先日、と言うとレイラの顔がくしゃりと歪む。けれど、口を開く。
「……ありがとう……」
 罵倒以外に久々に聞く、レイラの声。しゃくりあげたりしているせいかだいぶ掠れていたけれど、たしかに彼女は今ありがとうと言った。
 か細い声のお礼に、少し戸惑う。少しは間をもたせられればいいというくらいの気持ちでのものだったため、こんなに効果があるとは思っていなかったのだ。
「花が好き?」
「……どうしてそう思うの?」
「タルトは美味しかった?」
 強引に話題を変えると、レイラは少しきまり悪そうにもじもじしてから、遠慮がちに頷いた。
「甘いものなら食べてくれる? そうなら、明日も買ってくる」
「……別に、そうじゃないわ」
 お尻のおさまりが悪いと言わんばかりに身体を揺すったり俯いたりしているレイラは、一度目を伏せてからぱっと開いた。ベビーブルーの瞳がじっと俺を見つめる。
「おなかがすいたら、ちゃんとご飯は食べる」
「……」
「モニカともジェイミーとも、仲良くするわ」
「……ほんとう?」
 信じられなくてそう言うと、レイラは痛々しい目をたしかに細め、引きつるような笑顔を見せた。
 何がレイラの心変わりを手伝ったのか、デバッグ作業中に見つけた原因不明の不備みたいなごく小さな違和感。けれど、俺はレイラがそう決意してくれたことが何よりもうれしかった。
「……ジェイミーにお願いがあるの」
「何でも言ってごらん」
 髪の毛に触れる。はねのけられない。頭を撫でながら先を促すと、レイラはためらいがちに呟いた。
「あの……、明日は苺のタルトがいい……」
 こんなにも溜めるのだからてっきり言いづらいお願いなのかと思えば、それはずいぶん可愛いものだった。いちご、と反復すると、レイラがちらりと甘えるように俺を見上げた。
「だめ?」
「いいや。苺のタルトだね。分かった」
 つやつやの、何度耳にかけてもたぶんその耳が小さすぎるせいで零れ落ちる髪の毛を撫でて、了承する。そういえば、レイラからこうして露骨に甘えられたのは初めてかもしれない、と思う。
 俺はレイラを甘やかしたいし、レイラが甘えたいのなら、需要と供給はがっちりとはまっていることになる。
「レイラ」
 髪を撫でていた手を頬に滑らせる。彼女はぴくりと肩を浮かせたが、すぐに力を抜いて俺に身を預けてきた。もう片方の手も伸ばし、レイラが抱えていた花束を掴み取り、枕元に置いた。花の蜜だか花粉だかの香りが鼻をくすぐる。
 彼女の可憐な、花弁のような唇に親指を這わせ、そっと開かせる。丁寧に並んだ歯を指で触り、顔を寄せた。
 最初は怖がらせないように浅く、軽く、ついばむように。やがて、レイラの身体がほぐれてきたころを見計らい、舌を挿し込んだ。驚かせないように細心の注意は払ったものの、つい気が急いて身体に手が這うのを、レイラは拒否するように手首を掴み俺の舌を甘噛みした。
「怖がらないで」
「……痛くしない?」
「しないよ」
 唇が触れ合うような距離で囁きながら、ポケットに手を入れ携帯を操作し、監視カメラの録画を切ってジャケットを脱ぎ捨てる。スリーピースの仕立てだったものでベストも脱ごうかと思ったが、時間がもったいなかった。とにかくはやく、レイラに触れたかった。

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