「きみのパパは知り合いの借金の連帯保証人だった」
「…………」
 パパと、借金なんていう単語は、一番縁遠いものだった。だって真面目で優しくて、優秀な商社マンできっと社内でも評判がよくて……。
「連帯保証人って?」
「借金をした人間に何かあったときに責任を取る人」
「何かって?」
「そうだね……死んだり、逃げたり」
「……責任って?」
「代わりに借金を返す」
 お兄さんは、わたしの馬鹿みたいな質問にひとつずつ的確に答えをくれる。つまり、パパは自分のせいで借金を抱えたわけじゃない。でも、借金を返さなければいけなくなったのは、事実なのだろう。
「……パパはどこにいるの……?」
 その問いに、お兄さんは沈黙して答えてはくれなかった。代わりにママが泣き出した。それで、わたしはだいたいの事情を察した。察してしまえる年齢くらいには達していた。
 絶望的な気持ちで、わたしはなぜか今、鞄のファイルに大事にしまった満点の答案用紙を思い出した。
 パパに見せたかった百点満点を、わたしはびりびりにちぎり捨ててしまいたくなった。
「それで、ここからはきみのママと俺の話だ。レイラは部屋にいて」
「あなたは借金を取り立てる人なの?」
「いいや、俺はきみのパパの借金とはまるで無関係だよ」
 にわかに、ママの危機を感じ取り、わたしはてこでも動かないぞと足に力を込めた。けれど、お兄さんは静かにかぶりを振って、こどもをあやすように、歌うようにわたしの名前を呼んだ。
「レイラ。この先の話はきみに聞かせられない」
「……ママにひどいことをしない?」
「約束する」
 お兄さんが小指をわたしに向けた。おそるおそる、わたしも自分の小指を出して、絡めた。節のしっかりとした器用そうな指だった。そして、静かに指を離す。
 わたしはきっと、大海原に放り出された小舟に乗ったような顔をしていたのだと思う。お兄さんはわたしの編み込んだ髪の毛を撫で、ドアを手で示した。さあ行くんだ、そう言わんばかりに。
 しぶしぶ、重たい足を引きずるようにしてドアまで向かい、ドアノブに手をかける。ゆっくりとドアを開けて、わたしは廊下に姿を消した。もちろん、ほんのわずかに隙間を残して。そこに立ち止まったまま、わたしは彼らが話し出すのを待った。それは、何秒かの合間だったかもしれないが、わたしには何十分にも感じた。
「さて」
 お兄さんの、もしかしてドアを完全に閉めてしまっても聞こえたかもしれないバリトンが話を始める。
「カーペンター氏に課された責任は、一億。これをどう回収するか、相手方は躍起になっている」
 一億。気の遠くなる金額だった。学校で、将来のビジョンをグラフでつくる授業がある。何年後に大学を卒業し就職し、この年で結婚をしてこの年でこどもを産み、この年齢くらいには年収をこれくらいにしたい。そういうビジョンをつくる授業だ。そこで学んだ、この国の平均年収は年間で三百万。もちろん、パパは優秀だからきっとそれよりたくさんもらっている。我が家のお金の流れについて詳しくは知らない。けれど、それでも中学生のわたしからすればふらりと足元がぐらついてしまうような金額だ。わたしのお小遣いの何倍だろうって、考えただけでも頭が痛い。
「いろんな場所から借りていたらしく、ちょっとやばいところにも手を出していたらしい。ここまでは説明しましたね」
 パパが信じて連帯保証人になった人は、きっとこうなることが分かっていて逃げ出したに違いないのだ。そう思うと、見たこともない相手が憎くて憎くて仕方がない。
「もちろん、カーペンター氏の収入なしには、あなた方母子には返せない額であることも分かっていると思います」
「……でも、返す義務があるのでしょう?」
「そうですね」
 あっけらかんと、こともなげにお兄さんが肯定する。わたしはそこで疑問が浮かぶ。
 この人は何をしにうちに来たのだろう?
 借金取りでもないのなら、なぜうちに来て借金の話をしているのだろう。
 もしかして彼は、返す手段を考えてくれる、弁護士やその辺の何か、なのだろうか。
 じっと会話に耳を澄ます。
「けれど、一気にこの負債を覆す方法がある」
「え……?」
 ママの声色がにわかに疑念を抱いた刺々しいそれに変わる。わたしにもその、負債を覆す方法、がろくなものでないことが分かる、彼の口調だった。相対しているママからすれば、そんなものは手に取るように分かったのだろう。

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