12

 楓さんと付き合い始めてからそろそろ3ヶ月が経つ。前みたく偶然街中でばったり、なんてことは嘘のようになくなってしまい、月に数回のデート以外触れ合うことはなかった。
 丁度今はテスト期間中だし、今月は冬の選抜もある。「勉強と部活の両立は大変だろうから」と俺を気遣ってくれる言葉は純粋に嬉しい。が、やっと手に入った好きな人とこうも会える機会が少ないとどうしても悶々としてしまい雑念が増える。

「お、眉間に皴。欲求不満?」
「……うるさいぞ」
「まぁまぁ。今週末だろ? デート」

 12月に入ってから街中は色とりどりの電飾で飾られ、すっかりクリスマスムードだった。当日付近の俺の予定は全てバスケで埋まってるため、クリスマスデートは今のうちだ。

「……楓さん、何か欲しがってるものとかあるか?」
「なんだ。まだ買ってなかったのかよ?」

 バスケしかやってこなかった俺に女性の好みなんて分かるわけもない。それも年上の。それなりに喜んでもらいたいといろいろ考えたが、ここはやっぱり横山に聞くのが一番だろう。

「姉ちゃんあんま物欲ねーからなぁ……まあ無難にアクセサリーとかでいいんじゃねーの」

 そういえば、文化祭に来たときつけてたピアスがよく似合ってたなとふと思い出す。この前会ったときも、鎖骨あたりで光る細いネックレスが印象的だった。
 俺がこんなに頭を悩ませなくても、きっと彼女は喜んでくれるだろう。ここは横山の言う通りにしておくか。そう思ったとき「あ」と何か思い出したような声がした。

「なんだ?」
「いや、姉ちゃんの欲しいもんは知らないけど、なりたがってたものは思い出した」
「……なりたいもの?」
「将来の夢みたいな。もう今は言わなくなったけど、多分今もどっかでそう思ってるはず」

 「弟の勘」と付け足してにやにやしてる。気になるだろ? とでも言いたげな顔だ。
 確かに気にはなる。楓さんはあまり自分の将来について語らないし、やりたいことは特にないんだとこの前も苦笑いを浮かべてたから。もし何か夢や目標があるなら全力で応援したいし、出来ることなら支えていってやりたいと思うのは彼氏なら当然だ。
 早く教えろと無言の圧をかけると、横山は椅子から立ち上がって去り際にこっそりこう言った。

「”お嫁さん”」
「っ――!」

 予想の遥か斜め上の答えに一瞬言葉を失った。「いったいいつの頃の話だ!」と去っていく横山の背中に言うと「本人に聞けよ」なんて笑いながら返されてしまった。
 きっとこうして家でも自分の姉をからかっているに違いない。そのたび顔を赤くさせて怒ってるであろう楓さんは容易に想像ができる。俺たちはすっかりあいつのオモチャだな。そう分かっていてもつい頼りにしてしまうのは、きちんと楓さんの好きなブランドリストを後から送ってきてくれるあいつなりの優しさがあるからだ。


***


 当日待ち合わせ場所に向かうと、先に到着していた楓さんが笑顔で手を振ってきた。その姿を見るだけで日頃の疲労や雑念までもが吹っ飛ぶ。会いたかった。
 少しダボついたふわふわのニットがよく似合ってて抱き心地が良さそうだなと凝視していたら、不思議そうに見上げてきた瞳と目が合った。

「どうかした?」
「いや?……抱きしめたいなと思ってただけだ」
「ずいぶん直球だね」
「思ったことを言っただけだぞ」
「嬉しいけど、駅前は恥ずかしいからダメ」

 クスリと笑いながら俺の腕に自分のを絡めてくる楓さんは、少しずつだけど確実に俺に心を開いてくれてるようで頬が緩む。自分の彼女に甘えてほしいなんて、この世の大半の男が思ってることだ。
 今日は、楓さんが前々から気になってたというレストランで昼食を済ませたあと、日頃俺が通ってるスポーツ用品店に行くことになった。

