07

 広島での激闘からまだそう経っていないにも関わらず、あれから随分な時間が過ぎたような、やっぱりそうでもないような。そんなふわふわした気持ちだった。
 海南バスケ部の練習が長期間休みになるのはインターハイ後の数日間と年明けくらいだ。
 途中あるテスト期間は勉強に集中するため時間を短縮したり1日くらいの休みはあるものの、5日間もバスケをしないのはこの夏くらい。

 休みの日、1日目の朝は久しぶりに波に乗りにいった。日本一の称号を得ることができなかった悔しさや、まだ残っていた己の熱をいい具合に鎮火してくれたと思う。
 次は国体がある。そしてその次は冬の選抜。俺はチームのキャプテンなのだから、この休みの間にさっさと気持ちを切り替えよう。
 前向きな気持ちになったところで久しぶりに街をぶらついてみようかなんて気まぐれに思った休日3日目のことだった。藤真から連絡が入った。

「は? 今夜?」
「お前暇? ちょっと用があんだけど」
「なんだよ」
「まぁとりあえず来いって。花形とか、うちの部員もいるんだけど」

 相変わらず軽いノリで一方的に約束をとりつけられる。けど、特に断る理由も見つからない。寧ろ今夜は少し暇を持て余していたぐらいだった。
 まぁいいか。そんな軽い気持ちで、数時間後待ち合わせ場所に向かったことを俺は後に後悔する。



 待ち合わせ場所で俺を待っていたのは藤真ただ1人。話に聞いてた花形やその他の部員はどこにも見当たらない。
 どういうことだと目で訴える俺のことなどお構いなしに「よお」と軽く手をあげる藤真はどこか楽しそうだ。

「なんなんだ急に」
「こっちこっち」

 時刻は18時だが、真夏だから辺りはまだ明るく、目先にある神社が人で賑わっているのがハッキリ分かった。
 神社の小さな鳥居前で群がっていたグループが一気に中へ吸い込まれた瞬間、奥で佇む2人組が目に飛び込んでくる。そしてはっと息をのんだ。
 さくさく進んでいた足が瞬時に止まり、少し前を歩く藤真を呼ぶ声は自分でも驚くほど不機嫌なものだった。

「そんなおっかない声だすなよ。主犯はアイツなんだから、文句は圭に言え」
「……お前ら繋がってたのか」
「なんだ。どこまで進んでんのかと思ったら、そういうことは聞いてねーんだな。圭と楓ちゃんとは……ま、幼馴染みたいなもんだ」

 俺が初めて楓さんと会ったとき、既に藤真との距離が近いことは分かってた。たまに楓さんから出る藤真の話、翔陽の試合結果を知っていた横山。何かしらの関係があるとは薄々感じてはいたが、まさかそんな関係だったとは。

 ちらりと再度視線を前にやると、ハッキリ楓さんの顔を確認できた。まだ向こうは気がついていないようで、隣の横山と何か話をしている。
 愛知へ偵察に行った日の帰り、海に行った日以来の笑顔につい目を背ける。そこからテスト、合宿、インターハイと忙しない日々が続いたせいか、やけに遠い日の思い出に感じる。胸が少し熱いのが自分でも分かった。

「おっ、やっと来たか! おせぇよ」
「悪い。牧がなかなか来なくてよ」
「――えっ」

 ヘラヘラ笑ってる男2人の後ろで酷く驚いた顔をしてる楓さんは、俺と同様ハメられた側の人間のようだ。どんな顔をすればいいのか、真っ直ぐにこちらを見上げる楓さんの視線から少し逃げるよう、またも顔を逸らしてしまった。

「ひ、久しぶり。牧くん」
「あぁ、元気そうだな」
「吃驚した……っていうか圭! あんた呼んでるならそう言ってよ!」
「だから浴衣着なくていいのかって散々言ってやったろ」
「そういう意味じゃなくって!」

 こんなところで立ち話もなんだし、という流れになり先ほどのグループ同様俺たちも鳥居の中へ吸い込まれることに。大きくも小さくもない規模の祭りはそれなりに賑わっている。
 それにしても、幼馴染というだけはある。藤真と横山はどうやら気が合うのか、俺たちの前であれが食いたいこれが食いたい。今度はこっちに行こうぜなどと、自由奔放な子供のようだ。

