03

「ごちそうさま」
 いつもの、食後のテレビという習慣を遂行する気にもなれない。せめてもの反抗で部屋のドアを荒々しく閉めて、引きこもり、枕元の携帯で親友の番号をタップした。数コールののち、くぐもった声がする。
「もしもし」
「智香? 私大変なことになってしまったよ……」
「少年への淫行で警察のお世話になった? そんなことよりさあ、私すごいことに気づいたんだけど、自分の顎に自分の肘ってくっつかない」
「どうでもいいよそんなこと!」
 親友の心ない冗談とほんとうにどうでもいい豆知識に気持ちをささくれ立だせながら、そしてなんとなく携帯を持っていないほうの腕を曲げて肘を顎にくっつけようとしながら、今に至るまでの経緯をかいつまんで説明した。ほんとうだ、くっつかない。
 兄の失踪のくだりになると、はあ、と語尾の上がったため息が聞こえた。
「比呂くん、失踪したの?」
「ジェニーと一緒にね」
「ジェニーって誰だよ」
 それについては私もまったく同意見だ。
「ステディーじゃない? とにかく、駆け落ちしたの」
 深々とため息をついた私に、ほんとうの話だと認識しはじめたらしい親友は、へえ、ふうん、と相槌を打つ。適当すぎないか、こちとら人生相談しているんだぞ。
「それでうちの親ひどいんだよ! 私の髪の毛を比呂と同じ長さにしやがった!」
「でもさ、亜衣、これは考えようによってはビッグチャンスじゃない?」
 兄の失踪や私の髪の毛がゴミになったことををさらりと受け止めて流した親友が、聞き捨てならないことを言う。
「どういうこと?」
「だって、亜衣、男の子大好きじゃん」
 そう、私は無類の男好き。不純異性交遊が好きだという意味ではなくて、触れたり観賞したりちょっかいを出すのが大好きという意味だ。あしからず。
 このまま正慶学園(男子校の名前だ、ご立派なお名前である)に入学すれば、周りは男だらけのパラダイス、親友はそう言っているのだ。
「亜衣、聞いてる?」
「あ、うん。聞いてる聞いてる」
「妄想して鼻血出た?」
「めっそうもない」
 ティッシュで鼻の下を押さえる。鼻血は出ていないが鼻水は出ていた。
「もう髪の毛短くなっちゃったんでしょ? そんなすぐには伸びないんだから、その分前向きに考えるしかないよね」
 そう、私の自慢のつやのある黒髪は無残にも今頃千円カットのゴミ箱の中だ。風通しのいい首筋を触りながら、私はもぞもぞと考える。親友は、悩んでいる私のことなどお構いなしに続ける。
「問題は寮生活だよね」
「どういうこと?」
「ほら、漫画なんかでよくあるじゃん、同室者にばれちゃうとか、そこから恋に発展するとか」
 たしかに、男子校に通ってそこでどうたらこうたら一悶着ある少女向けのコンテンツは腐るほど存在する。
「……アリじゃん?」
「それをアリと思うならそれでいいよ」
 若干呆れたふうにそう言った親友は、お風呂入ってくるから、と宣言し一方的に電話を切った。
 切れた、通話により温まった電話をいつまでも耳に当てながら、私は黙々と考える。
 もう決まったことだ。結局兄は現状では入学式までに連れ戻せなさそうだし、髪の毛もショートになってしまったし、今更後戻りはできそうにもない。母はこんな意味不明の無茶なことも、決めたら実行してしまうのが強みであり短所なのだ。それなら、せめて男子校ライフを満喫するしかないのではないだろうか。同室の男子が可愛い男の子、または筋骨隆々の男前であることを強く祈る。これくらい祈ったってバチは当たらないはずだ。だって運命の歯車は私を一度は見放したのだから。

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