「本当はサプライズで何かあげようと思ったんだけど、せっかくだから牧くんがよく使うものがいいなって思って」
「気持ちだけで十分なんだけどな」
「ダメだよ。バスケに関して、唯一私が何かしてあげられるとこなんだからここは譲れません」

 「バッシュってもらったら嬉しい?」と何回か前の電話で聞かれたことがキッカケだった。もちろんこの先もバスケを続けるのだから、あって困るものではないしむしろ助かる。しかも、それを好きな人からもらえるなんて嬉しい限りだ。

「増えすぎちゃって困らない?」
「日によって使いまわすし、丁度一足駄目になりそうなのがあったからタイミングとしてはベストだな」
「ほんと? やった! あ、値段とか気にしないでね。自分が気に入ったもの選んで」

 ぴんと差し出してきた小指に自分のを絡めると満足そうに微笑まれる。あぁ、本当に抱きしめたくなってきた。安心しきって笑う楓さんを見るたび、ふわりと香る甘い匂いが鼻腔をくすぐるたび、つい生唾を飲んでしまう自分がいて頭を抱える。
 横山に言われた言葉は当たらずとも遠からずだった。デートのときの第一声はいつも「久しぶり」から始まる。だからその日の抱擁はお互いの存在を確かめるような熱いものになるし、帰り際にする口付けも離れるタイミングを失ってしまう。幸福感で包まれるのも事実だが、所詮俺も男。進めそうで進めないこの微妙な関係に悶々としてしまうのは仕方がない。

「あれ? 健司くん?」

 店内の自動扉を抜けてすぐ、楓さんの声でパっと前を向くと見覚えのある人物。久しぶりのデートに俺はどれだけ浮かれていたのか。通いなれたスポーツ用品店なんていつ誰と会ったっておかしくない。
 目を丸くさせていた藤真の目線が俺と楓さんの繋がれた手に移動した瞬間、爽やかすぎる笑みを浮かべながら俺に詰め寄ってきた。俺の目には額に怒りマークが見える。

「これはこれは。冬の選抜前に年上の彼女と仲良くクリスマスデートってか」
「……報告が遅れたのは悪いと思ってる」
「国体のときは無視しやがって」

 国体のとき「結局楓ちゃんとはどうなったんだよ」と執拗に聞いてきた藤真。夏のこともあるし、こいつにはいろいろと世話になった。だからその問いに対してだけは素直に話そうと思っていたが、あの瞬間その話題に食いついてきた諸星がよくなかった。
 「バスケの時はそっちに集中しなさい」なんて年上らしく見送ってくれた楓さんの言う通り、合宿中その手の話題は触れないようにしてたし、声のでかいこの2人に絡まれれば話はもっとデカくなるに違いないと思って、結局シカトを決め込んだのだった。

「健司くんは今日部活休み?」
「そう。楓ちゃんの彼氏含め、全部倒すためにまた明日から猛練習だけどな」
「うわっ! そっかぁ。今までは健司くんの応援とかしてたけど……そうなるんだよね」
「なに? 今回も俺の応援してくれるの?」
「おい、藤真」

 のほほんと喋ってる二人の会話につい口を挟んでしまった。そんな俺を見て楓さんと藤真は同時に吹き出す。
 「これ以上邪魔したらいよいよ怒られるだろうから」とさっさと退散しようとした藤真は、俺の横を通り過ぎる際「おめでとさん。試合では倒す」と小さく呟いた。楓さんは「インターハイでは見られなかった対戦が冬では見られるかもなんだね」と喜んでるが、さっきの会話のあとだと少しモヤモヤするんだから、俺はなんて心の狭い男なんだ。

 藤真と別れたあのあとは、気に入ったバッシュを選んで楓さんにプレゼントされた。日頃から好んで使ってるメーカーのバッシュ。いつもと変わらない店での買い物なのに、こうした思い出付きだと特別なものに感じる。

 前回行きたいと言って結局行けなかった映画は、幸運にもまだギリギリ公開していて、そしてこれまた幸運なことに、席に座ってる人はまばら。デカいと邪魔だろうからという本当のような理由で下心を隠して一番後ろの席をとり、暗転直後に一度キスをした。スクリーンの光に照らされたとき見えた”してやられた”という楓さんがまたかわいくて困る。
 その後は少し早めの夕飯を食べながら映画の感想を言ったり何気ない話をしたり。そうした楽しい時間というのは本当にあっという間で、別れの時間はじわじわ近づいてきてしまう。

