユイスを招き入れるかのように僅かに隙間が開いていた。誘われるままに中へ入ろうと足を踏み出し――そして、すぐに立ち止まった。
「動かないで」
 冷徹な声と共に、首筋にひやりとした感触が走る。刃物だ、と反射的に判断し、ユイスは息を詰めた。人の気配など無かったはずだ。いつの間に背後を取られたのだろう。
「……どなた様かな」
「それを訊きたいのはこっち。どうやって入ってきたの」
 苦し紛れに間の抜けた質問を放ってみるが、相手の対応は冷ややかだった。とても対話できる雰囲気ではなさそうである。今の状態で得られる相手の情報は、刃を持つ腕が存外華奢であること、声が女のものであること。女性が相手ならユイス一人でも立ち回れないこともなさそうだが、こんな場所にいる時点で相手もただ者ではないはずだ。迂闊なことは出来ないが、どうしたものか――そう思案を巡らせ始めたところで、更に別の声が割って入った。
「メネ、やめなさい」
 その人物は、突如として現れたように見えた。足音も、衣擦れの音さえひとつも立てず、気付けば神殿の扉の前に一人の女性がいた。短く揃えた濡れ羽色の髪、深い知性が垣間見える葡萄酒色の瞳。ドレスは胸元と裾に花の意匠があしらわれ、歩く度に生花の如くふわりと揺れる。上品な装いも、洗練された所作も、廃墟に似合わない立派な貴婦人のものだった。
「客人だと言ったでしょう。もう忘れてしまったの?」
「ノヴァ」
 窘めるような声に応じて、ユイスを拘束していた相手が喉元から刃を引いた。メネと呼ばれた彼女は、もう一人――ノヴァという名らしい人物の元へ駆け寄っていく。そこでようやく、ユイスは自らの動きを奪っていた者の顔を知ることが出来た。首筋を流れる髪は青く光沢を放つ銀、大粒の宝石のような瞳は澄んだ藤色。年齢的にはノヴァという女性と変わらないように見えるが、随所にフリルをあしらった衣装のお陰か幾分幼い印象を受けた。


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