「俺らは引率係か」
「ぶっ……! 牧くんが言うと余計そう見えちゃうからヤメテよっ」
「笑うな」
「あははっ、ごめん、ダメだ〜、可笑しいっ」

 いつものように無邪気に笑う顔を見て、あぁ俺は帰ってきたんだななんて穏やかな気持ちになる。おかしいな。こっちに戻ってきたのはもう何日も前なのに。

「その袋は?」
「ああ、これ? シズちゃんがくれた花火セット。すっごい数が多いから、人呼んで今日の夜やろうって話になってたの」
「なるほど。それで藤真と俺か」
「私は、健司くんとその友達が数人来るとしか聞いてなかったから……。それこそ完全に引率気分だったんだけどね」

 打ち上げ花火は昨日で終わってしまったが、まだ今夜も祭りはやっている。夕飯を食べるがてら少し遊んでから公園にでも行こうと嬉しそうに喋る楓さんにつられて頬が少し緩んだ。
 食いたいものを一気に手にしている横山とは反対に、一つ一つのものをゆっくり消化している楓さん。この2人が屋台を巡る速度が合致するはずもなく、数分もしない間に4人はツーペアに分かれてしまった。今日はどうもあいつらに好き勝手されてるようで調子が狂う。

「団体行動のとれない奴らだな」
「圭と健司くんが揃うと昔っからああなんだよね〜。圭って本当落ち着きないから、学校でもどうせヤンチャしてるんでしょ?」
「いや、そんなことは……」

 ない。と言おうとしたとき脳裏に浮かんだのは、昼休みたくさんの女子と昼飯を共にしている横山の姿だった。
 イカ焼きに綿あめにフランクフルト。それらを手に笑ってるところと被せるなんて良くないと分かっていたが、浮かんでしまったものは仕方がない。決してそんなだらしない男ではないが、生真面目な奴でもない。

「牧くん正直者だ」
「モテてるのは否定しない。……姉としてはどうなんだ?」
「好きな子ができるのはいいことだと思う。寧ろ彼女作ってほしいくらい。ちゃんと、本気で好きな人」

 でもあなたの弟、結構シスコンですよ。とは口にしなかった。経緯を詳しく説明されたことはないが、少し複雑な家庭環境だということは理解しているのでいろいろ察しはつく。それに、こんな優しい姉がずっと傍にいたら俺も横山のようになっていたかもしれない。
 手にしていた焼きそばをようやく完食した楓さんの足が一瞬止まったのを感じ不思議に横を見下ろすと、射的コーナーをじっと見ていた。

「したいのか?」
「え!? ま、まさか!」
「……じゃ、俺がやりたいから一緒にしよう」

 今日は引率なんだろ?と付け足すと、悔しそうに口元をぎゅっとさせた後なにかを諦めたのか俺の後ろをちょこちょこついてくる。それがとても愛らしくてつい口元が緩んだ。こんな顔誰にも見られたくないと咄嗟に手で覆う。バレてない…よな?

 気合十分で挑んだ射的だったが、結果はぱすっ、ぱすっと情けない音の連続。楓さんの放った弾は見事後ろの布に当たって落ちていった。フォローできないくらい下手くそだ。だめだ、笑っちゃ。

「牧くん、笑ってる」
「ふっ……悪い。我慢はした」
「もー! じゃあ今度牧くんの番」
「どれが欲しいんだ?」
「あのうさぎのやつ」
「またえらくかわいいな」
「あのキャラクターのグッズ流行ったんだよー。子供の頃持ってた」

 手渡された銃を構え狙いを定める横で、一緒に身を乗り出している楓さんがいつも以上に近くて集中力が乱れた。そのせいか一発目は不発。気を取り直して放った二発目は確かにうさぎのマスコットのど真ん中に当たったのに、それでも落ちてはくれなかった。遊びのつもりが、ここで少しやる気に火がついてしまうんだから俺もまだまだ餓鬼だ。
 見事三発目で当たったうさぎマスコットは楓さんの手の中。嬉しそうに笑ってる楓さんの頭をぽんと撫でてしまったのは、つい。咄嗟にってやつだった。

「悪い、つい」
「……どっちが年上なんだか分かんないね」
「結構子供っぽいからな楓さん」
「わっ、生意気ー!」

 ある程度の腹ごしらえを済ませたのか、満足そうな顔をしてる藤真や横山と合流した俺たちはそろそろ行くかと近くの公園へと場所を移し例の花火を取り出した。


 数が多いとは聞いていたが、確かにこれは2人で消費するには難しかっただろう。というか、おそらく4人でも無理そうだ。仕方ないから今度会う親戚の子供に配ると藤真が2セット引取ることに。
 シュワッと激しい音と共に暗闇を照らすのは光のシャワーみたいで、夏っぽいことをしてるなぁなんてしみじみ思った。反対側できゃっきゃと騒いでる姉弟は本当に仲がいい。

