「もう、この部屋からは出られないの……?」
「そうだね。でも、必要なものはすべて揃えてあげる。コスメが欲しければ言えばいいし、服でも小説でも漫画でも、なんでも」
「外に出られないのに、お化粧なんて……」
「ああ、ちなみに、いくら欲しがっても端末は駄目だ。テレビも携帯もね」
 そんな注意事項は、今は些末なことに思えた。問題は、テレビや携帯がないことではないからだ。
 背後の扉を振り返る。今しがた入ってきたその扉が、世界とわたしを隔絶している。
 そんな扉が不意に開いた。入ってきたのは、豊かな黒髪を後頭部でひとくくりにしている、ほっそりと背の高い女性だった。黒いハイヒールのパンプスを履いたベージュの肌をした彼女は、しずしずとわたしたちのところまでやってきて、わたしを無遠慮に一瞥した。
「紹介するね。きみの世話係の、モニカだ」
「……よろしく」
 よろしくする気配がないのは、歓迎されていないのは、なんとなくその冷たい声色で分かった。なのでわたしは、おずおずと頭を下げるだけになってしまう。切れ長の目を鋭く輝かせ、彼女は手に持っていた手帳を開く。
「いきなりこんなことになって心中お察しするわ。でも、うちのボスがあなたを歓迎していることは伝えておく」
 うちのボス、と言うときにちらりとモニカが彼を見たので、彼女もJMの社員なのだと分かる。
「バスルームはあのドアの向こうにあるわ。生活に必要なリネン類はその棚。あとは追々自分で確認して」
 モニカの視線につられて、入ってきたのとは違うドアのある方向を見る。そこをじっと見ていると、モニカは釘を刺すように言った。
「あと、これは言っておかなければならないことなんだけど。この部屋とバスルームは二十四時間監視されている」
「え?」
「見えないと思うけど監視カメラがあるわ。計……四台だったかしら?」
「五台だ」
 彼が口を挟む。そうだった、わざとらしく相槌を打ち、彼女は朗々と続ける。
「何か下手なこと、逃げ出そうとしたり自殺をしようとしたりしても無駄だってことだけ知っていて」
 それきり、モニカは黙する。伝えることはすべて伝えた。そんな顔をして、わたしをねっとりと見ている。品定めされているようなその視線に耐え切れずに俯くと、彼が視線から守るようにわたしの肩を抱いた。
「モニカからは以上。ほかに知りたいことは?」
 わたしの言葉をメモするつもりなのか、モニカがボールペンの先を手帳につけた。
 いろんな疑問はあった。ほんとうにもうこの部屋から出られないのか、なぜわたしがこんな目に遭っているのか、どうしてモニカから嫌われているようなのか。けれど、どれもうまく言葉にはならないまま、ひとつの質問に収束していった。彼を見上げる。
「……あなたの名前は?」
 モニカが、呆れた、というようにため息をついた。彼は目を見開いて驚いたようにわたしを見つめている。
「ママに名刺を渡したものだから、すっかり名乗ったつもりでいたよ。ごめんね」
「……」
「ジェイムズだ。ジェイミーと呼んでくれて構わない」
 ジェイミー、と口の中でもごもごと転がすように名前を呼ぶと、彼は満足げに頷いてわたしの頭を撫でた。モニカが、つり上がった薄い眉を寄せて、じゃあ、と一歩下がる。
「私はこれで、いったん失礼するわ。分からないことがあれば聞いてちょうだい」
「ご苦労」
 モニカが踵を返して扉の向こうに消える。ぴんと伸びた背中が印象的な、賢そうな人だった。ぼんやりと、彼女の消えた扉を見つめていると、ジェイミーは唐突にわたしを腕に抱いた。
「……ジェイミー?」
「今日はこの辺で、と言いたいところだけど」
 男の人に抱きしめられるなんて、パパ以外にはされたことがない。男の子のアダムにも、抱きしめられたことはない。
 それで戸惑って、心臓の音がきっとジェイミーにも聞こえている、そう思いながらも高鳴りを宥めるすべを知らなくてどきどきしたままでいると、彼はわたしの手を引いてベッドのほうへ誘導する。途端に、心臓がさっきまでとは違う動きをし始めた。
 その拍動は、アラートに似ていた。警告音。
「や、いや」
「嫌? どうして?」
「だ、だって」
 天蓋から垂れる蚊帳をカーテンのように引いて、ジェイミーはわたしをベッドに押し倒した。じたばたと暴れるも、力強い腕にはそんなわたしの抵抗はまるで意味をなさないようで、簡単に押さえつけられてしまう。
「レイラ。きみはもう俺のものだ」
 耳元で熱っぽく囁かれ、身体がびくりと反応した。そのまま、吐息を耳から流し込まれて、鼓膜が湿る。
「こういうことをするのは、初めて?」
「ひっ」
 大きな、器用そうと思った手に、胸元を探られて情けない悲鳴が喉の奥から絞り出された。必死で頷いて肯定すると、彼はにっこり笑った。
「そう」

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