優しくハニーブロンドの髪の毛を梳く。抵抗しないのは、彼女が眠っているからだ。
 先ほどまで、レイラはかたくなに俺の指を拒み、泣き濡れていた。手をはねのけ、シーツにもぐり込んでしくしくと切なそうにベビーブルーの瞳に涙を湛え。
 そのうち、嗚咽がおさまったと思いシーツをめくれば、泣き疲れたのかすっかり目を閉じて眠りに落ちていた。
 良心が痛まないかと聞かれれば、もちろん痛む。レイラからすれば俺が仮面を剥がして雄の顔を見せたのは、裏切り以外の何物でもないだろう。けれど、どうせいつかそうなるのなら、今でも同じだったはずだ。
 遅かれ早かれこうなって、レイラが泣いてしまうなら、嫌なことは早く済ませるに限る。
 破瓜の血に染まったベッドシーツを、明日中にはモニカに交換させなければ、と思いつつ無理をさせた腰を撫でる。裸の、真白いおうとつのないなだらかな腰は、まだこどものそれだった。
 目元を痛々しく腫らして眠るレイラの横顔はまだまだ幼くて、少しだけ後悔する。
「痛かったかな」
 問いかけに答えは返ってこない。ベッドに腰かけた状態で上体を逸らしレイラの寝顔を見ている。目が腫れていることを除けば、人形のように透き通ったピンクホワイトの肌も、ベージュの糸のような睫毛も、それが頬に落とす灰色の影も、驚くほどうつくしい。
 このうつくしい少女が借金取りたちの好きにされるのを未然に防いだのだから、俺は褒められるべきだ。
 自分を正当化して、レイラの涙でぐっしょりと濡れたシャツは見ないふり、気づかないふりをした。
 ふと、スーツの内ポケットに入れていた携帯が震えて着信を告げた。画面を見れば、モニカ。
「もしもし」
『あら、色気のある声ね。中学生相手にお楽しみ?』
 馬鹿にしたような皮肉を笑い声で流し、用件は、と聞く。
『カーペンター家への融資の件だけど、夫人がレイラを手放すことをようやく了承してくれたわ』
「手荒な真似はしていないだろうな」
『何を基準に手荒と言うのか分からないけど……少なくともあなたがレイラにやったような真似はしてないわ』
 どこまでも剣がこもっている。そういえばモニカには、監視カメラを通してこちらの様子は丸分かりだったような。一応、蚊帳の内側での出来事ではあるが、レイラの悲鳴や泣き声は届いているだろう。
 今後のために、俺の権限で録画を停止できるような機能をつけようと画策しながらモニカの報告を聞く。
『七年後にレイラの死亡を承知する申し立てをすることを条件に失踪届を出させて、融資を受け入れてもらった』
「それでいい。ご苦労だったな」
『ほんとうに苦労したわ。私には娘がいないから分からないけど、親って皆ああもかたくななのかしら?』
「自分の血を分けた、いわば分身だからな。ヒステリックにもなるんじゃないのか? 俺も娘いないから推測でしかないけど」
 レイラが手に入れば、ひとまずそれでいい。カーペンター夫人が泣きわめこうが半狂乱になろうが、どうでもよかった。
『それで、話は今後のことに移るけど……まず用意するものは、ピルと生理用品でいいのかしら?』
「その辺りはモニカに任せるよ。彼女に必要なものをきちんと用意してあげて」
 ピルはともかく、生理用品のことなんて俺には分からない。薬局で陳列されているのすらまじまじ見たことがないが、テレビのCMを見る限りいろいろなメーカーからいろいろな商品が出ているようだし。
「そうだ。ベッドのシーツとマットレスを新品にしてほしい」
『……あっそう』
 呆れたような声が返ってきて、苦笑いするしかない。どうせモニカの目には入るのだから隠しても仕方がないことではあるが。
「それと……エリックのことだが」
 俺の声のトーンが下がったのを感じ取ったのか、モニカが息をひそめた。
「どうなってる?」
『どうせ確認するんでしょう? 今聞いて何の意味が?』
「……そうだな」
 レイラが軽く身じろぎした。起きたか、と思い一瞬呼吸を止めるも、彼女は枕を抱いてじっと眠っている。
『ちなみに明日は午後から外せない予定が入っているから、それに間に合うようにオフィスに来て』
「逆を言えば午前中はここにいてもいいわけだ」
『あなた仕事を舐めてるの?』
 毛を逆立てて威嚇する猫のような声を出し、モニカは苛立ちもあらわに電話を切った。
 仕事を舐めているわけではないが、午前中、少なくともレイラが目を覚ますまではここにいないと。朝起きてひとりぼっちよりは、憎いだろうが俺がいたほうが安心感はあるだろう。
 風呂にも入れてあげたい。血を洗い流さなければならないし、彼女は昨晩身を清めていない。
「……」
 気が急いたか。せめて彼女に心の準備くらいさせてあげればよかったのかもしれない。いきなりではなくて、予告して覚悟させればよかったのかもしれない。
 しかしすべてたらればの話である。
「地に落ちた信用をどう取り戻そうか……」
 ひとりごち、首を振る。一度地に落ちた信頼は、もう二度と這い上がることはない。頭では理解していても、レイラに俺を信頼してほしい、そんな欲望は引き下がらなかった。
 ここで思考を転換する。そもそもレイラは俺を信用していたわけではないのだ。裏切りだとか、そういったものは俺が勝手に想像しているだけで、レイラからすればそんなことはなかったかもしれない。そもそもゼロの信頼なのだから、はじめから、と同じことだ。
「ん……」
 可愛い唸り声と衣擦れの音に、振り向く。レイラが寝返りを打ってこちらに背を向けていた。顔を覗き込むと、相変わらず瞼は痛々しく閉じられている。
 この瞼の奥にあるうつくしいベビーブルーの瞳に俺が映った。チェリーローズに色づいた唇が俺の名を呼んだ。それだけの理由で、年甲斐もなく高校生みたいに彼女を食い荒らしてしまった。
 胸元に咲いた鬱血した痕を指でなぞる。真白な、雪化粧のなだらかな丘陵に落ちたひとひらの花びらのようなそれが、彼女は俺のものだと主張していた。
 もう、俺のものだ。誰にも渡さない。

 ◆

prev | list | next