天弥見聞録 | ナノ


【次の本】7f:Dreams / 序章

閃Wのプロローグが公開されたので、便乗(?)というか尻叩きも兼ねて置いておきます。
リィン+アルティナ中心本の予定です。夏くらいに発行出来たらいいなーと思ってます。



【祈り望む事はただ、】


 何も届かない。一筋の光さえも。
 何もすくえない。誰かの命も、大切な刻も、手のひらをすり抜けていく。
 何も守れない。無力な自分には、一つも。
 何も聞こえない。――――否、誘うように響く声がある。

 踊れ、狂え。染まれ、浸れ。

 耳を塞いでも聞こえる声。抗おうとする心が軋む。拒む事を許さないようにリィンの脳裏へと響き渡る。目前で起こっている事は事実なのだと、杭のように打ち込まれた。
 食い千切られるのではないかと思えるような体の痛みと、心に突き立てられるそれらが、彼の感情を容赦なく掻き乱す。内側に押し込めているものを引っ張り出す為に、枷を壊そうとする。
『躊躇えば、また誰かが傷付いてしまうかもしれないから』
『分かっている。分かっているんだ。自己犠牲がエゴでしかない事も、残される側の気持ちも』
『それでも、こんな俺を想ってくれる皆を守りたい。失いたくないんだ』
『そうなるくらいならば……』
 抱いた想いが覆われ、飲み込まれる。

 ――俺は、何をしているんだ?

 爆破され墜落する、紅き翼。手の中で消えていった、大事な級友。
 誰かを失うものか、と己の中に抱いたそれは一体何だったのかと、心の中のもう一人のリィンが、彼に問いかける。救う為に伸ばした手は、届く前に無意味なものとなってしまった。失われかけた命を、繋ぎ止める事は叶わなかったのだから。
 虚無の剣を手にしたその瞬間、少しずつ沸き上がっていた負の感情が、支配するように一気に広がる。

 痛い。苦しい。嫌だ。黙ってくれ。
 逃れられもしない、抗えもしない、救えもしない。どうすればいい。
 憎い。許せない。大事な存在を奪ったものも、無力な自分も。
 それならばどうする? 何をすればいい?
 そうだ。奪ってしまえばいい。滅ぼしてしまえばいい。跡形もなく。
 滅びろ、滅んでしまえ。消えろ、消えてしまえ。
 いっそ、堕ちてしまえばいい。そうすれば、苦しみから解放される。

 身を裂くような痛みは消えない。声にならなかった胸中の慟哭はやがて枯れて、駄目だと抑え込む感情を押し退け、絶望と怒りに染まるがままにリィンは黒へと手を伸ばす。
 叩き壊された枷の破片が突き刺さる。内側から襲い来る鋭利なそれが、彼の黒い感情を煽って表へと押し出す。
 心に亀裂が入ったのか、壊れようとしているのか。それさえも分からない。
『――それでは始めるとしよう、リィン。世界を絶望で染め上げる、昏き終末の御伽噺を』
 リィンが最後に聞いたのは父≠フ声だった。告げられたそれの意味を理解する前に、頽れるかのように彼は意識を失う。
 差し込んでいたはずの一筋の光は、もう、どこにも見えなかった。

 世界を染め上げた暗黒が、掴みかけた光を掻き消してゆく。
 ささやかな願いは遠ざかり、約束は硝子のように砕け散る。
 夢見た光景は零れ落ちていき、無へと溶けて何も残さない。

「……俺は……」
 黄昏色の空間を、幾つもの緋色が舞う。音もなく、ただ静かに。考えかけた事があっても数秒で消え、世界から色がなくなっていく。
 大半が白黒になった世界の中で、リィンは握っていた光の欠片を落としてしまう。拾い上げようとしても、伸ばしかけた腕から力が抜けた。
 足元が崩落するような感覚に身を任せて、唯一残っていた色、黄昏の中へと頽れる。

 行かないといけない。――――どこへ?
 やらないといけない。――――なにを?
 止めないといけない。――――だれを?

 動かない。動けない。心の片隅に居る己が何かを訴えていても、何かに縛られたかのように、リィンの体は言う事を聞かなかった。
 霞む視界の中、緋と黒が身を封じるように絡み付いてくる。僅かに残っていた意識が吸い取られ、目の前は暗黒へと染まっていく。

 ――今はしばし休んで、そして立ち上がろう。

 抗うのを諦め、目を閉じる寸前に聞こえた声は、一体誰のものだったのだろうか。


 ◆


 意識が引きずり込まれていく。遠くにあった何かの中へと。
 現実が溶けていき、反響する鐘の音と静かに混ざり合う。
 奥底に抱いていたものが浮き上がって、はっきりとした色を持ち――――

「リィン教官?」
「!」
 聞き慣れた声に呼ばれて、リィンが目を覚ませば、見慣れた風景が視界に入る。
 自分が居る場所を理解するのに、五秒も要らなかった。
「……俺の、部屋?」
「教官、大丈夫ですか? 随分と魘されていたようですが……」
 ベッドの横に立っていたクルトが、心配そうにリィンを覗き込んでくる。
「魘されてた?」
「ええ。……、顔色も少し良くなさそうですし……もし体調が悪いのなら、無理はしないでください」
 僅かに目を逸らしたクルトは、言葉を一つ飲み込んだようだった。
 たまには自由行動日に休む事を覚えてください、と。付け足して言われてしまった部分に対して、リィンは苦笑するしかなかった。何も言い返す事が出来ないのだ。
 体に妙に力が入らず、窓から差し込む光を遮断するように、リィンは腕で顔を覆う。確かに体調は優れない気がしていたが、それとはまた、違っている気がしてならなかった。
「……悪い夢でも、見たのかもしれないな」
 あちこちが痛むような感覚と、心臓を何かに掴まれているような違和感が、微かな気分の悪さを払わせてくれない。
 リィンは軽く頭を振る。少しだけ意識が浮き上がった。
「それより、クルトはどうしてここに?」
「どうして……と言われましても。約束の時間になってもリィン教官の姿が見えないので、僕がクロウ教官≠フ代わりに様子を見に来たのですが……」
「……え?」
 あり得るはずのない、そう感じる言葉を拾い上げて、彼の思考がぷっつりと途切れる。
 ――今、クルトは何て言った?

