10

「ああ、おなかいっぱい」
「そんだけでほんとに夜とか腹減らないの?」
「うん、まったく平気」
「ふうん」
 秋吉が何かを考えるように目を眇め、左手を口元に持っていく。そのしぐさの意味は分からなかったものの、それもまたいい感じにキマっているのである。
 食事を終え部屋に戻る途中、ひょろりと背の高いおそらく二年生か三年生かと思われる生徒に声をかけられた。
「一年生」
「は、はい」
 なぜピンポイントで私が声をかけられたのかは不明だが、すっと背を伸ばして返事をする。先輩は、にこり、と口元だけで笑う。
「分からないことあったら、いつでも聞いてね。俺、副寮長の佐竹。寮長と同じ部屋だから、A棟の一○一号室ね」
「……はい、ありがとうございます」
 軽く頭を下げてお礼を言うと、秋吉が私の腕を引っ張った。顔を上げると、佐竹先輩と秋吉が静かに睨み合っている。
「行こうぜ」
「うん」
 なんだか強引な秋吉に引きずられるようにして、階段を上る。
「秋吉、速いよ」
「お、ごめん」
 ぱっと手を離され、ふうと一息つく。佐竹先輩はもう見えなくなっている。先ほどのハブとマングースの一触即発な雰囲気のようなものはなんだったのだろう。
「体力なさすぎ」
「うるさい」
 息切れしてみっともないが、秋吉は背が高い分足も長い。なので相対的にチビの私にとって、引きずられることはちょっとした運動である。チビと言っても、一応百五十八センチはあり、女子の平均身長もこれぐらいのはずである。ちなみに兄は百六十センチあるかないかくらいで、私と大差ない。目測で、秋吉の身長は百八十センチ前後。まったく、天は二物を与えないと言うが、この美しい顔にすらりとした長身、すでに二物与えているじゃないか、と。
 部屋に戻り、私は個室のドアを閉めてベッドに寝そべる。枕を抱いて目を閉じうとうとしかけたところで、風呂に入りたい欲求が出てきた。しかし隣の部屋には秋吉がいるし、どうして彼が大浴場に行っている間に入っておかなかったのだ、馬鹿め。
 洗面所と風呂場を覗くと、すりガラスになっていて中の様子はぼやけている。これならばれないかな。
「秋吉、俺今から風呂入るけど、覗くなよ!」
「覗かねえよ」
 ドアの向こうから聞こえたのんきな声に安心して、兼脱衣所になっている洗面所で服を脱ぐ。上半身だけならまだなんとか男として通せそうだが、パンツを脱ぐとあるはずのものがないのだから隠し通せるわけがない。とは言えやっぱり、となりの部屋に他人の男の子がいるのに全裸というのは落ち着かないし、精神衛生上よくない。
 そそくさとカーテンを引いてシャワーをひねる。持ち込んだメンズもののシャンプーで髪の毛を掻き混ぜながら、鼻歌を口ずさむ。最近はやっている、ガールズバンドの新曲だ。スリーピースで、皆それぞれ個性があって可愛くて、すっかりはまってしまっているのである。
 隅々まで身体を洗っていると、洗面所のドアが叩かれた。突然のことに勢いよく肩が浮く。
「おい、比呂。風呂長くない? 洗面所使いたいんだけど」
「ご、ごめん! ちょっと待って、すぐ上がる!」
「ならいいけど」
 慌てて泡を流し、洗面所で慌ただしく身体を拭く。手早くスウェットを身に着けて、洗面所のドアを開けた。勝手に入ってこられなかったのは幸いだった。
「ごめん……」
「浴槽ないのに、時間かかったな」
「ごめんな、髪の毛洗うとき、目に泡が入って……」
「いいけど、別に、俺は大浴場だし」
 歯ブラシに歯磨き粉をにゅるにゅると絞り出しながら呟く。歯を磨く秋吉のとなりに立ち、私も並んで歯を磨く。しばらくふたりの間に、歯を磨く音だけが響く。当然無言だ。ぺっと口の中の歯磨き粉を吐きだした秋吉がうがいを始める。喉を潤す音が豪快に奏でられ、私は心の中で頷きながらそれを聞いていた。男らしい、童貞なのが悔やまれるくらいだ。しかしそれにしたって、彼には女の子への執着がないのだろうか。全寮制の男子校なんていう閉鎖的な環境で彼女ができるわけないだろうにどうしてここにいるのだ。
「秋吉はさあ」

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