06

 週末の医院は昼過ぎに終わる。夏と冬はとにかくイベントが多いから稼ぎ時。いつもならこのあとは短期バイトの店へ向かうのだが、今日は違った。

「シズさん、具合どうだい?」
「先生ありがとう。……あらっ!楓ちゃんじゃない〜」
「シズちゃん、こんにちは」

 7月に入ってからあまり体調が良くないのか、来院日数が少しずつ減っていたシズちゃん。8月に入ってからはなかなか外に出ることができなくなってしまい、こうして院長が往診に来ての治療に移行していた。
 私は今日その付き添い。お手伝いといっても大してすることはなく、正直ただ会いたかっただけ。そこへ院長に「シズさん、横山さんに会いたがってたよ」なんて言われてしまえば、とる行動は一つだ。
 相変わらずニコニコ顔でお茶を出してくれるシズちゃんは、一見いつもと変わらないけど体の方は確かにしんどそうで何もしてあげられないのがもどかしい。

「今年は特に暑いわねぇ。楓ちゃん、ちゃんと休んでる?」
「うん。ちゃんと休んでるよ」
「嘘よ。また去年みたいにたくさんお仕事してるんでしょ」
「シズさんに嘘はつけないよ横山さん。でも今日はシズさんに会いたいからって午後の仕事休んだみたいよ」
「ふふっ、じゃぁ少しゆっくりしていきなさいよ」

 いつもの箇所に携帯用器具で治療を施したあとは院長の出番。自分のやるべき仕事を終えたあと、お言葉に甘えて少し離れた縁側でボケっと空を眺めることにした。
 こんな風にゆっくり流れる雲を眺めるなんていつぶりだろう。体力的にキツイのは本当だけど忙しさに追われていた方が今の私は少し楽だった。なんというか、余計なことを考えなくて済む。
 インターハイ決勝戦の日から一週間が経とうとしている今、つい思い出してしまう。

”優勝して帰ってくるから、また連絡する”

 夕暮れの海を2人で見に行ったあの日、別れ際に言われた台詞がこだまする。
 別に私に連絡をいれるというわけじゃないのかもしれない。そもそも知っているのは電話番号だけで、実際喋ったことは一度もない。きっと圭の方にでも連絡がいってるんだと思い先日聞いたものの、返事はノーだった。
 海南大付属は全国準優勝。その結果を知ったのは確か決勝戦の2日後くらいだった。院長が「凄いよねぇ準優勝だなんて」と漏らした一言から院内は暫くその話題で盛り上がっていたが、私の心の中はずっと謎のざわざわでいっぱいだった。
 確かに、端から見れば全国で2番目に強いなんて称賛に価する。けど牧くんが目指していたのは違う。そう思うとずっと鳴らない携帯電話にも納得がいったし、そっとしてあげようと一度は落ち着いた。はずだった。

「楓ちゃん」
「わっ、シズちゃん。マッサージ終わった?」
「えぇ。気持ちよかったわぁ」
「あれ? 院長帰っちゃったの?」
「うん。楓ちゃんとお喋りしたいから先に帰らせちゃった」
「あははっ。いいね」

 そうだ、と言って立ち上がり部屋の奥に向かったシズちゃんはたくさんの花火セットを持って戻ってきた。

「お隣さんのとこ、この間お孫さんが来た時やったらしいんだけどすごい数よね。余ったのをお裾分けしてくれたのよ」
「すごーい! せっかくだから和夫さんと一緒にやりなよ」
「主人とはこの前ここでやったのよ。それでもこんなに余っちゃったから、楓ちゃんにあげる。弟さんや、彼氏と使って」
「え〜? 圭ももう18歳になっちゃったからなぁ。やってくれるかな」
「彼氏は? いないの? 好きな人とか」
「いない、いない」

 本当のことを言っているのに、なんだか嘘をついてるみたいな罪悪感が少しだけ生まれたのは何故だろう。意外そうなシズちゃんの視線から逃れるよう慌てて冷えた麦茶を流し込んだ。

 差し出された花火セットを受け取りラインナップを見ると懐かしい気分になる。子供の頃、興味津々で点火したねずみ花火にびっくりして大泣きしたっけ。最近は圭から彼女がいる雰囲気もしないし、今なら一緒に花火くらいしてくれるかもしれない。

「楓ちゃんは、もっと自分の好きなことをした方がいいわね」
「へ? どういう意味?」
「まだまだ若いんだから心の思うまま行動した方がお得よ。私は今転んだら起き上がるの大変だけど、楓ちゃんなら大丈夫だもの」

 そう言われてしまうと何も答えることがでないくらい、今本当にしたいことが何なのか自分でよく分からないことがハッキリした。

「お仕事も大事だけど、お友達と遊んだりお洒落を楽しんだり、思い切り恋をしたり失恋したりしないとだめよ」
「シズちゃんはそうしてた?」
「そりゃぁそうよ。その時したいことをして失敗したときもあったけど、手を差し延べると不思議と助けてくれる人はいるものなのよ」
「私にもいるかなぁ」
「あら、楓ちゃんをそんな顔にさせてる人がそうじゃないの?」
「……へ?」
「今日ずっと、たまにすごく寂しそうな顔をするのよ楓ちゃん。それが不思議とね、いつもお仕事で見せる明るい顔よりとっても素敵なの」

