09

 普段部活で忙しいせいか、文化祭を始め学校行事で俺の主な役割は荷物持ちや買い出し係だった。それは今年も例外ではなく、両手にパンパンのビニール袋をぶら下げ派手な装飾で飾られている門を潜る。

 文化祭2日目。俺らのクラスはたこ焼き屋をやることになったが、隣のクラスのチュロス屋と何故か競っているらしい。部活の都合上クラス会議の出席率がよくない俺が全ての事情を知った時、何故かそんな紛争状況になっていた。
 そして1日目は向こうの売り上げが良かったから、今日こそはと朝から中心人物たちの気合が凄い。

「どうせ今日も俺らは買い出しが終わったら用済みだから、気軽に行こうぜ」
「横山は調理や呼び込みで手伝ってたろ」
「ただの客寄せパンダだよ。へらへら笑いながら歩いてただけだ。それに、うちのクラス料理できるやつ多いし俺が必要なのは昼時くらいだ」

 客寄せパンダなんてそうそうなれるもんじゃないと思うがな。まぁ、なりたいとも思わないが。
 試食でもらったうちのクラスのたこ焼きは、正直文化祭のレベルを超えていた。
 なんだこれ、誰が作ってんだと聞いたら、実家が飲み屋を営んでるという男子の秘伝レシピだという。そいつの予想通りにいけば、昨日の口コミが広がって今日こそは上手くいくはずだと本人は俄然やる気だ。

「そういえば、悪いな昨日は」
「何がだ?」
「姉ちゃん仕事で。今日は多分来れるって言ってたよ」
「そうか」

 好きだという気持ちは意外にもストンと胸に落ちた。そうなるとモヤモヤがなくなって気分は晴れやで暖かなものに変わる。
 駅で見かけるたび、対面して喋るたび、あぁやっぱり好きだななんて丁寧に再認識していった。自分の気持ちが揺れるたび生まれていた動揺はもうない。

「姉ちゃんさ、ああ見えて結構ビビりなんだよ」

 今日の段取りを仕切っているクラスメイトに指示された通り、端の方でたこ焼きのタネ作りを黙々としていると横山が神妙な面持ちでぽつりと漏らした。

「好奇心旺盛なくせに、いざとなるとダメでさ。だからまぁ、多少強引でもいいからな」
「そう言われると逆にやりにくいな」
「なんだよ、男だろ? 惚れた女の手は放すなってこと」
「肝に銘じておく」

 クラスメイトの予想は見事的中。昨日のリピーターや口コミを聞いたらしい生徒や外部客で昼時は長蛇の列ができていて、まさに天手古舞というやつだった。大量に買い込んだ粉がどんどん消費されていく。
 これはまた後で買い出しかもしれない、と思った矢先「牧ー!」と焦った女子の声。あぁ、どうやら出番の用だ。

「やばいっ想像以上! なくなる前にお願い!」
「わかった」

 クラス委員をしてるわけでも、行事の中心になっているわけでも、料理が得意なわけでもない。まして俺が客寄せパンダになれるわけもなく。つまりこういった行事での出番はほぼない。裏方に徹する以外貢献できることが何もないなんて、バスケをとったらダメだな俺は。

 クラス委員から財布を預かったあと、すっかり賑わっている校舎内をずんずん進んでいく。人より身長が高いとこういうとき助かる。角を曲がろうとしたとき、別クラスの武藤が視界の端に移った。休憩中なのか女子と一緒の姿を確認してスルーしようとしたが。

「えっ」

 こんな綺麗な二度見をすること、きっとなかなかないだろう。それくらい驚いた。武藤の隣にいたのは楓さんだったから。
 ぐりんと急遽方向転換した俺の足は2人の元へ。この程度のことで少し急ぎ足になるんだから我ながら情けない。

「お、牧」
「何してんだお前ら」
「よかった牧くん。ちょっと迷子になっちゃって……あ、友達?」
「同じバスケ部の……って、髪どうしたんだ? 雰囲気が……」
「へへっ、ちょっとイメチェン」

 どこか晴れやかな顔の楓さんは得意気に切りたての髪をなびかせた。いつもはあまり身に着けてないアクセサリーに色のついた爪が大人の女性をより演出していて、頬が緩みそうだ。