「選抜の日は休みとったからね。応援に行く」
「俺の、だよな?」

 分かってはいたが一応、念のため。横山から藤真とは幼馴染のようなものだと聞いてはいたが、こればっかりは譲れない。もちろん勝利も譲れないが。
 楓さんは思った通り小さく笑ったあと「バカだねぇ牧くん」と年上のお姉さんのような表情を浮かべ俺の胸に頬をすり寄せてきた。本当、バカだなと自分でも思う。
 腕の中の彼女はこんなに小さいのに垣間見える大人っぽさはきっと経験値の差。そのギャップが好きなところでもあるが、自分の子供っぽさが助長されるようで少し情けない。
 ここで別れればまた俺は部活に励む高校生に戻る。次に会うのは選抜のあとだから下手したら年明けだ。「初詣、一緒に行こうな」と抱きしめたまま名残惜し気に囁くと、返ってきたのはイエスでもノーでもなく沈黙。
 少し慌てて顔を覗き込むと、何か必死に考え込んでるような顔をした楓さんにぐっと見つめられた。

「どうしたんだ?」
「……私も、一緒に行く」

 どこに? という疑問を口にするより早く、楓さんが少し早口で「圭とは、そうなったときのことちゃんと話してるの」と、これまたよく分からないことを話し始めて混乱した。

「私、遠距離でも大丈夫って思ってたの。だけど今日こうして一緒に過ごしてたら、やっぱり牧くんが卒業した後もこうして傍にいたいって思っちゃって。……圭も来年からは寮に入るとか言いだしてさ、もうすっごく悩んだんだけど……」
「ちょっ、ちょっと待て。……悪い、話が見えない」
「え、だって牧くん。進学、遠くの大学なんじゃ……」

 不安そうに揺れる瞳を見てようやく話を理解してきた。確かに、複数の大学からスカウトの話はあって、その中にはここから通うには遠すぎるところもあった。が、結局監督たちとの相談の末決めた進路は東京の大学。隣の県だし、新年が明けたら言おうと思ってたが……。

「それ……誰から聞いた」
「け、圭が……」

 予想通りの返答にため息をつくと、楓さんの顔色がどんどん変わっていく。どうやら何かに気がついたようだ。「ま、まさか……」と口にしながら顔がどんどん赤くなっていく。

「からかわれたな」
「っ――、あのバカ!! 嘘つき!!」
「いやまぁ、実際スカウトはきてたから正確に言えば嘘じゃないんだが……進路は東京の大学でほぼ決まりだよ」
「と、隣の県じゃん……」

 春から遠距離になるかもしれない、という不安を抱えて今日まで過ごしていたのか。そしてそれを寂しいと思ってたなんて。背中に回してた腕にぎゅっと力がこもってしまうのは当然だった。

「ごめん、さっきの忘れて……!」
「何言ってんだ。年が明けたら教習所だし、新居決めたり引っ越しの準備したり、いろいろ付き合ってもらうことがあるんだ」
「えっ」
「取り消せると思うなよ」

 もともと春から住まいを東京に移すつもりだったし、そのことは勿論楓さんに言うつもりだった。そして願わくば……なんて淡い期待を抱いてたが、彼女も同じ気持ちだったなら何も迷うことはない。
 小さなギフトケースを楓さんに差し出すと目を大きく見開いた彼女の顔はどんどん真っ赤になっていく。

「とりあえず、今はクリスマスプレゼントとして受け取ってほしい。……いつか本物を渡すから、待っててくれるか?」

 本番ではないものの、そのくらいのつもりでいるから多少の緊張はした。高校生の戯言だと捉えられたらどうしようか、という不安もあった。が、首を思い切り縦に振る楓さんを見て心底安心してしまい、ゆっくりと息を吐きだす。
 そして、次回会うときの”初詣”の予定に、俺の家に来るという項目が追加された。



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