HEAVEN


 


 朝日に照らされた洸太郎の顔はいつもの綺麗な顔とは違って少し幼く見えるようだ。
 大体は俺よりも先に起きているからか、洸太郎の寝顔を見るのは久し振りなような気がする。

 まつ毛が朝日に照らされて、ブラウンともゴールドとも言えるような色をしている。瞼の膨らみは今や綺麗なヘーゼルの瞳を隠している。
 肌も艶々としてうっすら頬が上気している。高級美容品にウン十万と貢いでいる女優やモデルすら嫉妬する程だろう。
 薄く形の良い唇は少し開いていて、そこから歯並びの良い白い歯が顔を覗かせている。漏れ出ている吐息すら絵になりそうだった。

 高い鼻をなぞる様にして肌に指先をそわせる、そしてそのまま下に滑り落ちる指がツンと唇に落ちた。

「……キスでもする?」
「い、いつから起きて……っ」

 噛まれる様にして奪われた唇に驚いて身を引こうとすると、体勢を入れ替わるようにしてベッドに押し倒された。
 髪の毛を掴む様に撫でられて何度も深いキスを向きを変えて何度も受ける。洸太郎の肩を押そうとするが、キスに意識が行ってしまい、抵抗と言っても眉間に皺を寄せて吐息を吐くだけだ。

「はぁ……は、」

 水音を立てて唇が離れていった。俺は肩で大きく息をしているが、見上げた洸太郎の顔はなんとも満足そうで息なんて一つも上げていない。

「その吐息、可愛いよ。喘ぐよりも吐息が多いのが慎の可愛いところだよ」
「な、に言ってんだ……驚いただろ」

 洸太郎の頬を抓ると「痛いよ」と言い、俺の手に洸太郎が手を添わせてくる。手を取られて開かされて手を握られたかと思うと、ベッドに手を押し付けられた。

「やだ、なんだよ……」
「今日は俺も慎も休みだよ。することなんて一つしかないでしょう」
「……ヤるのか」

 笑みを浮かべる洸太郎の顔をジッと下から見つめる。答えるより先にもう一方の手で唯一身につけていた下着をサッと脱がされた。

「慎がスリムだからこんなに下着を脱がせるのが楽なんだな」
「が、ガリガリっていうな」
「違うよ。守ってあげたくなるくらい可愛いって褒めてる」
「ばか」

 洸太郎とは大学の時からの仲だ。違う学部だったけど、授業が被っていることが多くて、偶然バイト先が被った。
 そこから意外とお互いの趣味が合うことが分かって、それからお互いの一人暮らしの家に交代で入り浸るようになって、それからいつの間にか身体の関係が出来ていた。

 俺は勿論、洸太郎だってホモでは無かったけど、何でだかそういう雰囲気にいつからかなっていた。
 それで流れる様に付き合って……今に至る。

「慎……身体大丈夫?」
「だ、いじょぶ」
「喉渇いたよね、持ってくる」

 背中の三つある黒子は洸太郎のチャームポイントだ。俺は心の中でオリオン座って呼んでる。

「はい、どうぞ」
「ありがと。そういえば明日会社の人に誘われて飲みに行ってくる」
「ん? そうなの。遅くなったら迎えに行くね」
「いや、タクシーで帰るから」
「そう? 分かった。ご飯作って待ってるね」

 ペットボトルを受け取りながら俺は飲みに行く事を思い出した。会社の同期が彼女に振られたとか言って、飲みに行きたいと言い出したのだ。だから明日はきっと同期同士で飲んで会社と彼女の愚痴大会でもやるんだろう。

「遅くなるから大丈夫」

 多分きっと終電を逃す様な気がする。


 俺の直感は当たった。ダラダラと何件か梯子していたらとうとう電車が無くなってしまった。汚く酒を飲んでいるわけでは無いからか、案外同期たちは潰れている様子も無くまだ行くぞと息巻いていた。

「あ、あそこ行かね?」
「相席屋」
「お、いいね」
「あいせきや……」

 オジサンとかと相席するのか……?
 ごちゃごちゃした立ち飲み屋みたいな、そういうやつか?

「慎も、パァッと楽しもうぜ」
「おう」

 立ち飲み屋の雰囲気は好きだ。なによりも意外とツマミが美味かったりするし、たまに同期たちや大学の奴と行くけど色んな人に喋り掛けられたりして楽しかった思い出しかない。

「男女で来てる奴が多いんだな」
「なに? 違うだろ」
「相席屋知らないの、慎」

 席に着くと知らない女が3人、座っていた。

「4人に対して3人って一人悲しいよな」
「え、なに……何で女……」
「ウブだなぁ、慎は」

 肩を組まれて座らされる。左隣にはボブカットの目がデカイ女が座っていて不思議そうにこちらを見ていた。

「あ、俺ナギサね。こっちは慎、よろしく」
「私ミナっていうの、はじめまして」
「おい……」
「またアイツが拗ねるぞ」

 こっそりと耳打ちされて俺は思わず黙った。今日の主役は確かに拗ねると面倒くさいんだ。
 俺はとりあえず黙って他のテーブルの雰囲気を見た。見たところそんなに怪しい訳じゃなさそうだし、大丈夫だよな。

