ハッピーバースデートゥミー。
「十五歳おめでとう」
 絶対におめでとうなんて思っていないモニカの顔を見て、ありがとう、と唇を尖らせる。
 ジェイミーのことを好きになったわけでも何でもないけれど、自分に好意を持って接してくれる人のほうに心を開くのは当たり前だ。わたしは、モニカよりもジェイミーの来訪を楽しみにするようになっていた。
 部屋にはカレンダーもあるし、時計もある。だからわたしは自分の誕生日を把握することができる。けれど当日姿を現したのは、期待していた人じゃなかった。
 豊かな黒髪を後ろであでやかにくくっているモニカが手に持っていたのは、その日の朝食ではなくて小さなブーケとケーキの箱、そして可愛くラッピングされたウサギのぬいぐるみだった。
 ジェイミーがペンキを持ち出して、換気扇を最強にして白色に塗り替えてくれたテーブルの上にそれらを置いて、モニカは形式的に、十五歳おめでとう、そう言った。
 わたしは心のどこかで、ジェイミーが最初にそう言ってくれると思っていたのに。
「ケーキの箱を開けてごらんなさい」
 促されるままに、箱を開ける。中から出てきたのは、小ぶりなホールの苺のケーキだった。トッピングの丸い苺は、つやつやとコーティングされて光に照っている。
「美味しそう……」
 ケーキの真ん中に飾られたプレートには、ハッピーバースデー、とだけ書かれている。
「このブーケとぬいぐるみは、ジェイミーから。でもケーキは私から」
「モニカから?」
「男の人だから、あなたが甘いものが食べたいことに気づかないようね」
 こともなげにそう言って、モニカはわたしの座る反対側の椅子に腰を下ろして足を組んだ。その行動は、わたしに、今すぐケーキを食べろ、と言っているようなものだったので、わたしは朝食の代わりにケーキを食べることにした。ふとテーブルの上のカトラリーを見る。小ぶりのステーキナイフはあるけれど、包丁はない。
「切らなくてもいいの?」
「すべてレイラのだもの。問題ないわ」
 小ぶりとは言え、ホールのケーキをそのまま食べるなんて、ちょっと不道徳。そう思って胸が高鳴る。モニカもきっとそういう感覚を理解してくれているから、そう言ったのだ。
 ケーキをカットしないまま、フォークを突き刺してひと口分すくう。口を開けてぱくりと含む。
「……とっても美味しい」
「でしょう。私の行きつけのパティスリーよ」
「モニカは美食家なのね」
 すぐにふた口目をすくいながらそう言うと、モニカは少し鼻白んだふうに眉を寄せた。中にチョコレートソースが挟まっていて、とても美味しい。
「ところで……今日ジェイミーは?」
 モニカはちょっと黙して、それからわたしのほうを見ず、自分の手の爪先を見ながら呟く。
「急な案件が入って、今日中にこっちに戻ってはこられないかも」
「……そっか」
「残念?」
「そうね、さびしい」
 皮肉につり上がった言葉にわたしも皮肉で返すと、彼女は足を組み替えてテーブルの木肌を撫でた。それから、じっとわたしの目を見つめる。黒い瞳は吸い込まれそうに澄み切っている。
「ねえ、レイラ」
 口にケーキが入っていたので、首を傾げることで続きを促すと、モニカはその黒曜石のようなきれいな瞳を少し翳らせた。丁寧にマスカラを塗った太くて長い睫毛が震える。
「ジェイミーはあなたのことをほんとうに愛してるわ」
「……」
「だから、嫌いにならないであげて」
「……嫌いだなんて、一言も言ってないわ……」
「そうね、今は」
 含みのある言葉に、わたしは頬をすぼめる。彼女が何を示唆しているのか、わたしには分からない。けれど、ジェイミーは初めてのときのような強引なことはもうしないし、しっとりと慈しむようにキスをしてくれる。もし半年前、ジェイミーがわたしを引き取らなければきっとこんな平穏無事な暮らしは送れなかっただろう。
 ママの料理は恋しい。もちろんパパの優しい瞳も、クラスメイトの皆もちょっと厳しい先生も、青い空も緑色の匂いも、雨でさえも。携帯がないのは不便だし、テレビも見たい。でも、わたしがこうして安穏と暮らすために手放さなければならないものだという理解もしている。
 ここは空調も一定に調節してあって、いつも電気を消さない限りまるで日の光が射し込んでいるように明るいし、不自由はない。
 何よりジェイミーは優しい。
 好きか、って聞かれるとそういうわけでもないけれど。
「ねえモニカ」
「何?」
「あなたの、その、何? の聞き方、ジェイミーと一緒」
「……そう」
 呼びかけられれば大抵の人は何と聞き返すだろうけれど、わたしはそういうことを言っているのではなくて、ニュアンスの話をしている。
 モニカとジェイミーは、似ている。もちろん、肌の色や瞳の色、表情やわたしへの態度はぜんぜん違うけれど、しぐさがとても似ていて、そういうふとした口調もそっくりだ。
「とても仲がいいのね」
「そうならよかったわね」
「……悪いの?」
「別に」
 そうなら、のところにアクセントを置いたモニカの真意を測り損ねる。鞄から煙草を取り出して火をつけたモニカが、それを人差し指と中指に挟んだ。数度吸い込み、テーブルの上の灰皿に灰を落とす。
 すっかり煙草を一本吸い終えて、モニカは立ち上がる。
「じゃあ、私も仕事があるから、行くわ」
「もう?」
「子守りだけが業務じゃないのよ」
 ひらひらと手を振って、彼女は鞄を持って立ち上がる。いつもと同じくハイヒール。モニカは、ハイヒールを履いてジェイミーと並ぶと、彼と身長がほとんど並ぶんじゃないかってくらいに背が高い。
「そのヒール何センチ?」
「十センチないくらい」
「ふうん」
 靴擦れはしないの? もしも急がないといけないときに走れる? むくんだりはしないの?
 いろいろ聞きたかったけれど、モニカはさっさと指紋認証センサーに指を置いている。
「ケーキ、ありがとう」
「どういたしまして」
 モニカは振り返らずに、扉の向こうに消えた。

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