3.5
3話 牧視点
「あれ、今日は牧さんも自主練ですか?」
さっさと着替える部員の背中を見送り体育館に残った俺に、珍しいと声をかけてきたのは神だった。
部活が終わり、履いてたバッシュの紐を緩めながらなんとなく体育館備えつけの時計を目にした瞬間、昼間横山と話していた会話を思い出してしまった。それまでは嘘のように頭から抜け落ちていたというのに。そして一度気になるとなかなか頭から出ていかない少しの不安。
時刻は19時過ぎ。今からだいたい40分後くらいの電車に乗れば、ちょうど20時にはあの整骨院に着けるはず。そんな計算をしてしまうのが何故かは分からないが、なんとなくそうした方がいいような気にさせた。
「俺も数本打ってから帰ることにする」とその場を誤魔化し、きっちり30分で自主練を切り上げた。
目印の花屋が見えてきた頃、時間は20時を少し過ぎていた。
電車に揺られている最中から、一体俺は何をしてるんだという自問自答が止まらないがこれで特に何もなければそれはそれでいい。胸のもやもやもおさまるだろう。
そう頭のなかをスッキリさせ、花屋の角を曲がった俺の視界に映ったのは一番最悪な光景だった。
街灯の下で突っ立っている男。そいつが動いた隙間から見えたのは私服姿の横山のお姉さん。
考えるより先に体が動いた。全身から嫌な汗が噴き出て、つい夢中で間に割って入ってみればやはり見覚えのある男。
今日は酔っていないようだが、彼女は明らかに恐怖で固まっているし咄嗟に掴んだ手は少し震えていた。
やっぱり、俺の嫌な予感は当たっていた。否、こんなもの本当だったら当たらないほうがいいに決まってるのに。
男が帰ってから真っ先に俺の服の心配なんかして詫びる彼女に呆れた。とりあえず外傷はないようで安心だ。
すぐに横山に電話をしようとした矢先、やっと安堵感に襲われたのか俺の体に少しもたれながら泣き出した横山さんはまるで年下か同級生の女の子のようだった。
いくら年上といっても女性は女性。相当怖かったに違いない。こんなときどうしてやるのが正解なのかよく分からない俺は、恐る恐る背中を撫でることくらいしかできず。ぎこちない自分の手が少し情けない。
そこから先はとにかく大変だった。
電話に出た横山はバイト中だったが丁度良くバックヤードにいたらしく、ことの経緯を話すとひっくり返った声をあげすぐに駅に向かうと慌てた様子。
俺は俺で、治療しに来た際たまたま見かけたと適当に言っておけばよかったものを、バカ正直に本当のことを話すハメになりきょとんとした視線がたまらなく恥ずかしかった。まるでヒーロー気取りだ。
「ありがとう。嬉しい」
まだ少し赤い目で笑う彼女は、普段ナース服に身を包んで働くときとは違い、まるで可愛らしい少女。
つい抱きしめたくなっただなんて、誰にも言えない感情をぐっと押し殺し、できる限りの紳士を貫いて向かう最寄り駅までの道のりはとてつもなく長く熱かった。