05

 本格的に夏が到来してきたせいか、愛知から新幹線で帰宅したこの時間でもまだ辺りは明るかった。俺の後ろを歩く清田と桜木は今日ずっと喋ってる気がするが、あいつらよく疲れないな。呆れるというより、スゲーなという感想しか出てこない。

 愛知の星。全国に行けば必ず顔を合わす諸星がまさかあんなことになろうとは。予想外の出来事だったが今回の偵察はしておいて心底よかったと思う。それは清田や桜木も同じだったようで、いい刺激を受けた日になったようだった。今月は合宿もあることだし、全国に向けて更に気を引き締めねばと思った矢先、聞き馴染んだ声に名前を呼ばれ足が止まった。

「牧くん!」

 声のした方を向くと、見慣れないキッチンカーの中から顔を出している楓さん。後ろにいた清田や桜木がなんだなんだと近づいてくる。何もやばいことはないのに何故か焦る。
 こんなところで何をしているのか聞くと、毎年夏にやっている短期バイトだと笑って説明された。どうりで見覚えのない店なわけだ。

「牧さん…まさか」
「なんだ。じいの彼女か」
「えっ」
「バカ。違う」

 想定していた通りの流れになり溜息しかでない。楓さんをまじまじと見ていた清田は急に思い出したかのように声をあげ「えっ、もしかして、整骨院の!」と酷く驚いた様子だった。そういえば清田も中学の頃通っていたと言ってたな。

「あ、もしかしてノブくん? うわぁ久しぶりだね」
「ちょ、恥ずいッスよそれ」
「中1の頃から見てたんだから今更無理だよー」

 大きくなったね、なんてまるで親戚のお姉さんだな。照れ臭そうな清田をからかう桜木との言い合いがまた始まってしまい、今日何度目か分からない「静かにしろ」を言う羽目になる。これじゃまるで俺が保護者みたいじゃねーか。

「海南のスタメン2人に、湘北の……桜木くん? みんな揃ってどこに行ってたの?」
「あぁ、ちょっと愛知まで偵察にな」
「さすが有名人。もう名前を覚えられているとはな」
「バーカ。悪い意味で覚えてんだよ」
「あははっ、あの試合見たらみんな覚えちゃうよ」
「……と、お前ら。邪魔になるからさっさと帰るぞ」
「――あ、待って! みんなあと5分待てる?」

 あと5分で上がりなんだ、とだけ言って仕事に戻った楓さん。残された俺たちは結果近くのベンチで待つことに。
 そして5分を少し過ぎた頃、エプロンを外した楓さんは店で売られていた綺麗な色をしたサイダーを3人分持って駆け寄ってきた。

「海南に湘北、全国おめでとう!」
「いいんスか! じいの彼女さん!」
「だから違うって言ってるだろ桜木」
「まぁまぁ照れるなじい!」
「ったく、お前には察するってことができねーのか赤毛猿!」

 何を言ってもダメというのはこのことか。もはやツッコむ気力は残ってなく、大人しくもらったサイダーで喉を潤す。
 隣に腰を下ろした楓さんとは2週間振りくらいだろうか。決勝リーグは観に来ていたらしいが、それは横山から聞いた話だった。
 最後に2人で会ったのは確か決勝リーグの前日。……あの夜だった。今の今までそんなこと微塵も思い出さなかったのに、なんだか急に照れ臭い。

「決勝リーグ、見たよ」
「ああ。横山と一緒に来たって…」
「うん。会場で健司くんにも会ったから、3人で見た時もあった」
「そうか」
「初めて牧くんがバスケしてるところ見たけど、すっごいカッコ良かった。モテるでしょ」

 それは年下をからかって楽しんでる顔だった。困った人だ。
 告白をされたり手紙をもらった経験がないと言えば嘘になるが、どうも今はそういったことにアンテナを向けられない。俺の頭はバスケ一色だし、そういう存在を作ったとしても楽しませてやる自信はないに等しい。

 簡潔に「今は興味がないな」とだけ言うと、きょとんとした楓さんは数秒後全てを悟ったかのような声で「今したいことをするのが1番だから、それでいいと思う」そう笑った。失礼な話かもしれないが、普段あまり年上だと意識したことがないから、こういう、ふと見せる大人な対応には少しばかりドキリとさせられる。

 10分ほどの雑談をしながらの帰り道、当然最後まで俺の隣にいるのは最寄り駅が同じ楓さん。桜木や清田がいなくなって賑やかさはぐっと減り、寧ろ沈黙の方が長くなったがそれを居心地が悪いと感じるような相手ではなかった。少なくとも俺はそうだ。思い出したように何かを話し始めまた静寂が訪れる。ゆらゆら電車に揺られているこの時間はどこか心地いい。

「西日が眩しいね」
「あぁ、そうだな」
「海が近いのに遠いなぁ〜」
「……どういう意味だ?」
「んー、今年も海を近くで見ることはないかなって」
「なら、今から軽く見に行くか?」

