「…さて、召し上がれ。なまえには特別にサービスしてやりたいところだけど、店のメニューだからな。こればっかりは特別扱いできなくてごめんな。」
ある日の昼下がり。コトッと音を立てて目の前に置かれたのは、先ほど注文したさつまいものパスタだ。いつ見ても、彼の作る料理には食欲がそそられる。
レーガの言葉に、ううん、とかぶりを振ると、ゆっくりと彼の顔が近付いて至近距離で見つめられたものだから、まだこの関係に慣れない私は、胸の鼓動が急激に早まるのを感じた。
そんな私の反応を見てか、レーガは照れたように笑うと、耳元に顔を寄せてそっと囁いた。
「…代わりと言っちゃなんだけど、後で差し入れしに行ってもいいか?」
「…!!よ、よろこんで…!!」
彼氏って、すごい。
耳から広がるドキドキに戸惑いながらも、午後の仕事も一生懸命がんばって終わらせようと意気込む。
だって、そんな風に言われたら、俄然やる気が出てきてしまうじゃないか。
牧場に戻ったらあれをやって、これをやって…と順序立てていたら、レーガが今度は頬杖をつきながらまじまじと私のことを見ていたものだから、それに気付いた私はまた心拍数が上がった。
あの、えっと、今はお昼時でして、他にもお客さんがいるわけでして、私に構ってる暇などないのでは…と見渡せば、やはりそこはさすがプロである。どのお客さんも目の前にはちゃんと料理があった。
そんな風にきょろきょろと店内を見回す様子さえも全部レーガに見られてて、こんな調子でこの先、私の心臓はもつのかと不安になった。
「…さて、ちょっと二階に行ってくる。すぐ戻るからな。」
もぐもぐとパスタを味わいながら、こくりと頷く。仕込みかなにかだろうか。
レストランの仕事にどんなものがあるのか、まだ全部は知らないけれど、そのうち知っていけたらいいな…。
そう思いながら、レーガの背中を見送った、次の瞬間だった。
(…今の見た?)
(やっぱ、付き合ってるってマジっぽいよね…)
(でも、釣り合ってなくない?)
(そう思うよね!?ホント、どんな手を使ったんだろ…)
(ねえ…なんかこっち見てない?)
(えー、やだ、マジで見てる!)
耳に入ってきた言葉がにわかに信じられなくて、つい後ろを振り返ると、2人組の女性客と目が合った。
慌ててすぐに逸らしたけど…うそ、こんなことって、本当にあるんだ…。
彼女たちの悪意をなるべく気にしないように、まだほんのりと湯気が立つパスタに目を落とす。
フォークでくるくると巻いて口に入れると、絶対に美味しいはずなのに、なぜだか先ほどよりも味気なく感じた。
程なくして戻ってきたレーガに「すごく美味しい」と伝えると、ずっとにこにこして私が食べ終えるのを見ているものだから、嬉しい反面、どうにも居たたまれないと、そう思ってしまった。
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牧場の仕事に打ち込んでいると、気が紛れる。
それに、今日はレーガが差し入れに来てくれるのだ。
レストランのあの空間では、女性客の視線が気になっちゃったけど、ここでなら気にせず彼との時間を過ごせると思うと、畑を耕す手にも力が入った。
(…そうだ!差し入れのお礼、何がいいかなぁ…)
そういえばりんごが収穫時だったっけ、と思い当たる。
よし、今日のお礼はそれにしよう。せっかくだからレーガと一緒に収穫するのも楽しそうだ。
レーガへのプレゼントが決まったことで、仕事の手もはかどった。
薪割りと、水やりと、苗の植え付けと…。
ひととおり牧場の仕事が片付いてきた頃には日も傾いて、いい具合の時間になっていた。
「…おつかれ、なまえ!!」
「あっ、レーガ、いらっしゃい!!」
「持ってきたぜ、差し入れ。」
「わー!ありがとう!!」
「…キッシュ、好きだったよな。店で出してるのとは、具も味付けも違うからさ。どうぞ、召し上がれ。」
包みを開くと、ふわりと良い香りが鼻をくすぐった。
トマトが入っているのだろうか。お店で出てくるキッシュとは違った色合いに、まじまじと見入っていると、レーガがふっと笑う。
「たぶん、なまえ好みの味付けにできてると思うんだけど。なまえの好み、もっと知りたいから…こうしてほしいとか、ここが物足りないとか、要望があったら言ってくれよな。」
「うん、わかった…!ありがとう!」
いただきます、と手を合わせてキッシュを口にすると、トマトの風味が口いっぱいに広がる。
生地のほんのりとした塩味と、火の通ったトマトの甘味が絶妙で…要望もなにも、美味しくてほっぺたが落ちそうだ。
レーガといたら太っちゃいそう…ふとそんな不安が湧いてくると、そんな表情を読み取ったのか、レーガが心配そうに私の顔を覗き込んできた。
「ど、どうした…?」
「えっとね…あまりにも美味しいから、たくさん食べて太っちゃうんじゃないかって。だから、できれば今後カロリーオフでお願いしますっ。」
「そういうことか、了解。」
「カロリーオフとか、俺の勉強にもなるよ」と言って、レーガは笑ってくれた。
しばらく料理の話をしているうちに、私はふとりんごの事を思い出したので、一緒に収穫したいのだと提案した。
レーガにとって木になったりんごを収穫するのは初めてだったみたいで、興味津々で始終目を瞬かせていた。
そんな彼がなんだか子供みたいに見えたのは、私だけの秘密だ。
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「結構遅くなっちゃったね。レストランの方は、大丈夫?」
「ああ、大丈夫だよ。ディナータイムまでは、休憩中ってことで店を閉めてあるんだ。」
「…?前からそうだったっけ…?」
「…いや、そういうわけでもないんだが…。元々お客さんの少ない時間帯だし、事務的なこととか、自分のことなんかにもっと時間を割けたらと思って、そうしたんだ。」
確かにレーガは朝が早いし夜も遅いし、オーバーワーク気味なところがあるから、そうした方が彼の身体にとってもいいのかもしれない。
そんな風に考えていたら、再び彼が口を開いた。
「ところで、今日も夕飯、食べにきてくれるんだろ?」
「あ、そのことなんだけど……」
「……?」
「えっと…ごめんなさい。実は今日はちょっと、まだ結構仕事が残ってて…」
「…そっか、わかった。そういう日もあるよな。フリッツにも伝えとくから、何か、俺に手伝えることがあったらエンリョなく言ってくれよ。」
「うん、ありがとう。ごめんね。」
じゃあお互い頑張ろう、と言ってレーガを見送る。
坂を下って、その姿がかなり遠くになるまでこちらを気にかけて手を振ってくれる彼を眺めながら、ふつふつと罪悪感が湧いてくる。
…本当は、行きたかった。
けど、昼間のこともあって、今はレストランには少し行きづらくて…。
でも、駄目だ。こんな事で逃げてないで、明日こそはちゃんと行こう。
そう決意して、私はもうほとんど終わってしまった牧場の仕事の残りに取りかかった。
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