「きみが手に入ったと思ったらつい気が急いたんだ。傷つけるつもりなんかなかった」
 俺はレイラに嘘をつかない。だからこれは掛け値のない本心だ。俺は嘘のうまい類の大人だと思うし、幼いレイラを騙すことも簡単にできるだろう。けれど、それをしないのは、ひとえにこのうつくしい少女に信頼されたいからだ。
 正直に言う。これが一番こどもには効く。それを分かっていて本音を吐露するのは少し狡いか。
「ほんとうにすまないと思ってる」
 頬杖を解いて、視線を下に向けることで頭を下げる動作に代える。バスタブは彼女のいる位置よりも高いので、頭を下げても、あまり意味がない。
「ただ、これからのことを考えると」
 俺の言葉に、レイラがぴくりと肩を浮かせた。
「俺と仲良くしたほうがお得だと思わないか? もちろん、世話役のモニカとも」
「わたしきっと彼女に嫌われてるわ」
 すんなりとモニカについての考察を吐いたレイラに、首を傾げる。
 たしかにモニカは、俺がポケットマネーとは言え一億もの大金を積んでレイラを手に入れたことをよく思っていないが、どうしてそれが彼女に分かるのだろう。
「どうしてそう思うの?」
「だって……分かるの」
 居心地が悪そうに唇を噛んだレイラにも、もしかしたら女の勘とやらが搭載されているのかもしれない。
「たとえモニカがきみを嫌っていたとしても、これから仲良くなれるかもしれない」
「……そうかしら」
「少なくとも俺は、レイラと仲良しでありたい」
「あのね」
 彼女が鋭い声を発す。その厳しさに思わず姿勢を正す。
「仲良くしたい人に暴力をふるうのは駄目って学校で教わらなかったの?」
「……」
 なるほどなかなか鋭い指摘に、思わず押し黙る。俺はやはり、昨晩こらえるべきだったのだ。
 まだ腫れている目元を擦り、レイラは俺から視線を逸らす。どう言いくるめようか、考えて、口に出す。
「ラブ・バイト、って知ってる?」
「……?」
 レイラの目が頭の中の知識を総ざらいしているようにうろうろする。この少女はほんとうに、目は口ほどに物を言う、という言葉を体現している素直な子だ。数秒頭の中を検索し、レイラは諦めたように首を振る。
「猫がね、じゃれるときについ力加減を分からず相手に強く噛みついてしまうこと。噛まれたほうは痛いけど、愛情表現なんだ」
「……」
 雲行きがあやしくなってきたのを肌で感じ取ったらしい、レイラは心底嫌そうに薄い眉をひそめた。
「もちろん俺は猫じゃない。でも、気持ちは同じようなものだ。力加減がなってなかったね、ごめんね」
 俺はひとつも嘘は言っていないが、都合のいいことを言っている自覚はある。そして、愛情をちらつかされると人間が弱いことも分かっている。
 レイラは、困ったように視線を自分の身体に落とした。そして、はたと気がついたように胸元に目が釘付けになる。
「…………」
「それは俺の愛情のしるしだね。大丈夫、ほんの小さな内出血だから、痕も残らないですぐ消えるよ」
 初めて目にしたような顔で、ああいや、彼女は初めて見るのか、じっとキスマークを見つめるレイラに眉を下げて更に許しを請う。
「レイラ、いくら言っても信用してはくれないかもしれないが、俺はきみをほんとうに愛している」
 惑うベビーブルーの瞳が俺を見た。嫌悪の感情の波が少しおさまっているのが手に取るように分かった。代わりに、困惑がほとんど透明みたいなその瞳に映し出される。
「どうして……?」
「さて、レイラ。どうしてもひとりでお風呂に入りたいなら、俺は部屋で待ってる。それでいい?」
 レイラの問いに答えるつもりはさらさらない。嘘はつきたくないが、隠し事はしたい。
 バスタブから立ち上がると、レイラが慌てたように視線を逸らした。レイラの肩を、怖がらせないようにそっと抱いて、つむじにキスをして俺は脱衣所に続くドアをくぐった。
 脱衣所にはバスタオルも置いてあって、至れり尽くせりだな、と思いながらそれで身体を拭く。昨日着ていたスーツのスラックスと、一度濡れて乾いてなんとなくしんなりとしたシャツをまとい、部屋に戻る。まだ何も置いていないドレッサーの椅子に腰かけて気づく。テーブルに、ふたり分の朝食。モニカはほんとうによく気が利く。レイラと一緒に食べようとそれに手をつけないまま待っていると、バスルームのドアが遠慮がちに開いた。
「あの……」
「ん? どうした?」
「制服を取って……」
 顔だけ出した彼女がベッドのほうに目をやって、困ったように俯いた。
 立ち上がり、モニカが取り替えていったのだろうきれいになったベッドは避けてクロゼットの扉を開ける。そこには白いネグリジェがデザイン違いで数枚かけてあった。
「昨日と同じ服は嫌だろう?」
 一番右手にあったネグリジェを取って、ついでとばかりにクロゼットの中の戸棚を開けると、白いパンティ。モニカが白を好きだった印象はないな、と思いながらそれらをレイラに手渡すと、ひったくるように奪われた。ドアが閉まる。

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