生涯愛し抜き、守る覚悟ができている、なんて。ボーイフレンドのアダムにはとても言える台詞じゃなかった。当然だ、彼はまだ中学生で、わたしと同い年、わたしだって、アダムを生涯愛し抜く覚悟なんてできていない。
 おままごとみたいなアダムとわたしの恋と彼が使う情熱的な単語は、遠くかけ離れている。
「……それをどう実証するの? 私にレイラの無事が分かるの?」
「いいえ。分かりません。引き取ったが最後、金輪際、レイラをあなたと会わせるつもりはない」
「そんな……」
 中学生のわたしでも分かる。融資とか担保とか、それらしい言葉を選んではいるけれど、要は彼はわたしに身売りしろと言っているのだ。
 自分の身体を見下ろした。この、細い棒のような、つい先日初潮を迎えたような十四歳の身体に、一億もの価値があると彼は言うのか?
 わたしが身売りをすれば、ママは楽になる?
「ただただ俺の社会的地位を信用し、俺の言葉を信用してもらうだけにはなるが、夫人を欺くつもりは一切ない」
 その言葉を最後に、ママとお兄さんは沈黙した。ママが悩んでいる証拠だった。
 急に降ってわいた非現実的な話に、わたしはひたすらついていくこともできずに置いてけぼりを食らっていた。やがて、ドアの向こうでママが泣き声で言う。
「……返事を待ってはもらえないの?」
「無理だ。今日、今、決断してもらわないと、先ほど俺が言ったことが現実になる。それは俺の本意でもない」
「……」
 ママが鼻をすすりながらむせび泣く声しか聞こえなくなってしまう。嗚咽はどんどん激しくなって、ついにはママはヒステリックに喚き出した。
「娘とお金を天秤にかけなければならない私の気持ちがあなたに分かりますか、今日突然そんな話を聞いていきなり娘を手放す決定ができると思いますか、私にとって屈辱なのは、屈辱なのは……!」
「屈辱なのは?」
「選択肢がないということよ! あなたに娘を差し出したって、金融業者に犯されるレイラを見るのと同じくらいにつらいわ!」
 いつの間にかわたしは廊下にしゃがみ込んでしまっていた。そこに、どこまでも冷静な彼の声が地を這う蛇のように響く。
「でも、あなたは決断を迫られている」
「……!」
 膝を抱えてしゃがんで、わたしはママと一緒に考えていた。どちらを選んでも男の人に乱暴されるのならば、たしかに同じだ。けれど彼は、自分の社会的地位を携えて、わたしを愛人にしたいと言う。誰とも分からない複数の男の人に犯されるよりは、彼の人形になるほうがはるかにいいのかもしれなかった。
 何よりわたしが、これ以上傷つくママを見なくて済む。ママのヒステリックな泣き声を、これ以上聞きたくなかった。わたしの中でママは完全な存在で、泣いたりわめいたり脆かったりしない。
「ママ」
 立ち上がり、ドアをそっと開けた。頬を真っ赤に紅潮させて短い髪の毛を逆立てて彼に掴みかからんばかりの勢いでテーブルから身を乗り出していたママが、はっと息を飲んだ。対して、お兄さんはすべて分かっていたというふうに緩慢なしぐさで振り返る。わたしが盗み聞きしていたことなど、すべて承知の上だったのかも。
「わたし、行く」
「レイラ……待って」
「自分のことだもの、自分で決めるわ」
 泣き出しそうだった。足が震えて、その場に立っていられなくなりそうだった。それでも、わたしはじっと、優しいグレーのママの瞳を見つめる。
「わたしは、泣いてるママを見たくない」
「待ってちょうだい、レイラ、お願い……」
 ママの縋るような目から顔を背け、わたしは立ち上がったお兄さんを見上げた。わたしよりもずっと背の高い、アダムとはぜんぜん違う、男の人だ。
「わたしにほんとうに一億の価値がある?」
「たとえこれが二億、三億に跳ね上がろうとも、俺は同じ決断をしたよ」
 やわらかく肩を抱かれて、わたしは揺らぎそうな覚悟を決めた。
 この人の人形になる。
 ママの声が遠い。わたしは、目を伏せて彼の匂いに意識を集中させた。いやらしくない程度に香らせている、ブランドも分からない香水の匂いに、整髪料の匂い。わたしが初めて嗅ぐ、パパ以外の男の人の匂いだった。
「では、詳しいことはまた後日。取り急ぎ、交換だ」
「レイラ、レイラ!」
 ママが、何度もわたしの名前を呼んでいる。わたしを連れて、お兄さんは部屋を出ようとする。わたしの手にママの指が絡みついた。
「レイラ!」
 振り向いたら、きっと覚悟が鈍るから。
 わたしは、歯を食い縛り唇を噛み締めて、その細い、ジャムをつくるのが大得意な手を思いきり払った。



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