 そういう流れなのだと思って出た台詞は、どうやら楓さんをすごく驚かせたようで今まで見たことない表情で口をポカンと開けてる。それはとても年上のお姉さんに見えなくて、つい噴き出した口元を咄嗟に抑えた。

「ふっ、やめとくか?」
「――っ、い、行きたい!」

 我に返った途端食い気味で返事をする様子はまるで子供で、とうとう堪えきれず声に出して笑ってしまった。予想通り、腕をパシンと叩かれ怒られたが痛くも痒くもない。
 予定を急遽変更して夕暮れの海を見に行くことになった俺たちは、最寄り駅の一つ手前で降りた。

 波に乗るためここに訪れるのは大抵朝。見慣れた光景のはずなのに橙色に染まる海辺はどこか新鮮だ。否、きっと隣に楓さんがいるということもかなり影響しているだろう。履いてたサンダルを脱いでキャッキャとはしゃいでる。

「潮風がきもちー」
「朝はまた違う心地よさがあるからおすすめだ」
「いいなぁ。朝はしばらくバイトで来れそうもないや」
「……いまいくつ仕事してるんだ?」

 日によるが基本はあの整骨院、朝早くに清掃、そして週末の午後はさっきの店だと指折り数えながら説明する楓さんは「整骨院って休みが多いし、あんま稼げないからね」と眉をハの字にして笑ってる。
 薄々感じてはいたが、やはり随分働いてるようで体の方が心配になる。横山も学校終わりによくバイトをしているのを思い出し、喉のあたりまで出かかっていた”なんでそこまで働くのか”という疑問の言葉が止まった。

「そんな頑張らなくてもいいかもしれないんだけど、今、訳あって私と圭って二人暮らしなのね。ってなると、いろいろ貯めておきたいじゃない?」

 何も言わない俺の心の内を見透かしたのか、静かに、けど心配など一切されないよう明るく語りだすそれに耳を傾けることしかできなかった。水際で足をパシャパシャ遊ばせ、潮風でなびくワンピースのシルエットについ目を奪われる。

「私ね、自慢じゃないけど体力あるし、結構スポーツ万能なの。高校の時は何でも屋さんやってたくらい」
「何でも屋?」
「助っ人屋って呼ぶ子もいたかな。欠員が出た運動部とかによくピンチヒッター頼まれてね、ちょっとだけお小遣い稼いでたの。公式試合は勿論出られないけど、球技大会とか学校のイベントではいい儲けになったんだ」
「……それは、アウトなんじゃないか?」
「悪い生徒もいたんです」

 全く反省している様子のない楓さんは、だから今みたいにいろいろな仕事をしているのが性に合うし楽しいの、と続けて笑った。

「それに、圭にはお金のせいで選択肢を狭めさせたくない。本当はサッカーも続けさせたかったし、バイトもしなくていいって言ったんだけど、あの子も頑固だからね」

 きっとこっちが本当の理由なのだろう。前に「俺に心配させまいと何も言わない」と不満を漏らしていた横山の言葉を思い出した。
 弟のためだから頑張れている姉と、その頑張りを少しでも止めてやりたい弟、といった感じだろうか。これはなんとも難しそうな問題だ。

「楓さんのやりたいことは?」
「え?」
「横山を抜きにして、楓さんがしたいことは何なんだ?」
「………とりあえず海に来れたから。一個叶ったね」

 うまい避け方だった。それを教えることはできない、とハッキリ線を引かれたような気がしたけど、夕陽に照らされた微笑みは心の底から嬉しそうなものだったから、俺の胸の鼓動が早く鳴りだすのはしょうがない。それくらい綺麗だと思ったんだ。
 結局その後も本心を聞き出すことはできず、そのあと少しだけ話をしながら来た道を戻った。

「牧くんも、夏らしいことなかなかできないんじゃない?」
「夏といえばインターハイと合宿だからな」

 数週間後から合宿。そしてその数週間後、つまりあと1ヶ月もしない頃には広島だ。

「じゃあ牧くんが広島から帰ってきたら、今度は私が牧くんに夏をプレゼントするよ」
「は?」
「今日、海に連れてきてくれたお礼。お盆のどこかは休み?」
「あ、あぁ…多分、そのへんは大丈夫だ」
「圭とお祭りにでも行こうって言ってたの! だから、よかったら一緒に!」

 圭と、と突如出てきた横山の名前に上昇しかけた気持ちがしゅんと落ちた気がするのはきっと気のせいだ。
 インターハイ優勝を手土産に帰ったら連絡を入れるとだけ約束を交わし別れたその日の夜、眠りにつくまで彼女に線を引かれたようなあの瞬間を思い出してモヤモヤした。けれどそんなことは毎日の学校や部活、合宿をしている間どこかへ置き去りになっていき、ベストコンディションでインターハイに臨むことができた。

 その結果、海南大付属は全国準優勝という結果を残し神奈川へ戻ることに。俺のなかでの夏は終わったのに、蝉の鳴く声がやたらうるさく響いて頭がガンガンした。
 約束のことなどすっかり頭から抜け落ちていた俺の携帯電話は机の上で数日眠ったままだった。

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