 気になる人がいるのね。と口元に手を覆いながら言う顔は乙女そのもの。動揺などしようものなら余計に勘違いされるのに、否定のための台詞はどもってしまうしなんなら声も裏返った。
 それでも楽しそうに笑ってるシズちゃんの顔が見られたからもうなんでもいいかと、残りの麦茶で火照った体を冷やした。



「圭。明日の夜とか、一緒に花火でもしよっか」
「は?」

 姉ちゃんの用意してくれた夕飯を食べ、2人寛いでいたとき急にそんなことを言われて間抜けな声がでた。シズちゃんにもらったと見せてきた花火セットの数はとても2人で消費できるものじゃないのに本気で言ってるのか。

「他のやつに配るか、もっと人呼ばねぇと消費できねーだろ」
「圭、彼女は?」
「今はいない」
「じゃあ圭の友達とかにあげてよ」
「……つーか、明日は祭りに行くとか言ってなかったっけ?」

 地雷、というには大袈裟かもしれないけど、分かっててわざと踏み抜いた。分かりやすすぎる反応に笑いを堪えるのがやっとだ。
 この辺りで行われてる祭りには毎年姉ちゃんと一緒に行ってるわけじゃない。去年はその時の彼女と行ったし。
 ただ、今年はたまたま俺に彼女がいないという理由と、あとは何故か牧も一緒にという流れになっていた。それを聞いたのは先月。つーか、いつの間にそんな約束をとりつけるくらい2人の仲は進展していたんだと正直驚いた。

 姉ちゃんはパっと見じゃ分かりにくいかもしれないが、慣れていけばものすごく分かりやすいタイプの人間だと思う。だから勿論、弟の俺からすれば姉ちゃんの考えてることなんて手に取るように分かる。もしかしたら本人よりも。
 8月に入ってからカレンダーを視界に入れる頻度が増えた。そしてそれは一週間を過ぎたあたりから更に増え、落ち着きも多少なかったと思う。そして人づてにバスケ部が準優勝したことを聞いて合点がいった。

”シスコンか?”

 いつか牧に言われた言葉を思い出しつい笑みが零れた。確かにそうだと思う。けどそれは姉ちゃんに彼氏ができるのが嫌だとか、そんな気持ち悪い意味じゃなく。純粋に幸せになってほしいと思う。

 姉ちゃんにとって俺は弟でしかないから、いくつになっても俺は守ってやらなきゃいけない対象なんだといつからか不満に思うようになった。もう自分の身は自分で守れるし、自分で稼ぐことだってある程度できる。バカにすんなと言い合いになったこともあったけど、あの時の寂しそうな顔が今でも忘れられない。
 俺という存在が支えになっているなら、何もできないながら傍にだけはいようと中学の途中でこの家に転がり込んだ。けど、こんな生活は一生続くわけない。

「じゃあ、明日出店見たあと近くの公園でやろうぜ。健司とか、適当に声かけてみる」
「う、うん! そうだね、そうしよ!」

 以前姉ちゃんが変な男に絡まれたと牧から連絡を受けたとき、心配よりも怒りの感情の方がデカかった。俺の心配はするくせに、自分のことはまるで無頓着。俺にちっとも頼ろうとしない姉ちゃんは、両親が死んだ時も俺の前では泣かなかった。
 何もしてやれないなら、せめて自分のことは自分でできるようになってやろうと決めたのが高校1年の春。サッカーは楽しかったけど、本気でプロになりたいとかは思ってなかった。
 「せめて1年やって、それでも気が変わらないならその時は止めない」と半ば無理やり入れられたサッカー部も、結局俺の意思を変えることはなかった。


「あー、もしもし。健司?」
『圭? 珍しいな。お前が電話なんて』
「ちょっと頼みがあんだけど……お前、海南の牧と連絡とれる?」

 夜風に当たると適当な言い訳をして外に出た俺は、すぐさま電話をかけた。
 藤真健司とは、幼馴染と呼ぶには少し浅いが幼少期を一緒に過ごした仲だった。小学生の頃近所に住んでいたのが健司で、よく俺と姉ちゃんの3人で遊んだのはいい思い出だ。

『は? 牧って。お前同じ学校だろ』
「そうだけど、今部活動停止のはずだからよ。もし牧の予定が空いてたら引っ張ってきてほしいんだ」
『……楓ちゃんと関係あったりすんのか?』

 健司は昔から察しがいい。俺が電話してここまで言えば、ある程度のことは理解してくれるだろうと踏んでいたが流石だ。

「なんか、もどかしくてよ」
『わかったよ。連絡してみるから、あとで時間と場所送っとけよ』
「サンキュ」

 話が早くて助かるとだけ告げ通話を切ったあと、忘れないうちに明日の会場の場所と時間をメールで送った。
 今日開催予定だった打ち上げ花火の音がドン、と鳴りだす。生憎ここからじゃその光は見えないが音だけは嫌ってくらい鼓膜を刺激する。この音を、あいつらは一体どんな気持ちで聞いてるんだろう。部屋に戻るのはもう少し後にしておこう。

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