「…でね、最近はレーガが手伝ってくれるから、水曜日はすごく楽させてもらってるんだ。」
「なんだよそれ、毎週手伝ってくれるとか、うらやましいなー!…あー、オレも本格的に彼女募集しよっかなー。」
「…えっと、彼女=お手伝いさんみたいに聞こえるのは、私の気のせい?」
「お、おー、気のせいだぜ!なまえみたいに、好きな相手と一緒に牧場できたらシアワセだろうなーって思っただけだし!」
貿易ステーションからの帰り道。
からからに乾いた風が、赤や黄に色付いた葉を揺らしては攫っていく中を、たまたま会ったフリッツと二人で歩きながら、近況報告をしていた。
レーガに関する話題は、特に聞かれない限り、自分からは話さないようにしているのだけれど。
二人の共通の友人でもあって、気の許せるフリッツが相手だと、惚気話のようなものだと分かっていながら止まらなくなってしまう。
彼女募集中のフリッツに対して、少し悪いかなとも思ったけれど、そんな私の話を、彼は呆れるでもなく、うんうんと頷いて聞いてくれていた。
「でも、ホッとした。その…嫌がらせのことも気になってたんだけど、今はもう、なんともないんだよな?」
「あ、うん。そういえば、無いかも。」
「はー、安心したぜ。あれからどうなったかなって、気になってたからさ。」
「ありがとう…!でも、もう大丈夫みたい。心配させてごめんね。」
忘れていた…というわけではないけれど、水をかけられて以来は何も無かったし、特に気にしていなかった、というのが実際のところだった。
ごくたまに聞こえるひそひそとした悪口も、心の持ちようで無視することができたし、このまま時間が経って、少しずつ無くなってくれればいいなと思っていた。
「今日もレーガ、来るんだよな?」
「うん。夜ご飯、何にしようか考えてるんだ。」
「そっかー。なまえの手料理ならきっと、何でも喜びそうだけどな。」
「そうだといいんだけど…。」
「…あー、やっぱうらやましいぜー!オレも早く彼女ほしいなー!」
そんな話をしながら二人並んで歩けば、あっという間に山のふもとの分かれ道に辿り着いてしまった。
まだまだ話していたい気持ちもあるけれど、今日はレーガが来るのだ。
早目に帰って準備をしたかったし、フリッツもフリッツでまだ仕事があったみたいだし。
「じゃあ」って言って、彼とはその場でお別れして、家路を急ぐことにした。
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(貿易ステーションで買ったものの整理と…あ、あと加工品のチェックもしなくちゃ)
フリッツと別れたすぐ後のこと。
ざわざわと川がせせらぐ音を耳にしながら、私は頭の中で、牧場に戻ってからすることを順序立てていた。
完全に自分の世界に入り込んで、夢中になって考えを巡らせていた、そのとき。
特に意識もせず見つめていた足元の道に、ふいに、大きな人影が落ちた。
普段は決して人通りが多くないこの道で、突然誰かとぶつかりそうになったものだから、ビクッと身体全体が驚いて足が止まる。
「…!ごめんなさい…っ!」
寸でのところでぶつからずに済み、慌てて頭を下げる。
咄嗟に謝ったから、相手が誰かなんて全然見ていなかったけど、バッと顔を上げてみれば、相手は一人ではなくて。
4、5人くらいで、自分を取り囲む女性たちの冷ややかな面持ちを見て、あれ、なんかこれってもしかして、ぶつかりそうになった事を怒ってる訳じゃないのかもしれない…と勘付いた瞬間、全身を緊張が駆け巡った。
「なまえさん、だよね」
「ちょっと話があるんだけど」
「……」
予想通りに放たれた言葉に、どう答えようかと迷う。
きっと、彼女たちの言う話っていうのは…レーガのことに、違いない。
最近すこし落ち着いてきたと思ってたのにな、とか。陰口を叩かれるよりはいいのかな、とか。
目を逸らして冷静に思案するも、どう答えたら角が立たないのか、考えはまとまらなくて。
なかなか口を開こうとしない私に、次第に苛立った空気が伝わってくるのを感じた。
「…何か言えよ」
「わたしたちも、暇じゃないんだよね」
…じゃあ、私になんか構わないでくださいよ…なんて、言える訳もないけど、切にそう思う。
そうしたら、考えていることが表情に出てしまったのか、彼女たちが口々に言い出した。
「なんだよ、その顔」
「やっぱレーガの前ではいい子ぶってんじゃん?」
