「何?」
 モニカが、指に挟んでいたCDケースを投げた。キャッチして、それを窓から入る光に透かすようにする。記録面が黄金に輝いているので、ブルーレイであることが想像ついた。それ以外は、表面にBDと表記してある以外は何も分からない。
「これは?」
「昔のDVDのデータをブルーレイに落とし込んだもの」
「中身は何って聞いてる」
 そこで、モニカはため息をついて、顔にかかった長い前髪を掻き上げた。
「カーペンター家のもっとも幸せだった頃の記録……と言えば分かる?」
「……」
 ディスクに目を落とす。カーペンター家のもっとも幸せだった頃の記録?
「レイラに見せてもいいわよ。鳥籠にはテレビないけど」
「いや……俺がひとりで楽しむことにするよ」
「そう言うと思った」
 俺がこの記録を見て抱く感想は、楽しむ、というものからはかけ離れているとは思ったが、一応そう言う。
 俺の仕事場をあとにした、ぱっくり開いたワンピースから覗くモニカの背中を見送って、書類をちらりと見やり、ディスクプレイヤーにブルーレイをセットした。
 最初に映ったのは、どこかの家庭内の風景だった。乱雑に積み上げられた本の山から、書斎かと思う。不意に、書架から視線が外れ、窓からきらきらと日が射している机に向かう少女の薄い背中がカットインする。長いハニーブロンドの髪の毛が複雑に編み込まれている。
 なるほど、六年前、ひいてはそれより前に撮られたものにしては高画質だ。デジタルリマスターされているのかもしれない。
『レイラ、何をしているの?』
『パパ。何撮ってるのよ』
 撮影者の男の含み笑いが響く。聞き覚えのある声だ。振り向いた少女は、ベビーブルーの瞳をつんと尖らせてまた机に向き直る。カメラがぐっと少女に寄って、机の上を映し出した。
『おや、夏休みの宿題だ。今日はバケーションの最終日じゃない?』
『ほっといてよ』
 どうやら、少女は宿題を溜め込んで最終日に泣く羽目になっているらしい。再び、男の笑い声。
 今の面影がわずかに片鱗を覗かせている少女は、けれどやはりまだまだ幼い横顔をしている。真剣そのものの顔で数式に向かっているのを、男は面白そうにズームしたり、少女の顔と鉛筆を行き来させたりと忙しい。
『もう、邪魔しないで!』
 ついに少女が、そのしつこさにかんしゃくを破裂させた。鉛筆を机に叩きつけ、カメラに向かって手を伸ばす。少女に奪われたカメラに映ったのは、先ほどまでカメラマンをしていた男だ。今の自分と同じくらいの年齢だろうか、と俺は頬を撫でる。
『僕の可愛い天使は悪い子だ。時間はたっぷりあったのに、遊んでばかりで宿題をやってない』
『今やってるわ。明日には間に合うのよ』
『こんなにもたくさんの量が? 今日中に?』
『……間に合うわよ』
 カメラマンとなったことで、少女の声しか収録されていないものの、唇を尖らせてばつが悪そうに眉を寄せているのが手に取るように分かる。そこで、唐突に画面が切り替わる。
 次に映ったのはカメラに向かって手を伸ばしている少女のアップだった。カメラを定点にしようとしているうちに録画ボタンを押してしまったらしい。
『あれ? 撮影始まってる』
『レイラ、まだなの?』
『待って、今すぐよ』
 ようやく、カメラを固定し終えて、少女がカメラから離れる。女友達が数人いるようだ。
『親愛なるミランダへ』
 そのまま、ミランダと呼ばれたここにはいない誰かへの激励が始まる。おそらく、転校か何かで街を離れなければならなくなった友達へのメッセージビデオを撮っているのだ。そして、メッセージを録音し終え、再び少女がカメラに近づいてきて、画面が切り替わる。
 今度はどこか緑地公園の風景が映る。こんなにも広い公園がこの近所にあったろうか、と俺が地図を探っているうちに、草むらにしゃがみ込んでいる少女にピントが合う。
 少女は撮られていることに気づいているのかいないのか、歌いながら花冠をつくっている。またも男の笑い声が入っているところを聞くに、撮影者は父親だろう。
『レイラ、それは誰にあげるの?』
『少なくともパパにはあげないわ』
『悲しい』
 シロツメクサで一生懸命編んだ花冠を、少女は持ち上げてどこかへ走っていってしまう。それを追いかけているのか、画面がぐらぐらと揺れて酔いそうだった。やがて、少女はくるりと立ち止まって振り返り、パパ、と鋭く叫んだ。
『ほんとはもらえるって知ってたんでしょ?』
『知らないさ』
『誕生日おめでとう!』
 カメラが地面を映し出す。冠を受け取るために、男が屈んだことがうかがえた。
 その後も、画面は次々に切り替わり、ぶつ切りの幸せな映像は、時計を見る限り合計でゆうに二時間弱はあった。立派な映画だ。
「……」
 ため息をついて眉間を揉みほぐす。ブルーレイを取り出して、そばにあったペン立てからペンを引き抜いて、記録面にランダムに線を引く。こんなことをしてこのディスクを駄目にしても、おそらく元のデータはモニカのもとにあるのでどうともならない。けれど、こうでもしないと掻き乱された気持ちは納得しなかった。
 レイラ・カーペンターがまだ幸せだった頃、彼女は将来のことなど何も気にせず、夏休みの課題に追われ、無邪気に父親に花冠を授けていた。
 今はもう、彼女に苗字はない。誰も呼ばない。事実としてあるかないかより、それが使用されるかされないかで、有無は決まってしまう。
 レイラは、すでに社会的にほとんど抹殺された人間だった。行方不明者は、七年その姿をくらませば死亡したと見なされる。あと一年で、彼女はほんとうにあの「鳥籠」以外の居場所をなくしてしまうのだ。
 鳥籠。レイラの住む、あの地下室。
 窓ひとつない天井の高い空間。芝色のラグが敷き詰められた、明るい、まるで外の世界のような牢獄。
 白いベッド、白い戸棚、白いテーブル、白いクロゼット、白い蚊帳。華美な装飾の手鏡や櫛。ドレッサーには、どこにも行けないというのに化粧道具も完備している。毎日取り換えられる白いシーツ、猫脚のバスタブが鎮座するバスルーム。一日三食モニカまたは俺から運ばれる食事。通年過ごしやすいように空調も完備で、湿度まで管理されている。
 人がひとり暮らしていくのに何の不足も不自由もない、完璧な鳥籠だ。
 モニカがこれを入手した経路はだいたい想像がつく。しかし、それを俺に見せて何になるというのだ。しかもご丁寧にブルーレイに落とし込む手間までかけて。
 レイラが俺のものであるという事実は、こんなものを見せたところで揺らがないのに。

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