そんなの嘘に決まってる

「今晩家来る?」

 自販機前のソファで小休憩していた私に近づき言い放たれた一言。吃驚してついあぁ、うんなんて返事しちゃったけど、え、どういう意味?おかげで全然仕事に集中できなかった。まぁやることはキッチリやりましたけど。
 数日前から私と花巻が付き合うのは分かった。それはもう理解した。先に惚れたもん負けっていう謎な展開になったことも分かってる。ただ、まだ私には実感がないだけだ。同じ職場で働いてるからこそ、普段から恋人同士っぽいことなんてできないし。まぁ、する気もないんだけど…。
 そんなところへ先ほどのあれ。家に招くってことはやっぱそういうお誘いと捉えていいのか。缶コーヒーのプルタブをカチカチと、動揺が行動に出てしまってるみっともなさよ。……とりあえず急にってことはないだろうとこれ以上考えることを放棄し、さっさと退社カードをパネルにかざした。

 会社のビルを出て先に退社したあいつに電話をかければ「もしもーし」と間の抜けた声。

「今終わった。さっさと帰りやがってちくしょう」
『仕事が早くてごめんなさいね』
「で、買ってくものある?そのまま向かうよ?」
『迎えに行く。とりあえず駅まできて』

 前に数回酔っぱらった花巻を送ったことがあるとはいえ、ほぼタクシーだったし、よく考えてみれば最寄駅の名前すら憶えていなかった。よくそれで向かうよって言えたなって笑い声が聞こえてきたけど、まったくその通りだと我ながら思う。
 いつも乗る電車とは逆のに乗り込み、本当にこれはちゃんと各駅だよな?なんて謎の不安感が拭えなかったが、どうやら合っていたようで、アナウンスの音声でお目当ての駅名が流れた。駅が近づくたびに変に緊張してるのは気のせいだ多分。



「お邪魔しまーす」

 駅まで迎えに来ていた花巻に連れられ、徒歩10分ほどで到着したアパート。そこそこな広さの部屋にはシンプルながらもやや個性的な配色の家具が並んでいて、花巻なりのこだわりを感じる。やっぱセンスいいなこいつ。

「人の家来ると、キョロキョロ見ちゃうよね」
「あー、そうだな。っつっても何もねーぞ」

 冷蔵庫を漁ってた花巻が缶ビールを持って戻ってくる。しっかりおつまみまで用意されていて感謝しかない。

「てか、今日なんで急に家誘ったの?」
「こないだ飲みたいけど金ないって言ってたから」

 なるほどね、納得。変に緊張してたのがアホらしく思え、訪問時間僅か五分ですっかりリラックスしてしまった。それにしても、私が言ったことをしっかり覚えててくれてたなんて、だからおモテになるんでしょうね。
 小さな座椅子に腰かけ、缶ビールを受け取って乾杯。この一口のために今日頑張ったんだっていうくらい、最初の一口が格別に美味しいこの現象はなんなんだろうね、というくだらない話や、上司の愚痴や仕事の問題、恋愛話。場所が変わっても、私らの話の中身なんていつも居酒屋で話す内容とちっとも変わらない。が、それが楽しいからいいんだ。

 適当にテレビのチャンネルをかちゃかちゃ変えていると「そろそろ風呂入れば?」と言われ固まってしまった。え、何。風呂入るってことは。

「え、今日って泊まり?」
「え、だって明日休みじゃん」
「何も持ってきてませんが」
「俺の貸すけど」

 きょとん顔の花巻を見て、自分が結構おかしなことを言ってるという実感が湧いてくる。あ、そっかそっか、やっぱそうか。まぁ普通恋人同士なら泊まるよね?ん?でもまだキスもしてないのに急にこういう展開になるもんなの?やばい、分からない。
 手渡されたタオルと着替えを受け取り、ではいってまいりますとまたおかしなことを言ってしまったが気にしないでほしい。

「桜城」
「は、はい?」
「あんま緊張されると、こっちまでうつる」
「し、してない!」
「ならさっさと行け」

 部屋を追い出すように背中を押される。花巻の貴重な照れ顔をからかう余裕がないくらい私は緊張していたようだし、なによりその緊張が花巻にバレバレだったことが一番恥ずかしかった。

 シャワーを浴びている間の時間で、すっかり平常心を取り戻した私はテーブルに置きっぱなしにしていた残りのお酒を飲みほす。

「花巻ー、服ありがと」
「おー…」

 身長が無駄にデカい花巻の服はやっぱりデカくて、腿の中間あたりまでをすっぽり隠している。まぁ借りておいて文句は言うまい。まだ濡れている髪をタオルで乾かしている間も感じる熱い視線は正直居心地のいいものではない。