「待ってくれ、それって……」
「お、起きたかよ? お前が寝坊するのは珍しいじゃねーか」

 出かけたリィンの言葉を遮った声は、聞き間違えるはずもない。開きっぱなしだった扉からひょっこりと顔を出したのは、二つの銀だった。
「…………クロ、ウ?」
 リィンがどうにか絞り出した声でその名を呼んでみると、クロウは肩を竦めた。
「オイオイ、どーしたよ。幽霊でも見てるような顔しやがって……な、アルティナ?」
 どうしたも何も――と彼は言いかけたが、それは勝手に奥底へと引っ込んでしまう。
 声を掛けられて、クロウの後ろから顔を出していたアルティナが、一歩前に進み出た。
「クルトさんの戻りが遅いので、わたし達も来てしまいました」
「アルティナ……」
 目の前の現実が信じられない気持ちと、現実だと思っていたものが夢のように霞んでいく感覚。
 寝ぼけているかのような心地に、リィンは頭を掻いた。四人で何か約束をしていたのだろうか、と、記憶を辿ろうとしてもそこには何もないのだ。
「リィンお前……まさか、今日の約束を忘れたワケじゃねーよな?」
 彼の胸中を察したのか、クロウが苦笑いを浮かべつつ、どこからか取り出した手帳を捲り、今日の日付を指す。
「……約束……」
「わたしとクルトさん、クロウ教官、リィン教官の四人で帝都まで買い物に出かける事になっていたはずですが……」
「……買い物……」
 白紙のページに書き足した用事と、合わせて作り上げた記憶。咄嗟に取り繕ったそれらを、リィンはどうにか自分の中に刻み込んだ。
 脳裏を過ぎる断片。痛みを伴う追憶は、途中で止められてしまう。
「……。……ごめん、寝ぼけてたみたいだ。そうだよな、帝都まで行くんだった……急いで支度するよ」
 彼らを相手に、はぐらかしきれるとは思っていない。ただ、それくらいしか言葉が出ず、リィンは誤魔化すように壁に掛かっていた私服を手に取った。混濁する記憶を整理する時間が欲しかったが、それは夜にでもすればいいと、彼は再度、緩く頭を振る。
 ああ、本当に、悪い夢だったのかもしれない。今は、己にそう言い聞かせておいた。
「リィン教官……大丈夫ですか?」
「大丈夫だ。三分、はちょっとキツイな……五分待ってくれないか?」
「そう、ですか。それならば、いいのですが……」
「そんじゃ、寮の外で待ってるぜ」
 部屋を出て行くアルティナが、そんなリィンを心配そうに見つめる。共に居る時間が長いだけあって、何か感じるものがあるのだろう。
 扉を閉めて、リィンは一度、深い息を吐いた。
 急いで着替えつつ、カレンダーを見ると、そこには千二百八年・四月≠ニ書かれている。その数字が、部屋を訪れた面々が意味する事は、たった一つだけだ。
「……」
 命と同じ重みを振るい、大きすぎる何かの引き金を引いてしまったかのような、そんな感覚がリィンの手の平に残っていた。
 自分の胸に手を当て、鼓動がある事を確認して、彼は鏡の前に立つ。
 そこには、毎朝鏡で見ている、いつものリィン・シュバルツァーがいた。
「…………みんなを待たせちゃいけないな」
 手際よく、普段よりも手強くない寝癖を直す。運が良いなと思ったところで、彼の体内の時計では既に三分が経過していた。
 小さめの鞄に財布と手帳を詰め込んで、リィンは小走りで自室を出る。階下へ向かう途中は、誰にも会わなかった。自由行動日だからだろうか。
 一階にも人の気配はなく、彼の足音だけが小さく響く。一度だけ周囲を見回して、リィンが静かな寮の扉の取っ手に手をかけ押すと、吹き込んだ風が黒髪をそっと揺らしていった。

 空は高い。あたたかな空気と共に、春というはじまりの季節を彩っている。
 トールズ士官学院・リーヴス第二分校の二年目≠ェ、リィンの目の前にあった。

 白い花びらが舞う中、リィンは目を一度だけ擦った。愛おしいとさえ感じる風景が歪む事も、消える事もない。現実として、そこに在る。
 遠くで霞むものが、忘れてはならないと告げるものがある。輪郭を失い、徐々にぼやけていく何かが、警鐘のような音を残して揺らぐ。
 それでも、彼は踏み出さずにはいられなかった。かつて希った、平穏なる日常の中へ。
「…………」
 手を伸ばせば届きそうで、世界中どこにでもあるような願い。
 リィン・シュバルツァーが望んだものは、英雄としての名声でも、内戦を終結させたと称賛する声でも、皇族から与えられる栄誉でもない。


 ――――俺が今居るここ≠ヘ。


 そこにある光景が、ただただ眩しくて――ほんの少しだけ泣きそうになってしまった理由には、手が届かなかった。


2018/05/02 23:48

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