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 イローのねぐら、と名付けられた町唯一の宿屋は、こぢんまりとしていたが中々に快適なものだったと思う。主人が大変気さくな人柄で、慣れない町だからと細やかな気配りをしてくれたお陰だろう。部屋も人数の割りに広いものを用意してくれたし、食後にはおまけだぞ、と言ってもぎたての林檎を切ってくれたりもした。何でも若い旅人が泊まるのは久しぶりらしく、随分張り切っていたようである。
「……確かに、年配の客が多いようだな」
 手にした本のページを捲りながら、ぼんやりとユイスは呟いた。朝食を摂るために訪れた食堂では、既に他の客がちらほらと見受けられていた。皆、壮年かそれ以上の者ばかりである。いくら神殿があるとはいえ、不便な田舎町を積極的に訪ねる者は少ない。よほど熱心な巡礼者か、そうでなければ近場の者か。それらに熟年者が多いことを考えれば、当然の光景なのかもしれない。
「そうですね……ところで、ユイス様。昨日から気になってたんですけど、その本はどうされたんですか」
 相槌を打ちながらも、レイアの視線はユイスの手元へと注がれていた。そういえば言っていなかったかと、ユイスは本を軽く掲げて見せた。
「ああ、これか? 神殿から借りてきたんだ。ぼんやりしてる時間が勿体無いからな」
 革の表紙の、古めかしい本だった。紙は黄ばんでいるし、文字も所々擦れて読めなくなっている。読み物としての状態は非常に悪いが、統合以前のエル・メレクの歴史が記された貴重な資料である。クロック症候群についての前例がないかと、昨夜から目を通していたのだ。
「よく、レナード司教が貸してくれましたね……」
「司書に事情を話したら快く貸してくれたぞ。こちらで話は通しておくと」
 滞りなくそう説明していると、テーブルでビスケットを齧っていたイルファが思い出したように声を上げた。
「おー、おれ知ってるぞー。ワイロっていうんだよなー」
 イルファが軽く言い放った言葉を聞いて、レイアの表情が一瞬凍った。そのままイルファを暫く見つめたかと思うと、ゆっくりと視線を移す。
「……ユイス様」
「なんのことだ」
 思わず舌打ちしたくなるのを堪えて、ユイスは平静を装った。見ていたのか、というより精霊がなぜ賄賂などという言葉を知っているのか。
「嘘は良くないぞー。なんか渡してたの見たぞー」
「渡したんですね……?」
 追い討ちをかけるイルファと、レイアの引き攣った微笑みに根負けし、ユイスは息を吐いた。
「……情報が少しでも欲しいんだ。司教は耳を貸さなかっただろうし、仕方ないだろう」
 恐らくレイアが気にするだろうからと、あえて濁していたというのに。恨みがましくイルファをみれば、本人は何食わぬ顔で再びビスケットを齧り始めていた。
「大丈夫、なんですか? そんなことしちゃって……」
「手掛かりを得るための必要経費だ。こうしている間にもクロック症候群が広がっていることを考えたら、手段を選んでばかりもいられないだろう」
 きっぱりと言い切ると、ユイスは本に視線を戻した。無論、そんなことをしないで済むならそれに越したことはない。しかし大勢の民を救うためと思えば、法に少々背くことに躊躇は無かった。何か言いたげなレイアに声を掛けるもことはせず、紙面の文字を追う。既に八割程を読み終えていたが、今のところ新たな収穫は無かった。


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