まるで子供が親の服の裾を掴むかのように、ぎゅっと私の手首を握っていたレーガは、部屋の中へ入ると、ようやくその手を離した。
先ほどからずっと俯いている彼の瞳が、じとりと揺れるのを目の当たりにして、ちくちくと胸が痛む。レーガに、嫌な思いをさせている。


「…ごめんな。急に来れなくなったって聞いたから…心配で、様子を見に来たんだ」

「……私の方こそ、ごめんなさい。牧場の仕事で、急な依頼が入っちゃって…レーガにちゃんと言いに行くこともできなくって…」

「いや…急ぎの仕事なら、仕方ないと思う…けど…」

「……」

「それにしてはさ……家の中で、フリッツとやけに楽しそうだったと思ってさ…。」

「!!」


レーガの言葉に、体中を衝撃が巡った。フリッツの見送りをしたところだけじゃなくて、家の中でのことまで、見られていたなんて。
咄嗟に仕事だと嘘をついてしまったけど…どこからどこまでが見られていたのかと思うと、気が気ではなくて、心臓がどくどくと嫌な音を立てた。


「フリッツとは何もないよ…。彼に手助けを頼んだのも、同じ牧場主だからで…。」

「……」

「でも、レーガに嫌な思いをさせたよね。本当に…ごめん。」

「いや…オレの方こそ、悪い。なまえは一生懸命仕事してるんだし、あんたやフリッツのこと、責めたいわけじゃないんだ……」

「………」


重ねていく嘘が、きゅうっと心を締め付ける。あらゆる申し訳なさに苛まれて、嫌がらせのことも、本当は全部打ち明けてしまいたいのに。ずるくて臆病者な私は、それを口にすることが出来なかった。
すると、先ほどから降り積もっていく罪悪感からの、逃げ道が欲しかったのかもしれない。私の頭に、ある考えが浮かんだ。


「…レーガ、明日の夜は時間ないかな?」

「……え」

「今日の埋め合わせを、させて欲しくて…。」

「空いてるけど…なまえは、無理してないか?」

「もちろん。何でも聞くよ。」


穏やかな笑みを貼り付ける。自分がいま微笑んでいると思うと、何故だか余計に心苦しくなる。
レーガの反応を窺うと、彼は、「そうか…」と言って、何かを考えるような仕草をしていた。
しばらくそうした後、ぱっと顔を上げて、「じゃあ、」と真っ直ぐな瞳で口を開いた。


「…なまえの料理が食べたい。」


夜ご飯はハンバーグがいい、みたいに言うものだから、拍子抜けしてしまった。
もっと困るような要求をされて当然だと思っていた。それなのに、私を見つめる彼の瞳は純粋そのもので、また申し訳ない気持ちが積み重なった。

抱いた罪悪感は消えないけれど、考えてみれば、一度きりの埋め合わせで全部を帳消しにしてしまうのは、卑怯な考えだったのかもしれないと感じた。
それなら、これくらいの要望が丁度いい。私はようやく少しだけ、抱えた荷を降ろすことができた。


「うん、私で良ければ作らせてほしいな。…なにか食べたいものはある?」

「よっしゃ!……あー、でも。なまえの手料理がいいなとだけ思ってたから、何って言われると…そうだな…」


些細なことなのに、ものすごく真剣に悩み始めるレーガの姿を見ていたら、罪悪感で塗りつぶされた上から愛しさが注がれていくのを感じた。ああ、もうこれ以上、この人を傷付けちゃいけない。そんな思いが胸を占めた。
告白の返事をしたとき、わたしはレーガのことを「大切にする」って言ったけど……今になって、やっと少しずつ本当の意味が分かってきた気がした。




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いくら親しんだ間柄とはいえ、プロの料理人に食べてもらうというのは、少なからず緊張するもので。
レーガのことだから、きっと味がどうこうというよりも、わたしが作る事に意味があるんだとは分かっている。…けど、彼の視線が私の作ったものに注がれる様子を見ていると、どうしても背筋がピンと伸びてしまう。


「…うまそう。これ、食べていいのか?」

「…はっ、あ、うん!もちろんだよ!」

「じゃあ…いただきます。」


結局のところ、レーガからのリクエストは「おまかせ」という、簡単そうで一番難しいものだった。
そんな彼のリクエストに、私は頭をフル回転させて…はじき出した結論は、一人暮らしの彼のために家庭的な料理を作ることだった。

お味噌汁に、おひたしに、焼き魚に。
中には日頃から作っているものもあるけど、肝心の味はどうだろうか。
私は、レーガの箸があちこちのお皿へ伸びる様子を、自分が食べることも忘れて見守っていた。


「………あの、感想は……」

「…っと、悪い。あんまり美味いから、食べるのに夢中になってて…。」

「…!」

「めちゃくちゃ美味い。なまえはいい奥さんになるよ。」


そんな事をさらっと言うものだから、否が応でも顔に熱が集中していった。
レーガの方を直視できず、そっぽを向くと、はは、と笑い声が耳に入った。


「耳まで真っ赤だぞ。」

「〜っ、意地悪、言わないで」

「…でも、ほんとに美味いよ。オレは普段、あんまり時間もないし、自分の料理なんてサッと作って終わりだからさ。こういう、手の込んだ料理っていうのは…なんだかすごく、トクベツな感じがする。」


…ほら、また。
レーガはそうやってすぐ、わたしを喜ばせてしまう。
お返しとか、埋め合わせとか、私から気持ちを伝えようとしているつもりが、いつの間にか私の方が嬉しくなってる。
照れ隠しから口を尖らせながらも、心の中ではレーガを想う気持ちが降り積もっていくのを確かに感じていた。


「レーガさえ良かったら…また、作るね。」

「それ、めっちゃ嬉しい。楽しみにしてるからな。」


罪悪感を消すことはできないけれど、例えばそれを愛情で塗り替えることってできるんだろうか。
わたしは、クローゼットに押し込んだリュックに入ったままの、彼へのプレゼントのことを思い出して、食事が終わったあと、どうやって渡したら喜んでくれるだろうかと、密かに思いを巡らせた。





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