「おはよう、ジェイミー」
「おはよう」
「寝不足ね? 昨夜はずいぶんとお楽しみかしら?」
 ぶしつけな質問を投げかけてきたモニカの剣のこもった声を一笑に付し、彼女の深いスリットの入ったタイトなワンピースに目をやった。色はブラックで落ち着いているものの、ノースリーブで背中が大胆に開いていて、ミニスカートだ。
「ちょっと露出度が高くない?」
「いいのよ、今日は取引先と商談があるから」
「……色仕掛け?」
「そうね」
 取引先と話をするのは、秘書のモニカの仕事ではない。俺の部下の仕事だ。モニカはそのサポートをするだけ。けれど、なるほど今日の取引先の担当者の顔を思い浮かべる。うちのカンパニーに技術を提供する予定のソフトウェア会社の重役である彼は、壮年の下卑た笑みを浮かべるタイプの男だ。モニカのような美人が背中もあらわに書類の準備をしていれば、うっかりこちらに有利な契約内容の書類にサインしてしまってもおかしくない。
 とは言えモニカはそんなことをせずともじゅうぶんな実力を備えているので、あくまでも相手がそういったタイプの人間であるときにしか、たぶんこういう格好をしない。
 防弾硝子の扉を押し開け、自分の仕事場に入る。書類のチェックをしながらモニカが気を利かせて淹れてくれたコーヒーに口をつける。
 秘書と言っても、俺の予定を詰めたりコーヒーを淹れたりすることがモニカの仕事ではない。むしろ、そういうことをする係はほかにいる。モニカが仕事熱心なだけだ。
 モニカの主な役割は、下から吸い上げた情報を鋭意噛み砕き俺のもとへきちんと要点をまとめて提出すること。いわば情報の濾過を担当している。次から次へと舞い込む仕事内容や他勢力の動きをいちいちすべて俺に届けていたら、カンパニーも裏稼業も回らない。
 濾過器としてのモニカはあまりにも優秀だ。持ち前のフットワークの軽さとネットワークの広さで信じられない量の情報を集め、その中から俺が必要とする情報をきちんと厳選している。厳選しても、俺のもとには日々膨大な量の情報が飛び込んでくるのだから、モニカに集められる情報はどれほどのものか、想像するだけで頭が痛くなる。
 モニカとは、もう三十年ほどの付き合いになる。俺たちがほんの小さなこどもだった頃からの付き合いだ。遠方からヨコハマに引っ越してきたモニカと初めて出会ったのは、六歳のとき。となりに越してきたモニカはきらきらと大きな目を輝かせて俺にそのベージュの手を差し出してきた。
 それからずっと、俺が暴力でヨコハマを守ろうと決意したときも、会社を立ち上げたときも、いつもそばにいた。
 パソコンの画面にヨコハマのマップを表示させ、コマンドを入力すると、チャイナタウンの辺りが真っ赤に染まった。ドラッグの流通度合を表す地図に切り替わったのだ。チャイナタウンそのものは赤くなり、周辺はオレンジに、そして徐々に黄色、緑、青とサーモグラフィのようにスムーズな表示で色が変わっている。
 赤に近いほど、危険度が増している表示になっている。
「……チャイナタウン、ねえ」
 大陸系マフィアの仕業でないことは確かだ。彼らはこの好景気の影響で、わざわざ他国にリスクを伴うドラッグという手法は取らないだろう。チャイナタウンが事の発端とは言え、影で大きな勢力がうごめいていると考えるのは早計だ。
 新勢力の勃興。こう考えるのが自然とは、昨晩もモニカと意見を交わした通りだが、そうすると、文字通り面倒くさい。
 新たな力の目的が掴めないうちは、尻尾もきっと掴めないだろうという、俺の経験から導き出された結論だ。何を目的としてドラッグをばらまいているのか、それが分からない限り、彼らの次の一手が読みづらい。
「カネじゃないの?」
「それも早合点かも分からない」
 俺の説明を聞いていたモニカが、ごもっともな彼らの目的を提示するも、金儲けが目的ならドラッグは諸刃の剣だ。俺たちが築き上げたヨコハマの裏社会の暗黙の了解で、薬物は絶対にご法度だと決まっている。俺たちの力を分かっている奴らならまず、そんなリスキーな金儲けはしない。尻尾を掴まれたが最後、地の果てまでも追いかけて存在ごと抹消されることを分かっているからだ。
 となると、これは俺たちに対する宣戦布告と受け取るほうが自然なのではないかと思う。
「宣戦布告?」
 モニカは眉を寄せ、肌の色に近い、ピンクベージュの口紅を塗った唇をすぼませた。
「何のために?」
「俺たちを、潰すためかな?」
「それにしては浅はかよ。ハイリスクローリターンだわ。計画性もないに等しい。もし本気で私たちを潰そうって、対抗しようって考えてヤクをばらまいてるなら、ただのお馬鹿さんよ」
 そうなのだ、あまりに浅はかすぎて、逆に向こうの真意が読めない。本気で俺たちに対抗しようとしているには短絡的すぎるのだ。
「まだ、現段階では分からないな」
「そんなのんきなこと言ってるうちに、ヨコハマ全域が血に染まっちゃうかもよ」
「……分かってるさ」
 血に染まる。つまりこのヨコハマの地図全域が、ドラッグに汚染されて真っ赤になるということ。それを回避するためには、一刻も早く目的を突きとめて行動を予測しなければならない。
 骨の折れる、とため息をつくが、この街を守るためなら骨ぐらいいくらでも持っていけという話である。
「あとこれ」

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