天弥見聞録 | ナノ


【ワールドトリガー】てのひらのむこう。

※アニトリだけにあった描写突っ込んでます。あと都合よく未来視が動いてない。たぶん。


 肌寒さは相変わらずの夜。風に乗ってはらりと飛んで行った木の葉を目で追って、彼はーー迅は、屋上の片隅で小さく息を吐いた。
「……」
 大規模侵攻から、どれくらいの時間が経っただろう。迅が街を歩けば、なんともまあ様々な映像が視えた。数え切れないほどの未来の欠片。その中に凄惨なものが一つも視えなかった事に安堵して、玉狛支部に戻ってきて、彼はそのまま寝ようと思ったものの、なかなか寝付けず今に至る。トリオン体だと寝付きが悪くなる、という噂は、強ち嘘ではないのかもしれない。
 夜風が迅の上着を揺らし、去っていく。静寂の夜。しんとした空気の中、彼の脳裏をふと過ぎったのは、かつてここで三雲と交わしたやり取りだった。
『迅さん』
 今でも、あの時の三雲の声は迅の脳裏に焼き付いて離れない。
『ぼくは確かに死にかけましたけど、それ以上に今まで迅さんに助けてもらってます』
 初対面がああだったしなぁ、と思い返していたけれど、その時の迅には何も言えなかった。
『迅さんに貸しがあるなんて思ってませんから』
 三雲なら、本当の事を話してもそう言うだろうと思っていた。思っていたからこそ、迅は言い出せなかった。誰かにとって不幸を招くかもしれない選択をする決意を固めていても、雨取を囮にしてしまった事に対する後悔はなかなか払拭出来ていなかった事も、ある。その後悔を否定し打ち消してくれるような言葉を三雲が言うであろう事を、分かっていたからだ。
 未来視のサイドエフェクト。何人もの人間の命を救ってきたと同時に、きっと何人もの人間の命を切り捨ててきた力。ボーダー上層部や仲間達からの信頼という名の重みは鉛の如く迅にのし掛かっているが、彼はそんな事はまったく思わせない様子で立ち続けている。すべてを背負っても決してふらつかずに、最善の未来へと誘導するーーそれが己の為すべき事だと、未来視を得た時から決めていたからかもしれない。

「迅」

 唐突にかけられた幼い声は、普段ならばこの時間は布団の中にあるはずのものだった。
「陽太郎? どーした、こんな時間に」
「ねむれないのか」
「それ、おれの台詞だって」
 時刻は二十三時五十五分。いつも一緒の雷神丸は、今はいない。
 小さな体でぽてぽてと歩いてくる陽太郎に向き直って、迅は苦笑する。お子様が起きているべき時間ではないというのに、わざわざこんなところまで来てーーそれさえも、一応、視えてはいたのだが。迅は敢えて、手を回して止めようとはしなかった。
「きょうとあしたのさかいめは、おきていなければいけないからな」
「どうして?」
「それは、おれからはいえない」
「そっか」
 足元まできた陽太郎は、じっと迅を見上げてくる。
「それよりも、迅」
 薄っすらと視えたものの意味は、よく分からなかった。考える前に、頭が勝手に思考を放棄したからだ。そうした理由は彼自身にも、よく分からない。
「ん?」
 迅が屈んで陽太郎と目線を合わせてやると、すっと腕が伸ばされる。なんだ、おぶってほしいのかと迅が言えば、陽太郎は黙って頷いた。
「はは、やっぱまだ甘えんぼだなぁ」
「む……おれのにんむなんだ、しかたがない」
 日々健やかに成長を続けているけれどまだまだ小さな体をひょいと背負って、迅は夜空を見上げる。真っ暗な黒の中に、ぽつぽつと輝く光。思えばこんなにゆっくりと星を見たのは何時ぶりだろうかと、彼はほんの僅かに息を吐いた。
 両肩にずしりと乗った重みは、このお子様隊員が起きている事が限界だという事を伝えてくる。
「眠くないの? いつもなら寝てる時間だろうに」
 その問いかけは、わざとだった。迅は陽太郎が今寝る訳にはいかない理由をなんとなく察しながらも、察していないふりをした。
 肩に置かれたもみじのような手のひらが、とんとん、と肩を叩いて迅に何かを訴える。今度は肩車かとすぐに気付いた彼は、よっと、と力を少しだけこめて、眠気と戦う陽太郎を上まで持ち上げた。
「……ほしとそらがちかいな」
「なかなかロマンチストな事言うね」
「けど、レイジのほうがちかくなる」
「そりゃ、おれとレイジさんじゃ身長違うしな」
「……」
「陽太郎? ほら、眠いなら早く寝ーー……」
 迅の言葉は、途中で途切れる。突然視界に、見ていた夜空よりも更に真っ暗な、なんにもない暗闇が広がったからだ。けれど、どこかあたたかく感じてしまうのは、陽太郎の手のひらを押し付けられて作り出されたものだからだろうか。