「普通に女の子は無料だから飯食いに来てるだけだって。だからここに居ろよ、慎」
「……分かったよ。俺はフツーにするからな」
「わかったわかった。アイツの機嫌だけは悪くするなよ」

 ミナとアイとハルカは特に下品だとかでは無く、普通の大学生みたいだった。気分を良くした今日の主役のアキラが「次は奢るから」と次の店に連れ出したところで、俺はゲンナリしてタクシーで帰ることを決めた。
 とりあえず香水付いてないといいな。

「ちょっと待って」
「っわ、なに……えっと、ミナちゃん?」
「そう。私と同じ駅だよね、乗せてってよ」
「……いいよ。駅までな」

 タクシーのオジサンは乗り込んできたミナをチラリと見てから、何も言わずに伝えた駅まで走り出した。

「ありがとう」
「いいえ。気を付けてね」
「優しいね、シンくん。お礼したいから後でナギサくんにライン聞いちゃうね。またね」
「え、俺……」

 ミナは俺の返事も碌に聞かずに颯爽と高いヒールを鳴らしながら歩いて行ってしまった。
 ま、社交辞令みたいなもんだろ。

 そう思ったのは束の間で、本当にミナからラインが来てしまった。昼食を食べている最中に、ミナからラインが来たことを渚に伝えると、渚は「お前には引っ張ってくれるようなミナみたいな女が似合うと思うぞ」と言って笑った。

 ミナには返信はせずに、そのままメッセージを削除した。


「洸太郎、明日は仕事なんだけど」
「まあまあ。今日はゆっくりするから」
「……朝食は作れよ」
「ウン、もちろん」

 洸太郎に腕を引かれて一緒にベッドに沈む。スプリングがよく聞いているお陰か、ギシギシとした不快な音は聞こえない。

 洸太郎の腕は暖かくて、ひどく心地よい。まるで暖かな陽の光が降り注ぐ縁側でうたた寝をしているような気持ちになる。
 冷え性の身体にはその熱は違和感のはずなのに、触れた先から溶け合うように同じ体温だと錯覚する。元々対になっていたものみたいに馴染むんだ。

「はぁ……ふ、ぅ」
「慎……綺麗だよ」
「は……ば、か」

 綺麗。
 綺麗なんて言葉は生まれてこの方洸太郎からしか言われたことがない。俺はどこからどうみても凡庸な顔をしているし、髪や肌だって特に気を使っているわけでは無い。確かに体毛は薄い方かもしれないが、だからって赤ちゃんのようにツルツルだとかそんな事はない。

 洸太郎の指している綺麗がどんなものなのか、俺には到底想像付かない。
 そもそもこんな関係だってお互いが望んでなったようなものではないし……いつからかこういう風になっていただけだ。

 洸太郎の髪の毛を掴んで胸に引き寄せた。頭を掻き抱くようにして抱き締める。
 身体がビクビクと跳ねて、洸太郎が腰をゆるゆると動かす。いつもの獣じみたような行為もそれはそれで気持ちいいのだが、スローセックスはなんだかむず痒いようなヂリヂリとした快感が粒のように連なって襲ってくるから絶頂の兆しが長く、いつも以上に身体が敏感になる。

「心配だよ、こんなに綺麗で可愛くて。誰かに取られちゃうんじゃ無いかっていつも思ってる」
「……そ、なこと……あるわけ」
「俺がそう思うんだから、他の人も同じように考えていても可笑しくはないでしょ。だから、心配なんだ」

 余裕そうに腰を緩く動かす洸太郎にどこか殺意めいた気持ちまで生まれる。こんなに俺が一挙手一投足に翻弄されているというのに、当の本人は涼しい顔をしている。

「ぁっ……はぁ、は」
「あぁ……ごめん、もう少し早くするね」
「ぅっ、う……はぁ」

 バツン、と肌の当たる音がひとつ響くと、連なるようにして次々と卑猥な音が部屋に響く。俺は目を見開いて突然の大きな快感にただ引き攣った息を上げる。

「はぁ、む……ふ、ふ……」

 唇を喰まれて、大きな舌が口の中を占拠する。歯列をなぞり、口腔の上をざらりと舐め上げられるとえずくように喉が震える。

「ん、ぶ……ぅ」
「は……っ」

 肌と肌のぶつかる音の感覚がだんだんと短くなり、背中の下に腕が回る。抱き起こされるように、俺はダルマみたいに丸くなって玩具のように激しく揺さぶられた。

 洸太郎の舌が首筋を舐め上げて、鋭い痛みが走る。
 ゼエゼエと息を荒げている俺はただ天井を見つめていた。


 洸太郎は、誰にでも分け隔てなくて平等に優しかった。悪く言えば八方美人に見えたかもしれない。
 だけど顔も良ければ性格もいいとのことで、人から持て囃されているのは周りを良く知らない俺でも分かった。