「だよねー。じゃなきゃ、大して可愛くもないのにこんな奴と付き合ったりしないって!」
「ホント、騙されてるレーガがかわいそう」
「早く別れてあげたらいいのに」
私が何も言わないのをいいことに、彼女たちは露骨に悪口を並べていった。
こういうのは、下手に煽らず言わせておいた方がいいのかもしれないと思って、黙って受け流していくけど…。
ずけずけと放たれる刃物みたいな言葉に傷付かないほど、私は特別に神経が太いわけでも無くて、少しずつ顔が俯いてしまう。
でも、そんな私の反応はきっと彼女たちを喜ばせるだけなのかもしれない。
これからも堂々とレーガの隣にいるためには、低姿勢になるんじゃなくて、ちゃんと戦って、撥ね除けなくちゃいけないんだって、この間決めたばかりじゃないか。
彼女たちに対して強く言えるほどの勇気は、まだ無いけれど…。
大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせて、気持ちを立て直して、毅然と背筋を伸ばした。
すると、そんなわたしの反応が気に食わなかったのか、リーダー格が、ため息混じりに言った。
「…分かんないかな?レーガと別れてほしいって言ってるんだけど」
「……別れるつもりは、ありません」
「あんたがどうしたいかじゃないんだよ。レーガのために、別れてって言ってんの」
「それなら、私に言うんじゃなくて、本人の意思を聞いて下さい」
「だから、あんたがレーガを騙して惑わしてるから、こうやってあんたに言ってるんだよ!」
酷い言いようだ。
冷静に聞いてみれば、結局、私に言いがかりをつけたいだけなんだと思う。
そう考えると、傷付くものは傷付いても、先ほどよりもずいぶん気にせずにいられた。
私はこうはなりたくない、とまで思えてきて、少しだけ気が緩んだ、その時。
「…オレが、どうしたって?」
「…レーガ!!!」
「はは、なまえに惑わされてるのか、オレ。」
幻でも見てるんじゃないかと思った。
どうして。なんでこの時間に、レーガがここにいるの…?
そう思ったのは、彼女たちも同じようで。
ゆっくりとこちらへ歩み寄って来るレーガを目の当たりにして、先ほどの威勢は何処へやら、何かをこそこそと話し合うようにしながら、明らかに焦っていた。
「悪いけどオレ、この子が好きなんだ。いくら大事なお客さんでも…彼女に手を出す相手には、容赦できないと思う」
そう言って、私の肩にレーガの手が回る。
彼の言葉に、行動に、心が震えるほど嬉しくなった反面。
威圧するようなその佇まいを、少しだけ怖いと思ってしまったのは…もちろん、こんな風に怒りを滲ませる彼を初めて見るからだとは思うけれど。
嫌がらせを受けている事を、彼に知られてしまったのも、もしかしたら、理由の一つかもしれないと思った。
私の胸の奥が、そんなモヤモヤとしたわだかまりで支配されていくのを他所に、気まずそうに、リーダー格が「行こう」と呟いた。
そそくさと去る彼女たちの後ろ姿が、やがて遠ざかっていくのを見て、安心したような、そうでないような、変な気持ちになる。
場が収まって、肩を掴んでいたレーガの手が、そっと離れると、そのまま私の手に繋がれた。
「はー…なまえが無事で、良かった。」
「えっと…来てくれて、ありがとう…。」
「いや、ごめんな。こんな事になってたなんて知らなくて。」
「ううん。」
…そうだ。
レーガに嫌がらせの事がバレたら、もしかして、別れ話になってしまうんじゃないかって、そんな懸念をしていたんだ。
確かに、少し前はそんな風に思ってたけど。
今、優しく手を握って、宝物みたいに私を見つめる彼を見れば、そんな心配は必要ないんだって分かる。
だってこうやって見つめ返してみれば、彼の眼差しはあまりにも温かくて、愛しくて。
「あのさ、オレ…なまえのこと、守りたいんだ」
「……!」
「だから、もっとずっと一緒にいたい。」
「うん、私も…一緒に、いたい。」
想いを塗り重ねるように紡がれた言葉にときめきを隠せず、返事と一緒に、力強く頷いた。
確かに…こういう場合は、レーガ本人が調停するのが、一番丸く収まるのかもしれない。
じわり、じわりと広がる甘い痺れに身を委ねれば、先ほどまで感じていた不安なんて何処かへ消し飛んで。
気付けばただただ、底の無い幸福感に包まれていたんだ。
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