「かわいいな」
「えっ……と、そうかな。ありがと」

 俯いて恥ずかしそうにしてる姿も含めて、全部かわいい。率直な感想をつい口に出してしまったが、ここには武藤がいた。

「あー! もしかして清田が言ってたの……この人か牧!」
「――っ、ばか、お前」
「うわ、俺邪魔じゃん! わりぃな牧、じゃあこの辺で!」

 清田と桜木と一緒に偶然会ったあの日以来、うちの部室でたまに清田が楓さんとのことを聞いてきていた。それとなく流していたが、他の部員からすれば面白い話のネタだ。
 邪魔か邪魔じゃないかの二択なら限りなく前者ではあったが、ああもあからさまに退散されると後が気まずいだろ。

「ノブくんといい、バスケ部って賑やかだね。帝王率いる強豪といえども、やっぱみんな高校生だ」
「そりゃぁそうだろ」
「貫禄あるキャプテンは例外ですが」
「怒るぞ」
「あははっ、嘘嘘! クラスTシャツなんか着てる牧くんすっごいレア! ザ・高校生って感じ!」

 各クラス、記念としてTシャツやパーカーを作るのは最早毎年恒例だった。うちのクラスは、イラストが得意な女子が描いたタコの絵がプリントされてるTシャツを全員着用している。

 楓さんが笑うたび揺れるピアスが眩しい。こんな風に校舎に2人でいるのは初めてだから不思議だ。まるで同級生にでもなった気分になる。もしも俺と楓さんがクラスメイトという関係だったとしても、きっと俺はこの人に惹かれたに違いない。
 ――っと、やばい、買い出し。

「悪い楓さん。俺今から買い出しで、すぐ戻るから。その角曲がった先が俺らのクラスだから、ちょっと待っててくれ」

 早口でそれだけ言って駆け足で校舎の外へ向かった。タイミングが悪いな。果たして戻ったあと休憩はもらえるのだろうか。





 久しぶりに訪れた海南の校舎は活気に満ち溢れていた。圭と牧くんのクラスは遠くから見ても分かるくらい繁盛してたし、外部の生徒も割と多いように思える。
 たまに見かける腕を組んで歩く学生カップルは実に微笑ましい。私があと少し遅く生まれていれば、牧くんとああやって校舎を巡れる可能性があったかもしれないのに。なんて、今更言っても仕方ないことを考えながらたこ焼きを頬張る。

「それ、牧のため?」

 さっき顔を出したときは教室内で売り子をしていた圭が、いつの間にか私の横でニヤニヤしていた。それ、というのは私の髪を指しているのか服を指しているのか気合を入れてみたメイクなのか、それとも全部なのか。
 あれから数日悩んだ末にでた結論は、いつかのシズちゃんの助言通り、いっそのこと思い切り楽しんでしまおうといったものだった。お洒落も恋愛も失恋も。
 それに、可愛くてキラキラしてる現役女子高校生がたくさんいるこの校舎に訪れるのには少し勇気がいった。比較されてしまっては敵わない。

「かわいくない奴」
「お、否定しない。一歩前進だな」
「別に。自分の気持ちに嘘はつかないって決めただけで、それ以上は望んでない」

 圭の顔が少し曇ったそのとき、両手にパンパンの袋を持って戻ってきた牧くんが視界に入った。額から一筋の汗を流しているから、大分急いで戻ってきてくれたのだろうか。

「お、帰ってきた。牧はもう休憩いけよ」
「いいのか?」
「まだ調理組が抜けるわけにはいかねーし。後でしっかり働いてもらうから、姉ちゃんよろしくな」

 圭の気遣いだと分かっているからこそ残された空気が少し照れ臭い。でも牧くんはしれっとした顔で「じゃあ、行くか」と私より随分余裕があって癪だ。
 私は牧くんの優しい眼差しや大人な対応、たまの子供っぽさにこんなに気持ちを乱されてるというのに。これじゃ本当にどっちが年上か分からない。

「圭たちのクラスのたこ焼きすっごい美味しくて吃驚した」
「なんか気合入ってるんだ。隣のチュロスと張り合ってるらしい」
「えっ、チュロスも美味しそうだね」
「あとで行くか?」
「……敵なのにいいの?」
「別に、俺個人が敵対視してるわけじゃないからな」
「じゃあ食べたい!」

