【突発SS】ミクエドイルミネーション。
身を切るような冷たい風が吹いているけれど、エドナには自分が巻いていたマフラーを貸してやる事くらいしか出来なかった。
あちこちにいるカップルは、互いの手を握り合ったり肩を抱いたりしているというのに、僕らは触れ合う事さえ出来ない。ーーこっちから一方的にしてやったっていいんだろうけど、後で何を言われるか分かったもんじゃない。迂闊に手は出せないのだ。
「……」
「……」
普通は、これから見に行くものに対して期待に胸を膨らませ、そういった会話をするものなのだろう。お互いに視線を交えながら。
だけど、何を話していいのかが分からず、無言で駅から歩く。ザビーダ先生辺りが知ったらきっと、怒られるだろう。もっと女の子と話して互いを知れだとか、興味のありそうな話題で気を引いてみろとか、あれこれ言われるに決まっている。
その光景を脳内で想像して、仕方がないじゃないか、と、内心で溜め息を吐いた。僕はエドナの事を、まだ何にも知らないのだ。兄がいる事と、彼と二人暮らしである事、それからーー素直じゃない事と、本当は、寂しがり屋な一面もあるという事。それくらいしか、知らないのだ。
沈黙の移動時間。けれど、苦痛なものではなかった。原因は分からない。
「…………あ」
前を歩いていたエドナが、立ち止まる。いつの間にか目の前には、黒い何かががいくつも設置された広場があった。どうやら、到着出来たらしい。
すると”それ”は、突然、僕らの前に青い光と共に姿を現した。
「……!」
「……これが……」
広がる光、鳴り響く音楽、一面の青。音楽に合わせて時折切り替り、何色ものイルミネーションがオフィス街の夜に輝き始める。海にも星空にも見えるその場所は、僕らから言葉を奪ってしまった。
エドナが、僕が貸してやったマフラーを少しだけ口元まで引き上げる。まるで表情を隠すかのようだ。
一体何を考えているのか、と横から覗き込もうとしたその時、ふい、と逸らすようにしてエドナが歩き出してしまう。
「エドナ、どこ行くんだ」
「あっち」
小柄なエドナは人混みに紛れてどこかへ行ってしまいそうで、すぐにその後を追いかける。こういう時に手を握ってやれれば、とは思うものの、伸ばしかけた手はやっぱり、後少しのところで引っ込めてしまう。
器用にひょいひょいと道行くカップルやサラリーマンを避けて、エドナはイルミネーションの真ん中を突っ切るようにして伸びている道へと入って行く。訪れたほとんどの人が携帯を片手に写真撮影をしているというのに、一枚も撮らずに、すたすたと真ん中の辺りまで歩いて行ってしまう。
立ち止まったエドナに追いついて、さりげなく、その横に並ぶ。
「……綺麗だな。イルミネーションなんて、見るのは初めてだ」
流れている音楽に掻き消されて、言葉が返ってこない覚悟はしていた。なんだかんだ言って、エドナが目の前の青の世界に惹かれている事には気付いていたからだ。マフラーを口元まで引き上げた理由も、本人に言う気はないが薄々気付いている。
再びイルミネーションに視線を戻そうとしたその時、エドナがゆっくりとこっちを見た。止めて目を合わせれば、見上げてきたエドナが口を開く。
「そうね。……本当はお兄ちゃんと来る予定だったけど」
「うっ……アイゼンさんじゃなくて悪かったな」
エドナの青の瞳に青の光がちらついて、素直に、綺麗だと思ってしまった。
だけど素直に褒められるわけもなく、そんなクサい台詞はそっと奥底へと押し込んでおく。そうだ、それでいいんだ。それに、大切な兄であるアイゼンさんと来たかったに決まってるのだ。
一人で納得していると、じとりとした目をエドナが向けてくる。
「ーー勘違いしないでちょうだい。オンナゴコロが分かってないのね、だからいつまで経ってもミボなのよ」
「え?」
また歩き出してしまったエドナを、慌てて追いかける。
そこからは、ひたすらにイルミネーションを見て回った。これといった会話もなく、青の光の中、前を歩いていくエドナを、左斜め後ろの位置でついて行くだけ。このままでいいんだろうか、と思いつつも、そういえばこの前、四人でプラネタリウムに行った時も、僕らはこんな調子だった。これが一番、なのだろうか。今はまだ、よく分からない。
青に時々白が混じり、ピンクや黄色が混ざり、一旦消えたと思ったら次の瞬間には一面の青の世界へと戻るーー。見ていて飽きない光のショー。ここを訪れてから何分が経っただろう。
ふと、エドナが立ち止まる。さっきから何度も立ち止まってはしばらく眺める事を繰り返していたからさほど気にはならなかったが、何気なくその視線を追いかけてみると、あるものが目に止まる。
