扉が閉まり、わたしは椅子に座ったまま、ジェイミーは入口付近に立ち尽くしたまま、しばらく沈黙がひた走る。
 長いこと、わたしたちは黙っていた。その重苦しい沈黙を破ったのは、ジェイミーだった。
「さっきはごめんね」
 何度も聞いた謝罪の言葉に、わたしはかっとなる。
「ジェイミーは嘘をついたのね」
「嘘?」
「わたしにJMの社長だって言ったわ」
「それは嘘じゃない」
「でも真実でもなかった!」
 ジェイミーがため息をついて近づいてくる。わたしは、ドレッサーの上に置いてあった保湿ミルクのボトルを掴んで、投げつけた。
「嘘つき!」
 器用に、ジェイミーがそれをキャッチする。続けざまにボディクリームを投げる。ちょっと外れた。朝モニカが持ってきてくれた花束も投げる。ちょうどジェイミーの足元に無残に叩きつけてしまう。ドレッサーの上のものを全部投げつけ終える頃には、ジェイミーはわたしのそばまで来ていた。
 何も投げるものがなくなって、伸びてくる彼の手をはねのけてめちゃくちゃに暴れた。
「来ないで!」
「レイラ」
「やめて!」
「きみに嘘はつきたくない」
 椅子から抱え上げられて、逃げ場をなくしてジェイミーの胸板を力いっぱい叩く。わたしがこうして叩くくらいでは彼は痛くもかゆくもないらしいのが、歯がゆい。
「だから正直に言う」
 ぎゅっと、抱き上げられたまま身体に腕を巻きつけられて、強く抱きすくめられる。
「俺は今日人を殺してきた」
「…………!」
 目を強く瞑る。聞きたくないのに、真実を知りたい気持ちはたしかにあって、耳が拍動してジェイミーの吐息まで拾ってしまう。
 ジェイミーはわたしをベッドに下ろして上から毛布をかけた。
「もともと、俺の家系はヨコハマを拠点とするマフィアだった。でも、俺が幼少の頃にはすっかり組織は弱体化してしまっていて、つまり裏稼業のシノギだけではもうやっていけない時代だったんだ。でも親父はそれを認めようとしなかった。だから、俺はマフィアを継ぐ気は最初はなかった」
 彼のほうを見ることができない。わたしは布団に顔をうずめて、頭から毛布をかぶって拒否の意を示す。そんなわたしの背中辺りを撫でながら、ジェイミーの昔話が続く。
「でも……俺が中学校に入ってから、チャイナタウンがあるせいかな、やたら大陸系の奴らが幅を利かせるようになっていた。それでもよかったんだ、最初は。でも奴らは、港を拠点にして、そのままほかの区域にも勢力を広げるつもりだった。ヨコハマを愛してた……今もなおだな、愛してるから、俺にはそれが我慢ならなかった」
 ふと、ジェイミーが呼吸だけで笑う。
「必死で勉強した。どうすればうちの組織を再生できるか。ヨコハマを守れるか。表の顔をつくるために、奔走した。……表向きでは、うちの組織は解体したことになっていたけど、JMの陰でちゃんと生きてた。俺がJMを立ち上げた頃には、すでに親父は死んでいたしね」
 とうとうと語られるジェイミーのよどみない話に、わたしはついていけているようで、ぜんぜん駄目だった。
 どう言い訳したって、ヨコハマを愛していたって何だって、暴力は悪いことだ。
「……ひどいわ……」
「俺はずっとこの街を見てきた。十五年前より、ずっと平和だよ」
「そんなのまやかしだわ! 暴力は何も生まない! ジェイミーがやってることはただの支配よ!」
「そうだね」
 あっさりと肯定する。
「強大な力が支配しないと、ここは守れない。港町なんだ、いくらでも鼠は入ってくる」
「そんなの、おまわりさんとかに任せておけばいいのよ、人を殺すなんて……!」
「警察が何をしてくれる? レイラ、きみのことを警察は探しもしていないよ」
「……」
 先ほどまでの獣じみた狂気を拭い去り、ジェイミーはすっかり落ち着いたいつもの穏やかな様子でいる。枕を投げつけると、顔面で受け止めたジェイミーは、それを抱いてわたしの枕元に挿し込む。
「分かってはくれないかな? 俺がヨコハマを愛して、守ってきたことを」
「分かるわけない! ジェイミーの、人殺し!」
「……」
 ジェイミーがひどく悲しげな顔をした。けれど、わたしの良心はぴくりとも揺らがない。だって、事実だ。ジェイミーは人を殺している。
「人殺し! 最低! 犯罪者!」
 思いつく限りの罵倒を並べ立ててすべて口に出す。それでも到底わたしの気持ちはおさまりがつきそうになかった。むしろ、混乱している。
 優しいジェイミーの裏切りが、ただただ悲しかった。もしかしてわたしはジェイミーに心を開きかけていたのかもしれない。少しはジェイミーのことを好きになれていたのかもしれない。この鳥籠と呼ばれる部屋で、わたしはたしかにジェイミーの来訪を待ちわびていた。
 ぼろぼろ泣きながらわたしはジェイミーを責めた。彼はじっと、わたしの幼稚なボキャブラリーによる罵倒を、顔を歪ませて聞いていた。

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