 食い気味に出た私の台詞がそんなに面白かったのか、くつくつ喉を鳴らして笑う牧くん。たまにすれ違う学生たちはそんな牧くんを物珍しそうに見たあと、必ず隣にいる私に視線を向ける。
 有名人の牧くんと行動を共にするんだ。ある程度目立ってしまうのは覚悟していたが、こんなにも視線を浴びては少々居心地が悪い。校舎を出る際、牧くんのファンに刺されないか心配になってくる。

「せっかくだから牧くんが焼いたのも食べたかったな」
「俺は調理係じゃないぞ」
「じゃぁ何係なの?」
「……雑用?」
「えー! 神奈川の帝王が!」
「残念ながら、バスケをしてない俺の扱いなんてそんなもんらしい」
「意外〜。牧くん勉強できるって言ってたし、優しいし大人っぽいしリーダーシップあるし、もっとキャーキャー言われてるもんだと思ってた」
「キャーキャー言われてるのは横山の方だな」
「じゃあ牧くんは真面目に告白されちゃうタイプだ?」

 ぐっと言葉に詰まる牧くん。やっぱり本気のファンがいるのかと、自分で言っておいて少し落ち込んでしまった。というか、本当に今日刺されてしまうのでは。

「……そっちこそ。モテるんじゃないのか?」
「へ?」
「髪も切って、より綺麗になったから」

 照れもせずサラリと出てくるその誉め言葉は、いつも不意打ちというか反則じゃないだろうか。今なら刺されて死んでも幸せかもしれないなんて馬鹿げたことを思ってると、向かい側から聞き覚えのある声がした。

「牧さーん!」

 その正体はノブくん。ぶんぶん手を振ってる姿に少しホっとしてしまった。私と目が合うや否や驚いた表情に変わり「うわっ、俺ジャマでした!?」なんて申し訳なさそうにしょんぼりする。むしろ少し助かった。
 青いストライプの浴衣を着崩しているノブくんは「うち縁日なんスよ」と下げてた看板を見せてきた。なるほど、呼び込み係だったというわけか。

「なんか遊んできます?」
「……射的でもするか?」
「っ、牧くんって本当意地悪だよね!」
「悪い。つい思い出した」

 ニヤっと意地の悪い笑みを浮かべながら横目に言ってきた牧くんは、私の膨れっ面を見たあと楽しそうに笑う。
 頭の上にクエスチョンマークをいくつも浮かべてるノブくんに申し訳ない。というか、こんなやりとりを見られてしまってはいよいよ「付き合ってない」の言葉に説得力がなくなってしまいそうだ。


 時間が経つのはあっという間で、結局牧くんの休憩時間を全てもらうことになってしまった。謝っても「気にするな」の一辺倒。全くどれだけ優しいんだ。きっとこういう対応をされて本気で好きになってしまう同級生や下級生がいるんだろう。

「罪作りな男だね」
「なんの話だ」
「そんなに優しいからたくさん告白されちゃうんだよ」
「……好かれたい相手にしかしてないつもりだ」

 恋愛経験が0ということはない。これでも牧くんより長く生きてるのに、なんでいつも私ばかりがドキドキさせられるのか。
 そろそろ交代の時間でしょと別れを促すと、ぐっと近づいてきた牧くんに手首を掴まれてしまい心臓がバクンと大きな音をたてる。

「国体が終わったら、また会えるか?」
「あっ、選ばれたんだったね……。えっと、おめでとう」
「ああ。来週から合宿で少し忙しいんだけど……いいか?」
「もちろん! その。私なんかでよければ、また遊びにでも行こう」

 インターハイ、国体。たった2回だけなのに、大きな試合のあと再び会う約束を交わすのが恒例のようでくすぐったい。前に言い出したのは私。そして今回は牧くん。
 約束、と繋いだ小指が熱い。会いたいと思ってくれているという証のようで胸がいっぱいになった。
 もう一度力強くエールを送り校門を背にして走り出す。私はきちんと笑えていただろうか。



 その日午後から出勤だった私はいつも通り仕事をこなすも、ハナちゃんに「何かいいことありましたね?」と勘付かれてしまい仕事の合間に根掘り葉掘り聞かれてしまうことになった。相手の名前を伏せ続けられるのも時間の問題のような気がしてハラハラする。

 ――そしてその晩、青ざめた顔をした院長が私に告げたのは突然すぎるシズちゃんの訃報で目の前が真っ白になった。

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