わたしはまったくふつうの中学生だと思う。
 煙草はおろかお酒も一滴も飲んだことがなくて、朝帰りどころか夜更かしだってほとんどしたことがない、もしかしたらちょっとつまらない中学生かも。
 パパは商社に勤めていてなんだか忙しい。ママはわたしに手がかからなくなったら編み物とお菓子づくりに精を出している。学校から家に帰ればいつだって、キッチンから小麦の焼ける匂いやチョコレートの溶ける匂いが、家中に立ち込めている。わたしは、ママのつくるお菓子はちょっとお砂糖が多いかなと思っているけれど、別に嫌いじゃなかった。
 バタークッキーはさくさくとわたしの歯で砕かれておなかの中へ消えてゆく。ティーポットからわたしのマグカップに熱々のアップルシナモンティーがそそがれて、いらないと言うのにママはシュガーポットを差し出してくる。丁重にお断りし、唇と鼻の間を湿らせる湯気の匂いを嗅いだ。
「ねえママ、パパは今日は何時に帰ってくる?」
「さあ、どうかしら。どうして?」
「宿題、どうしても分からないところがあるのよ」
 午後の斜陽が照らすダイニングで、わたしとママは向かい合ってアップルシナモンティーを飲みながらバタークッキーをつまんでいる。わたしと同じ、ハニーブロンドのうつくしい髪の毛を短く切ったママは、長い睫毛を伏せて、そうね、と言った。
「聞いてみようか」
 携帯、なんていうこのアフタヌーンティータイムに似合わないものをデニムのポケットから取り出して、ママはすらすらとパパにメッセージを送る。送ってしまったあとでママは、でもね、と言う。
「でもね、きっと遅くなるわ。今の時間に連絡がないってことは、夕飯には間に合わないってことなのよ」
「そう……」
 困ったな、と思う。ママは数学の問題はさっぱりで、友達に聞いたって満足いく答えは返ってこない。賢いパパに聞くのが一番だと思ったのに。
 わたしたちが住む高層マンションは、ヨコハマの一等地から少し離れた高級住宅街にある。それでも、ヨコハマ・ステーションやサクラギチョウに出るのに不便のない場所で、遊び場には事欠かない。学校には、一等地から通ってきている子もいる。有名な名門私立中学だ。
 パパが勉強を教えてくれたおかげで、わたしは今そうしてそんな中学校に籍を置いているし、なんとか授業にしがみついていられる。パパは超優秀で、賢くて、この世のすべてを知っているんじゃないって思っちゃうくらいに何でも知っている。
 小さい頃に、パパは何でも知っているの、と問うと、パパは少し笑って、レイラもすぐにそうなる、僕の娘だから。そう言って頭を撫でて頬にキスをした。
 わたしはまだぜんぜんすべてを知ってはいないけれど、パパは嘘をつかない。
 組んでいた足を組み替えて、クッキーに手を伸ばす。星型のそれをつまみ取って口に放り込むと、つくった張本人が釘を刺す。
「あんまり食べると夕飯が入らなくなるわよ」
「夕飯、なに?」
「あなたの好きな、デミグラスソースのハンバーグ」
「やった!」
 やった、と言いながらもクッキーに手を伸ばす。ママは苦笑して、太るわよ、と言う。
 それを聞き流すふりをしながら、わたしは、クラスの皆よりはるかに遅れてやってきた初潮のことを思い出した。身体の隙間で赤ん坊のもとがつくられて、それが無駄だと分かると身体の外に押し流してしまう、そんなような認識の。
 何が言いたいかって、皆よりも大幅に遅れてやってきたということはすなわち、わたしの身体はまだ大人じゃなかったということで、先日ようやくその仲間入りを果たしたものの、まだまだ腕も脚も細くて、胸もお尻もぺったんこ、太る、なんていうのは異次元の話だと思っているっていうことだ。
 むしろ、ボーイフレンドのアダムにも、きみはもっと栄養をとったほうがいいよ、なんて真顔で心配されちゃうくらいだ。

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