港町は今日も眠らない。摩天楼の最上階にあるバーでは、小さくピアノ・ジャズが流れている。
 ヨコハマの一等地にそびえ立つそこからは、夜だと言うのに明かりの消えない街、そして港を一望できる。しかし、肉眼では一望と言っても仔細に明かりのひとつひとつ、船の一隻一隻が確認できるわけではない。ただ、光がそこにあるだけだ。霧雨でうすぼんやりとけぶる街並みを見下ろして、モニカが紫煙混じりのため息をついた。
「あの子のところへ行かずにいいの?」
「あまりしょっちゅう行っても、向こうが困るだろう」
「困る?」
 鼻で笑ったモニカが、煙草の先端をガラス製の灰皿に擦りつける。爪は短く切り揃えられているものの、派手なヴァイオレットのマニキュアが塗られていて、ベージュの肌に似合う。あでやかな背中まで伸びた黒髪を揺らし、モニカは低い声で嘲るように呟いた。
「困るって、今更あの子が何を困るって言うの?」
「…………」
 馬鹿にしたような黒々と濡れた視線が俺を突き刺すように見る。それに黙ったまま笑みを返すと、モニカがふいと視線を逸らして壁水槽を見た。白とも金とも桃ともつかない色をした大きなアロワナが優雅な動作で水槽を横切っていった。薄い眉が寄り、モニカは身づくろいするように水槽に映る自分の髪の毛を梳く。
「雨って湿気がこもってやあね。髪の毛がなんだか重たいわ」
「同感だ」
 自分の黒髪の毛先をくしゃりと指で握る。短い髪の毛だが、セットしていないわけではなく、雨が降っていれば思うように髪の毛をととのえられない気持ちは分かる。
「なあモニカ、ところで」
 俺の声が不意にビジネスじみたのを、モニカは敏感に感じ取って真面目な顔でこちらを振り向いた。
「例のやつ、どうだ?」
「まだ尻尾は掴めないけれど、少なくともチャイナタウンの辺りから出回っているよう」
「チャイナタウンか……あそこは人の流れが多いから、なかなか特定は難しいな」
 俺たちが守ってきた街を今、素性も分からない奴らがドラッグで汚そうとしている。チャイナタウンが出どころだからと言って安易にそこに住む人間たちを疑うわけじゃない。俺たちのいる世界は今時情報社会で、国外の勢力の動きが少しでもあれば、俺の息のかかった諜報員から連絡が入る。それがないということは、ほとんど新しい勢力の勃興と見たほうが辻褄が合う。
 昔むかしに、非暴力を掲げ自由を勝ち取った人々がいたと聞く。俺は歴史に詳しくもないし、あまり興味もない。だからそれが正しいとか間違っているとか、断定はしない。
 ただ、その人々が非暴力を手段として平和を守ったのがひとつのやり方だとするならば、俺には俺のやり方がある。
 暴力だ。

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