「ずるいわ……」
「……」
 とっくに枯渇したと思っていた涙があふれだす。肩を震わせるわたしをジェイミーはそっと抱きしめて、数度優しく頭を叩く。
「あとでドライヤーをかけようね。着替えてくる」
 わたしを部屋に誘導し、ドレッサーの椅子に座らせる。ジェイミーを引き留めることもできずにわたしはそこに泣いたまま座り込んでいた。とにかく、疲れちゃっているのだ。
 椅子の上で膝を抱えて、ドレッサーの上を見た。ジェイミーにお願いして、スキンケア用品を揃えてもらった。化粧水、美容液、保湿ミルク。それに可愛いパッケージのリップクリームや、ボディクリーム。自由と引き換えに、何不自由ない暮らしをもらったと思っていたけれど、それは大きな思い違いだったのかもしれないって、今更気づき始めている。
 ジェイミーが出て行ってすぐ、モニカがやってきた。彼女は、ドレッサーの椅子に座って泣くわたしを一瞥し、ベッドの上を見て眉をひそめた。
「食べ物は粗末に扱っちゃ駄目だって、ジェイミーに言っておかなくちゃね?」
「…………」
「ねえ、レイラ」
 テーブルの椅子に座ったモニカが足を組み、深々とため息をついた。
「隠しておこうと思えばいくらでも内緒にできることよ」
「……?」
「でもジェイミーは昔から隠し事が下手でね。本人は嘘がうまいと思ってるみたいだけど……、すぐああやって感情を剥き出しにしてしまう。それってマフィアのボスに適性がないと思わない?」
「……マフィア……?」
 自分で言葉を反復した途端、ジェイミーのシャツの袖口についていた血の跡がさっと頭の中で踊り出す。
 モニカはわたしのそうした顔色の変化を目ざとく確認するような視線を向けながらも、躊躇なくわたしが聞きたくない言葉をぽんぽん放つ。
「誰にだって裏の顔があるわ。ジェイミーにとっては、そういうこと」
「……騙したの……? JMの社長だって……?」
「それはほんとうよ」
 モニカが立ち上がる。そして、ケーキやいろんなもので汚れたシーツを回収しながら、話を続ける。
「JMは表向きは、IT系の会社。でもその裏側は、ヨコハマを守るために暴力に暴力で応酬する団体の隠れ蓑。ふつうの社員はもちろんそんなこと知らないし、一般市民もそう。ねえレイラ、ちょうどあなたが生まれた頃かしら、ヨコハマが大陸系のマフィアにほとんど牛耳られそうになってたのご存知?」
「……」
 否定の意を込めて首を振る。
「港町だから、敵も入ってきやすいの。とにかく最高に治安が悪くなって、敵対勢力同士の抗争も頻発していた。ジェイミーはヨコハマをほんとうに好きだった。だから、正攻法じゃこの街を守れないことに気づいたの。目には目を、歯には歯を」
「そんなの……」
「あなたみたいなお嬢さんには、綺麗事しか分からないかもしれないけど」
 それは、皮肉でも批判でもなく、ほんとうにそう思っているような、むしろわたしのことを哀れだと思っているような口調だった。ジェイミーが、あいにく育ちが悪いので、と言っていたことを思い出す。
「まあでもジェイミーも綺麗事が大好きよ。彼は、外の勢力からヨコハマを守ることにした。それはね、案外うまくいったのよ。今こうして街が平和なのは、ジェイミーのおかげといっても過言じゃないの」
 何も言えなくなって、黙りこくるしかなかった。
 わたしたち家族がああして平穏無事に暮らしていたのも暴力のおかげだなんて、到底納得できなかった。
 殴られたから殴り返すなんて野蛮だし、もっとほかにやり方はあったんじゃないのか。ほんとうに殴り返すしか方法はなかったんだろうか。いくら正義のためと言っても、その手が血で汚れることに違いないのに。
「……」
「私から言えることは以上。あとはジェイミーに聞いてちょうだい」
「待って」
「枕カバーも取り換えるわね。スペアはリネンボックスにあるから、自分でできる? もしくは」
 そこで扉が開いた。シャツとスラックスを着替えたジェイミーが立っている。
「ジェイミーにやってもらえば」
 モニカは冷たく言い放ち、シーツと枕カバーを抱えてジェイミーと入れ違いに去っていった。

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