すっかり、手負いの獣みたいになってしまったレイラが、指紋認証のセンサーに指を置いている。三度目のエラーを出したところで俺は言う。
「レイラ。五回エラーが出ると、モニカが外側から開けない限り二十四時間開かなくなるよ」
「……」
 鋭く睨みつけられて、肩を竦めて眉を上げてみせる。俺は嘘は言っていない。
 あれから数日、扉を開けるたびに何か投げつけられては罵倒され、泣き出されるという事態になっている。ひどいときは、つまりレイラのかんしゃくがおさまりきらないときは、バスルームに引きこもって出てこない。鍵はないのだから開けようと思えばいくらでも開けられるけれど、それは気が進まなかった。バスルームのドアは、そのままレイラの心のドアになっているような気がして、こじ開けることはできなかった。
 地に落ちたどころか、もう完全にマイナスになってしまった好感度をどうやって上げようか、思索する。
 そもそも、曖昧にごまかし続けて決して説明しない、という選択肢もあったのだ。俺がまだ未熟なせいか、どうしても気が昂ってレイラを求めずにはいられなかったこと、そしてシャツに、相手の返り血が残ってしまっていたことが敗因だ。
 この鳥籠の中しか居場所のないレイラに真実を告げない方法などいくらでもあった。
 黙っているのが、レイラを騙しているのが苦痛だったのかもしれない。
「ねえレイラ。モニカに美味しいお店を聞いて、タルトを買ってきたのだけど」
「……」
 俺が入ってきてから部屋中に立ち込めている甘い匂いを、彼女が気にしていないとは思えなかった。なるほどモニカに言われて気づいたが、レイラは甘いものが好きらしい。
「何だったかな? オレンジ系のタルトだったかな」
「……」
「見てごらん、すごいよ」
 箱を開けると、見事なまでのフルーツの装飾が施されたタルトが顔を出した。オレンジがふんだんに、惜しげもなく使われたタルトで、ホールで買えばもっとその装飾が際立っただろう、果実が隙間なく花弁のように巻かれている。先日レイラの頭でケーキを潰してしまったことが俺自身こたえていて、ホールからは無意識に目を逸らしてしまった。
 並べられた実の上に雪化粧のように振られた粉砂糖がはかなさを醸し出していて、ちょこんと上品に乗ったミントの葉が、うん、美味しそうだ。
「こっちにおいで」
 レイラがたっぷりの嫌悪感と、ほんのわずかな興味を持った瞳でこちらを見た。そして、まあそうだろうな、と思ってはいたものの、嫌悪感が勝ったのだろう、バスルームに立てこもってしまった。派手な音を立ててドアが閉まる。
「……やれやれ」
 どうしたものか。
 俺やモニカが運ぶ食事にもほとんど手をつけていない。空腹もきっと限界だろう。このままでは困る。
 レイラの意思がどうあれ彼女はここで一生を過ごすのだから。
 とりあえず、ケーキの箱を冷蔵庫に入れる。そして、バスルームのドアをノックした。
「レイラ。仕事に戻るけど、ちゃんと食事をとってほしい。心配だ」
 答えの代わりに、ドアがたわむほどの勢いで何かをぶつけられた。ボディソープかシャンプーのボトルかな、と思いつつ、ため息をついて眉の辺りを掻き、部屋を出る。
 鳥籠を出ると、急に寒い。冬の地下室なのだから寒いに決まっているが、鳥籠の中は空調がいつも一定で、季節感などないに等しい。
「……」

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