素直な子だ、と素直にそう思う。
 俺がモニカに何をしたのか、知ればきっと彼女は、なんだそんなこと、こどもみたいね、と言うだろう。実際、口を利かないで一切の存在を無視するなんて、こどものやることだ。
 でも、こどものやることはいつだって残酷だということをまた、彼女は知らない。
「ボス、頼まれていた資料です」
「ご苦労」
 モニカに比べれば劣るが、決して引けを取らない部下の精査した情報を噛み砕く。こういった情報の取捨選択においてモニカの右に出る者はいないとほんとうに思う。ごくわずかではあるが、無駄が生じるのだ。そういうのは、たぶん普段からモニカと接していなければ分からない程度の綻びで、俺はほんの少し悔しくて舌打ちした。
 ギャングの大方の方向性が分かってから、俺はアプローチをわずかに変えることでようやく、ボスの行動範囲を突き止めた。もちろん素性も。
 ただこちらの動きを敏感に察知したのか、向こうのボスはなかなか尻尾を出さない。案外賢いようである。
 チェックメイト一歩手前で、俺たちは足踏みさせられているわけだ。大人を馬鹿にするとどうなるか、その身に刻み込んでやらなくては。あいにく俺にその辺の慈悲はない。そんなものを持ち合わせていたらそもそもマフィアなんかやっていない。
「モニカ、この資料を……」
 呟きかけて、あ、と思う。そうだ、モニカは今いないのだった。仕事を与えてないので、家でヤケ酒でもあおっているかもしれない。
 とは言え、そろそろモニカがいないと会社も組織も回らないので、今度謝られたら折れてやってもいいかと思う。
 椅子の背もたれにかけておいたジャケットを着込み、外出のためオフィスを出る。直前にパソコンのモニタに映っていたレイラは、退屈そうにベッドに寝そべって本を読んだり休憩して寝返りを打ったりしていた。
 車に乗り込み取引先まで向かっている途中、携帯にモニカから連絡が入った。意地で、とりあえず無視する。さすがに電話口での謝罪を受け取るのも馬鹿らしい。
 しかし、俺に無視されていると自覚しているモニカが一度で諦めて、連絡手段がメッセージに切り替わるはずが、何度も何度も着信がかかる。うっとうしい、そう思いつつ、もしかしてレイラに何かあったのかと思って電話を取った。
 もしもし、と言おうとするより早く、モニカが向こう側でまくし立てている。
『ジェイミー、レイラが危ない!』
「何……」
『ごめんなさい、いくら謝っても足りないわ、でも今はそんなこと言ってる場合じゃないの、今すぐ鳥籠に向かって!』
「どういうことだ」
 モニカにしては珍しく、感情をあらわにしてほとんど泣きそうなくらいに激昂している。訳も分からず、今から取引先に向かうところだと言うと、モニカが怒鳴った。
『私のほうからキャンセルを入れておく! 早く戻って!』
「……車を会社に戻してくれ」
 運転手に告げると、彼は戸惑ったように頷いて右折のためのウインカーを出した。
「説明しろ。何が起こった」
 今来た道を戻りながら、俺はモニカに問いかける。嫌な予感がじっとりと背中から肺にまで達している。
『私昨晩、モトマチのバーで男に情報を漏らしてしまった……』
「情報?」
『鳥籠のパスコード』
「……」
 一瞬、目の前が暗くなって星が弾けた。けれど冷静な思考がすぐに待ったをかける。
「パスコードが分かったところで、あの通路の前にはボディガードがいる」
『私が誰に、パスコードは全部あの子の誕生日だって言ってしまったか分かる……?』
 今度こそ、頭を鈍器で殴られたような衝撃が走った。
 複雑な仕組みには単純さを混ぜるとうまくいく。だから、三機のパスコード式の鍵のコードはすべてレイラの誕生日に設定していた。モニカが俺にすげなく扱われて愚痴混じりに、信じられるジェイミーったらねパスコードを……と他人の痴話を話すようにボディガードに漏らしているところが容易に想像できた。
「あいつが裏切るって?」
『もうすぐ私も鳥籠に着くわ。急がないと取り返しのつかないことに……』
 もうすでに泣いているのでは、それくらいに震えた声を操るモニカに、心臓が嫌な鼓動を刻む。
「おい、もっと急げないのか」

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