「…ジロジロ見んな変態」
「いや見るだろ普通」
「そんな当然のように返されても」
「え、つかお前下履いてる?」
「履いてないけど」

 こちらも当然のように答えるとべしっと頭をはたかれた。痛い。理不尽だ。

「だってあのハーフパンツ緩い!」
「何お前、襲われたいの?」
「はぁ?!」

 いや、だってほら、順番的にキスもしてないし。それに今すっぴんで可愛いパジャマも着てないし、そんな要素あんまないからまぁいっかってなるじゃん!早口でそう言ったせいか、動悸が激しい。

「じゃぁキスする?」
「は」
「別に俺可愛い恰好してほしいとかないし」
「いや、」
「寧ろこういう無防備な方が好きだし、結局裸になるんだし何着てても関係ないっつうか」
「ちょっと黙ろう花巻」

 両手で無理やり花巻の口を封じ黙らせた。とにかくちょっと話し合おう。深い溜息をついた後、花巻が口を開く。

「俺だって別にいきなり今日ヤろうとかは思ってなかったよ」
「ですよね」
「でもさ、一応男なわけ、オスなわけ。そういう無防備な恰好されたらそういう気になるよね」
「…そうですか」
「なんつうか、桜城はまだ俺のことそんな好きじゃないでしょ?」
「は?」
「likeかloveかでいうと」
「あぁ…まぁ、まだlike、かな?」
「それが変わらない間は、我慢しといてやろうって思ってたの」

 花巻は怒ってるけど、なんだかその優しさがちょっと嬉しかった。あれ?私なんか結構大切にされてる?って。
 それはいいとして、そこまでで私は一つだけある疑問が浮かんだ。

「は、花巻、ちょっといいかな?」
「なに」
「えっと…桜城"は"まだって言ってたけどさ、花巻は。え?私のことどう思ってんの?」

 そもそもこの関係の始まりがグダグダなせいでよく分かっていなかった。なんかお互い相手いないし、別に嫌いじゃないから付き合ってみるか、的なノリだとそう解釈してたんだけど、いいんだよね?恐る恐る聞く私を見てきょとんとしてる花巻は、呆れたように一言。

「好きでもない女、家に呼びませんが」

 吃驚しすぎて持っていた缶ビールの缶を落としてしまった。中身飲み干しておいてよかった…って、今はそんなことどうでもよくて。

「わ、私じゃ興奮しねーとか言ってたじゃん!」
「いや、嘘に決まってるデショ」
「私のことそういう風に見たことないって!」
「あー…半分ホントで半分嘘」

 突然の種明かしに恥ずかしくなってきたというのに、目の前の男は飄々とした様子で私が落とした缶ビールを拾いながらぶつくさ文句を言っている。ドギマギしていると頭を軽く小突かれ、目の前には照れ臭そうな花巻。

「だからって急に変わんなよ。素のままで付き合いたいって言ったろ」
「…分かった」
「俺がお前を好きっつーのも、ちょっといいなーって思ってるレベルだし」
「その中途半端さはなんか腹立つな」
「まー、アレだよ。いつか絶対俺を好きにさせっから」

 ふふんと笑い言い放った花巻のドヤ顔。その顔はなんだ。ていうかなんちゅー自信…その自信はどっからくるのやら。
 やれやれとベッドに腰をかけると「なぁ」と声をかけられ、反応する前に両肩を押され優しく押し倒された。

「は、え?!結局ヤんの?!」
「ねぇ桜城、ムードって言葉知ってる?」
「いやいや、そんなの作る余裕ないから」
「へぇ〜…」

 どこか嬉しそうにニヤニヤして「今日は我慢する、だからさ」と、その先の言葉は続かず、ゆっくりと落ちてきた唇。そのままそっと口づけされ、私もすんなりそれを受け入れてしまった。
 実際にはものの数秒だったんだろうけど、私の体感はその何倍にも感じられて、初めてするキスでもないのに頭が真っ白で何も考えられなかった。
 すっと離れたあとは、なんとなく顔を合わせずらい。私、本当に花巻とキスした…。前想像したときは笑い飛ばしたけど、実際は全然笑えない。心臓バクバクうるさいし、体あっついし。

「…そういう反応されると我慢できなくなるからやめて」
「いった!」

 強めにされたデコピンは痛かったけど、花巻のテレ顔が少し面白かったから、まぁ許してやろう。