「あれは……写真が撮れるのか?」
青の世界の真ん中にある、クリスタルのようなツリー。その中には鐘があって、写真撮影をした人は一緒にそれを鳴らして帰っている。
鳴り響く、鐘の音。ガラス張りのビルに反射して、どこまでもその音が届いていくような気さえした。
「エドナ?」
声をかける。すぐに返事はなかったが、少し間を空けてから、エドナははっとしたような表情で顔を逸らした。
「あんなの、目立ちたがり屋がする事よ」
「……」
なんとも言えない、感情が読み取れない横顔。エドナが何を考えているのかは、悔しいが分かりそうにない。ーーただ一つ言えるのは、青の光を背景にした彼女の横顔に、どうしようもなく惹かれてしまったという事で。
時間が止まった気がした。数秒の逡巡。どうしても踏み出せなかったところへ、勇気を振り絞って足を踏み出す。
「行こう」
即決、というわけでもないけれど。なんとなく、あそこで写真が撮りたいのかと思ったから、エドナの手首を掴んで歩き出す。
「ちょ、ちょっと……!」
ミボってば、と呼び止められても、立ち止まらない。手を離しもしない。
周りの世界の音が、遠かった。優雅な音楽が流れ、人々の会話が飛び交っているはずなのに、それらがまったく耳に入らなかった。
鼓動が、ほんの少しだけ速い。誤魔化すようにして抑えつければ、後ろのエドナが軽く溜め息を吐いたのが分かる。
振り返ってみれば、エドナは相変わらず、マフラーで口元を隠している。
「せっかくの機会だ。損はないさ」
そんなのは言い訳の一つでしかないと、自分自身が一番よく分かっていた。
【?年後 シ・オドメ】
「あの時のミボはずいぶん強気だったわね。いきなりワタシとツーショットを撮りたがるなんて」
「言い方ってものがあるだろ、言い方が」
そう言いながら、夕陽のような色をしたカクテルを少しだけ流し込む。
あの時二人で見た青のイルミネーションは、眼下に僅かに見えていた。四十階越えの高さからだと、さすがにはっきりとは見えないが。
あの後。並んでいる間も無言、撮る直前まで無言、と、引っ張り出したものの会話はゼロという状況だった。勇気を振り絞ったのに、そこで燃え尽きてしまったかのような、そんな感じだ。最後まで手を握れなかったのも、それが原因なのかもしれない。
『……』
『…………』
『お次の方、どうぞ!』
スタッフから声が掛かって、エドナがぴくりと反応したのが伝わった。
『!』
緊張、しているのか。その時の自分には、エドナがどういう気持ちで撮影スポットに並んでくれたのかが分からなかった。
密着しすぎない程度の距離で横に並んで、スタッフの方を向いて、一枚目を撮る。上手く笑えていただろうか、と後で見せてもらった携帯の画面には、なんともぎこちない笑みを浮かべる自分が写っていた。
「今言わせてもらうと焦れったい。奥手。女々しい」
「今更そう言われてもね」
エドナの言葉は、わりと容赦なく突き刺さる。
二枚目を撮る時に、実はこっそり手でも繋いでみようかと思った。こんな時でないとこうする機会なんてないだろう、と思ったからだ。けれど、結局後少しのところで止まってしまい、二枚目はやたら互いの手の距離が近いという結果に終わってしまったのだ。
ほろ苦いような酸っぱいような昔の記憶を振り返って、思う事がある。
「……僕は怖かっただけなのかもしれないって、思うんだ」
エドナは割り込まない。続きを黙って待ってくれている。
「まだあの時の僕らは学生だった。あそこで一歩を踏み出す事で、学校生活の一部が変わってしまう事を、心のどこかで恐れてたんだ。きっとね」
からん、と。隣のカクテルから、氷の音がする。
「今まで通りに振る舞う事だって、出来ただろうけど。それがすぐに出来るほど、僕は器用じゃなかった」
悔しい事にね、と付け加えると、エドナは夜景を見て微かに笑う。
「ミボはいつだって不器用。今も変わらないでしょ」
「……君の容赦のなさもね」
数年前からちっとも変わる事のないやり取りに、どこか安心感を覚えつつ言う。
エドナは目線をこっちへ向けて、グラスを手に持った。
「これからも変えるつもりはないわよ」
空色のカクテルを飲みながら、だから覚悟しなさい、と言われてしまっては、苦笑いを浮かべるしかなかった。
色恋沙汰に関してはミボはぶきっちょさんだといいなと言いたいだけの話。
2016/02/08 22:25
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