09

「比呂は? 彼女いるの?」
「今は……まあ、いる」
「お、マジか。じゃあ、さみしがられてるな」
 兄は私の友人と二年くらい付き合っていた。別れの理由は、初体験の際緊張のあまりじょうずにできなかったという、なんとも情けない理由だ。そして今ジェニーと付き合っているとする、と考えて答えると、秋吉は意外そうな顔をした。
「ていうか、可愛い顔してやることやってんだな」
「いや、童貞なんだけどね」
 この辺はさだかでない。ジェニーとよろしくやったかもしれないし、やっていないかもしれない。でも、私は一応処女なので、童貞ということにしておこう。すまぬ、兄よ。
 童貞、という単語に秋吉がぴくりと反応を示した。やはり美形でも男前でも健全な男子なので、そういう単語が気になるお年頃なのかもしれない。
 なんて思いながら、次は何を聞こうかな、と考えていると、秋吉が机の上に私が置いた目覚まし時計を見て言った。
「そろそろ飯の時間だ」
「うん」
 並んで部屋を出る。結局誕生日と彼女がいるかどうかの話しかしていないが、これからいろいろと知っていけばいいか。
 途中から、ラフな格好に着替えた男の子たちが増えてくる。ああ、あの子可愛いな、あいつ不細工だな、あの人はアイドルの某に似ている、などなど思いながらきょろきょろしていると、秋吉が不思議そうに聞いてきた。
「何がそんなに珍しいの?」
「いや……男だらけだから」
「女がいたら大問題だろ」
 あなたのとなりに大問題が歩いていますがそれはどういたしますか。
「まあそうなんだけど、慣れなくてさ」
「俺は中学もここだったから、もう慣れたよ」
 彼女がいなかったのはそういう背景のためか。性格極悪人というわけではなかったのだな。納得して頷き、男観察を再開する。ああ、あのイケメンが童貞だったらどうしよう。
 筋骨隆々とした渋い生徒の身体を舐めるように見つめていると、横から秋吉が私の頭を小突いた。
「あんまり見ると失礼になるぞ」
「あ、ごめん」
「いや、俺に謝られても」
「そっか」
 どうやら、この階には一年生しかいないようだ。皆、同室らしいふたり組で、一匹狼はどこにもいなかった。
 大食堂に近づく頃には、ひとりで歩いているこなれた感じのお兄さんたちが増えてきた。大食堂のドアの手前に、黒い癖毛が襟足でちょっとうっとうしく巻いている背が高い、狐みたいな顔をした男がひとりで立っていた。あれはたしか寮長だ。
 寮長のとなりを通り過ぎるとき、鋭い視線を感じた。ふと振り向くと、寮長がその狐のお面のような細い目でじっとこちらを見ている。なんだろう。私が首を傾げると、寮長はふいと視線を逸らした。
「……寮長、比呂のことめっちゃ見てたな」
「うん……俺、何かしたかな」
「まあ気にすんな」
 秋吉の手が伸びて、私の髪の毛をぐしゃぐしゃと掻き乱す。
「ちょっと、セット崩れる」
「ははは」
 夕食は、トンカツ定食だった。男が食べる前提でつくられているせいか、質より量に訴えるようなボリュームで、私はどちらかと言うと女の中でも小食なせいで、好物ではあるのだが大量のトンカツの処理に困ってしまった。おなかいっぱいになって残ったトンカツを箸でつついていると、となりで白米を頬張っていた秋吉が覗き込んできた。
「比呂、もう終わり? 食わねえの?」
「俺小食なんだよ……」
「だからそんな女の子みたいな身体になっちまうんだよ」
 ひょいと横から伸びてきた秋吉の箸が、私が残したトンカツをさらっていく。細身のその体のどこに入るのか、彼は私のトンカツをさらっては白米で流し込んでいく。見事なものだ、これぞ男。兄に見せてやりたい、彼も私と同様小食気味なので、そのせいでたぶん背も伸びず、秋吉の言葉を借りるならば、女の子みたいな外見になったのだと思っている。
「ありがとう」
「もっと食って、栄養全身に回したれ」
「分かってるよ」
 返事はしたものの、これでも精一杯無理をして食べたのだ。揚げ物は好きだし、がんばったほうだ。ちびちびと白米を口に運びつつ、軽快に私のトンカツを平らげていく秋吉にあからさまに胸がどきどきと高鳴ってしまう。私はよく食べる人が好きなのだ、男らしいじゃないか。しかもこんな美形で食べる姿もキマっているのだから言うことなしである。
 一気にご機嫌になった私を、秋吉が不思議そうに見る。その視線には応えず、私は白米とサラダと味噌汁をなんとか食べきった。

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