「じん」

 迅の視界を小さい手のひらで覆った陽太郎は、眠さと戦いながら、考えていた言葉を心の引き出しから引っ張り出す。
「いまは、なんにもみえないか?」
「……。そーだな、おまえに覆われてるせいで、なんにも」
「すこしだけはなしをしないか?」
「……陽太郎おまえ、だんだん支部長に似てきてない?」
 隙間から少しだけ見えている事は言わないでおいた方が良さそうだ、と迅は黙っておく。
 どうぞ、と促してやれば、陽太郎は迅の目を覆ったまま口を開いた。
「ヒュースがいってたぞ。アフトクラトルがてったいした、おさむがしななかったとわかったとき、”ジンは敵の前なのに寝転んで笑っていた”と」
「ああー……あれね。ついだよ、つい」
 大規模侵攻ーーあの時は未来が何度も何度も揺らめいて、何度も何度も転がった。最悪な結末には辿り着かないように奔走したあの日が、迅は随分と遠く感じた。さほど日は経っていないというのに、だ。
 アフトクラトルが撤退し、三雲は重症でありながらも一命は取り留め、狙われていた雨取は無事にボーダー基地へと入った。その通信を受けた瞬間、迅は自身を繋いでいた糸がぷっつりと途切れたような気さえしていた。安堵からくる脱力感でそのまま地面へと倒れ込み、込み上げてきた笑いを抑えきれずにはいられなかった。犠牲がなかったわけではない。一番最善の未来に辿り着いたわけでもない。それでも、最悪の結末を逃れた、それだけで。
 ただ、撃ち込まれた鉛弾の如き罪悪感は残っていた。三雲が運び込まれた病室を訪れた時に、迅は頭を下げずにはいられなかった。
『……すみませんでした。おれが……おれが、二人を傷付けたんです。謝っても、どうにもならない事は分かっています。それでもーー』
 三雲の母と雨取に、何度もそうして迅が謝罪をした事を知る者は少ない。
 未来視がもたらす選択はいつも、迅に決断を迫る。大を取るか、小を取るか。或いはそのどちらも見捨てるか、救うか。忙しなく揺れ動くそれに心悩ませながらも走り続ける日々は、まだ、終わりが見えそうにない。
「迅は、おさむたちがきずついたのは、じぶんのせいだっておもってたのか?」
「……」
「おれは、そうはおもわないぞ」
 頭に寄りかかる重さが増して、迅はまた苦笑いを浮かべた。ほんとに限界なら、素直に眠いと言って部屋へ戻ればいいのにーーなどと言ってやる事は、彼には出来なかったが。
「きめたのは、おさむたちだ。迅じゃない」
「……陽太郎」
 まるで何かの台詞を丸暗記してきたかのように、陽太郎は目を擦りながら話す。おかげで片側だけ開けた視界には、一瞬だけ、夜空を駆ける流れ星のようなものが見えた。
 こくりと揺れた陽太郎の頭が、ごん、と迅の後頭部にぶつかる。かわいい痛みだった。
「だから、迅は……おもくない…………むにゃ……」
 迅は、陽太郎が言いたい事を分かっていた。幼いなりに、頑張って伝えようとしてくれていたのだ。とっくに気付いていた事だとしても真っ直ぐ見られていなかったそれを、改めてぶつけられたような、そんな感覚だった。
「ちょ、ちょっと待った陽太郎。こんなとこで寝たら風邪ひくぞ」
 重みが増していく。慌てて背中まで陽太郎を下ろして、背負い直してからほっ、と、迅は再度息を吐いた。陽太郎はもう睡眠の世界に連れて行かれてしまったようで、迅の背に全体重を預けて寝息を立てている。
 その時、きい、と扉が開かれる音がする。

「そうしてると兄貴みたいだな、迅」
「嵐山」

 開かれた扉の先から顔を出したのは、ここ数日見かけていなかった嵐山だった。
 眠気に負けてすやすやと息を立てる陽太郎を微笑ましそうに見ながら、嵐山は静かに屋上の扉を閉めて迅に歩み寄る。その手には、一枚の紙が握られていた。
「迅にはお見通しかもしれないけど、伝言を預かってるんだ。それを伝えに来た」
 分かってるかもしれないけど、最後まで聞いてくれよ。
 嵐山がそっと広げた紙には、一日のスケジュールのようなものがみっちりと書き込まれていた。どうやら陽太郎が作成したものらしい。平仮名ばかりのそれはきっと、陽太郎一人で作り上げたものではないのだろう。
「”こなみとかいものへいって、レイジとりょうりして、とりまるといっしょにくんれんして、おさむたちとぼんちあげをたべて、おれとあそぶ。そのあとはまちへでかけて、のんびりすごす。ゆうがたになったら、こんどはおれとパトロールにでかける。そして、かえってきたら、”……この先だけは何も書かれていないな」
 お世辞にも綺麗とは言えない文字なのに加えて、平仮名の羅列であるというのに詰まる事もなくすらすらと読み上げた嵐山は、紙を迅に手渡して笑った。
 断片的には視えていた。買い物へ連れ出される事も、久々に厨房へ立つ事も、まったりとしている事も、エトセトラ。視えていたが、今ここで、ようやく全部が繋がった気がしていた。
 陽太郎が書き上げた”予言スケジュール”を、嵐山から受け取る。何度も書き直したのか、消しゴムで消した跡が幾つもあった。

「”きょう、迅はこうすごす。おれのサイドエフェクトがこういってた”ーーみたいだぞ。どうだ、迅? おまえのサイドエフェクトは、こう言ってたか?」

 同じ高さから迅を真っ直ぐに見つめる嵐山の新緑の瞳には、小さくも大きなあたたかさを背負った迅の姿が映っている。
「そうだなあ」
 紙を持った手で髪を無意識のうちに弄って、迅は陽太郎作の予言スケジュールにざっと目を走らせる。少しだけ間を空けて、彼はゆっくりと嵐山を見て笑った。心底、嬉しそうに見えたのは、きっと嵐山の気のせいではないのだろう。

「おれのサイドエフェクト”も”、こう言ってたよ。……全部一日に詰まってるとは、思わなかったけどね」

 それに視えてない部分もあるみたいだし、こんな一日になればいいなって思うよ。
 最後に付け足された言葉に、眠っているはずの陽太郎がもぞりと動いて笑った事には、嵐山しか気付いていなかった。










いつも以上にふわふわした話なんだけどつまり陽太郎とほのぼの〜させたかっただけのハナシ。あとおいしいとこ持ってく嵐山。



2016/04/09 00:00

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