「まさか、牧とバスケ以外の時間を過ごすことになるとはな」
「そりゃこっちの台詞だ」
「冬も残るんだろ?」
「そのつもりだ。そっちもだろ」
「当たり前だろ。今度こそ俺らが勝つけどな」
「そうはさせるか」

 デカい男が2人揃って手持ち花火をしているなんて滑稽な姿だ。
 けど、今日ここに連れ出してくれたことは純粋に感謝しないとだ。いい気分転換になった。これで明日から国体に切り替えられそうだと礼を言うと、藤真はきょとんとした顔で俺を見ていた。

「え、楓ちゃんとは?」
「は?」
「いや、は? じゃねーよ。俺がなんでお前の気分転換のために……って、お前らそういう感じなんじゃねーの?」
「ちょっ、おい、なに勘違いしてんだ」
「……お前、あんな緩みきった顔しといてまだそんなこと言うのか」
「――っ、おま、まさかさっきの見て……!」

 射的のときの一連を思い出し、全身の血液が顔に集中した。

 意識したことがない、といえば嘘になる。
 バスケをしている時こそ思い出すことはなかったが、一緒にいる間心が揺れたことは何度か会ったし、インターハイ後暫くして真っ先に思い出したのは楓さんとの約束だった。
 けどそれも今更な話だ。もうお盆に入っている。働き者の彼女は今日も明日も忙しいだろう、と勝手に決めつけていた。
 ――それに。優勝して戻ってくる、なんて約束をした手前どんな顔をして会えばいいか分からなかった。知っている連絡先はいつか彼女が忘れ物を届けにきてくれた際残した着信の番号のみ。つい登録してしまったが、彼女が今でも俺の番号を登録しているのかは皆無だ。

 いつも俺たちが出会うのは偶然街中でばったりという状況で、互いに連絡を取り合って会うような甘い関係では勿論ない。通っていた整骨院のスタッフ、友人の姉。それが少し好印象になって仲が良くなったような、そんなものだと思ってた。

「牧くん、大丈夫?」

 隣から聞こえた声は藤真のものではなく、初めて会ったとき感じた心地いい声。いつの間にか藤真は横山と一緒に残りの花火の総仕上げと言わんばかりに大量の手持ち花火で遊んでいた。

「健司くんが、牧くん少し疲れたみたいだからついててやってって」
「あぁ……、いや、そんなことない。大丈夫だ」
「ずっと激しいのやってたら熱くなっちゃうよねー。これパクってきたから一緒にやろ?」

 はい、と手渡されたのは線香花火。藤真にあんなことを言われたあとだと余計意識して、火をつけた瞬間球が地面に落ちてしまいそうだ。
 小さな球からゆっくり、少しづつ、バチバチと激しく燃える様子を眺めてる楓さんの横顔は綺麗で見惚れる。くそっ、子供っぽいのか大人っぽいのかどっちかにしてほしい。

「牧くん」
「ん?」
「準優勝、おめでとう」

 きっと今日出会ってすぐ言いたかった言葉だったに違いない。お互い、その話題にどう切り込むべきか探っていたのは感じてた。
 インターハイから帰ったら約束通り「優勝したぞ」と、真っ先にこの人に会いに行きたかったんだ俺は。そんなシンプルな自分の気持ちに今初めて気がつくなんて。
 あと一歩で手が届かなかった。悔しい。けど精一杯戦った。いつまでも終わったことを言っても仕方がないのは分かってた。だからこれは俺の小さなプライドの問題だ。 

「あぁ……ありがとう」
「牧くんの望んでた結果じゃないって分かってたから、すっごく悩んだんだけど。でも、牧くんが頑張ったのは変わらないと思ったし。何より、やっぱおめでとうって言いたかったから」
「すぐに連絡できなくて、悪かった。約束、したのにな」
「でも、こうして会えたし。夏っぽい思い出、また増えたね」

 綺麗だとか、可愛いとか、そう思うより先に体が動いた。楓さんの細くて白い手首を軽く引き寄せると、パチパチ音をたててた線香花火が地面に落ちる。
 本当に、軽く引き寄せただけの不自然な格好のまま数秒、時が止まったように感じる。生温い風でなびく楓さんの髪からは甘い香りがして眩暈がしそうだ。
 心臓は早鐘を打っているのに頭の中はどんどん冷静になっていくような妙にスッキリした気分で、これはもう観念するしかないと小さな溜め息をついた。

「牧くん……ど、どうしたの?」
「――っ悪い。新しい線香花火もらってくるから待っててくれ」

 悪い笑みを浮かべてる2人に少し高いリッチアイスを奢らされたのはそれから数分後のことだった。

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