 最初は何で俺と一緒にいるのか不思議だった。
 俺は特に見た目で秀でたところもなければ、人格者や頭脳明晰だったってわけでも無い。それでも洸太郎は俺に会うとよく挨拶をしてくれて、たわいも無い話をずっとしてくれていた。
 俺が話すことにはいちいち興味を持ち、後日自分で調べてプラスアルファのことを語る。そんな人に惹かれない訳がないだろう。俺はだんだんと洸太郎の「良さ」を知って行った。

 洸太郎は常に人に囲まれていたが、いつしかその人たちを掻き分けて俺の元にやってくるようになった。
 俺はなんだかそれが嬉しくて、今思うと自分が特別なように感じていたのかもしれない。

 洸太郎がある時、酔っ払いながらうちに遊びに来たんだ。俺の知らない関わりのある友人たちと飲んでくると話していたから、俺は一人で家に閉じこもっていた。
 すると夜遅くにインターフォンが鳴り、出るとそこには洸太郎が泥酔した状態で立っていた。

 部屋に引き入れた時は立つのもままならなかったのに、介抱していくうちにだんだんと手足が自由に動くようだった。

「酔っ払いすぎだぞ」

 俺はそう言って頬をぺたりと叩いた。その瞬間その手を掴まれて、そのまま自分の口許に運んで唇に押し当てた。……正確に言えばあれはキスをしたのかもしれない。
 俺はそれから洸太郎の唇から目が離せなくなって、洸太郎にいつの間にか押し倒されていたんだ。

 結局その日は未遂だったけど、それでもそこから俺たちの関係は徐々に変わっていった。俺から行く事はしなかったけど、洸太郎が請うように後ろから抱き着いて来るのを剥がしはしなかった。


 それから4年ほど経ったけど、変わったのは2人で同じ家に住むようになった事と、曖昧な関係から恋人に昇格した事くらいだ。根本的には俺たちは変わらない。
 社会人になってお互い仕事を持ったからか、学生の時のようにずっと一緒ということもなくなったけど。だからってお互いへの想いは冷めなかった。
 むしろ洸太郎に至っては俺の動向が気になるらしく、連絡の催促は増えたように思う。あとは友人関係は報告会なるものもできた。それだけ二人の時間を濃くしたいのかもしれないけど。


「……また来てる」

 ミナからは相変わらずラインが来る。毎日のように返信の催促などが来ている。
 俺はというと相変わらずメッセージを削除する毎日だ。いい加減諦めてくれないだろうか。ブロックするのも手かもしれないけど、返信しようか迷っているのも事実だ。だって、自分に置き換えてみたらなんだか可哀想だ。それだったらちゃんと返信にもう連絡しないように添えるのもいいのかと思っている。
 渚たちに相談しようにも、相変わらずミナと連絡を取れの一点張りだから、相談相手には到底ならない。
 だからと言って洸太郎に相談するのも余計な心配をさせそうで嫌だ。これまでに碌な恋愛経験が無かったからどうするのが正解なのかわからないというのが本音だ。情けないけど……。
 どうにか傷つけないようにと思ってたけど、堂々と返信してもうやめてくれと伝えるのが筋なような気もしてきた。

「なに悩んでるんだよ」
「……お前のせいだろ」

 渚が能天気に声を掛けてくる。俺は渚の顔を睨みつけたが、渚は首を傾げただけだった。



「こんばんは」

 背後から声を掛けられて振り向くと、見知らぬ顔があった。その人は俺を見ているが……。

「ミナちゃん……?」
「そうだよ。お久しぶりです」
「なんでここに?」

 一瞬気付かなかったが、この間飲み屋で出会った件のミナだった。しまった、やっぱりラインを返しておけばよかったかもしれない。俺は内心頭を抱えた。

「それより、なんでお返事返してくれなかったの」
「……いや、ごめん」
「お仕事そんなに忙しかったとか?」
「そういうわけじゃないんだけど……」

 もう連絡はしないでくれ?
 別に付き合いたいだとか、そんなこと言われたわけじゃないのに……でも、洸太郎は嫌がるだろうし。

「か、彼女が嫌がるんだ。女の子と連絡を取ると」

 そうだ。本当のことを言えばいい。
 ラインだとなんだか嫌な言い方になってしまうけど、話している時であればそんなに棘っぽくならないだろう。

「彼女?」
「そう。だからあんまり連絡は控えてもらえたら……」
「そうなんだ。彼女がいたのに、あんなところに来たの?」
「いや、そういう場所って知らなくて」

 ミナは暫く黙っていた。俺は冷汗でびしょびしょになりそうだった。そもそも女の子とこうやって話すのだって久々だ。仕事だったら署内の子と話す機会はあるけど、それほど多くも無いし。

「わかった。じゃあ、またね」
「え……またって」

 ミナは呼び止めるより先にスタスタと歩いて行って人混みに消えていった。
 きっとわかってくれたってこと、だよな……?

 それから、少し経ってまた可笑しなことが起きていた。
 いや、可笑しいというか本当に住んでいる環境が近いのかもしれない。

「シンくん」
「……また会ったね」
「そうだね。同じ駅だとうっかり会っちゃうよね」
「みたいだね」

 ミナとは駅でばったりと会うことが増えた。それから歩く方向も一緒らしい。
 あれからラインは来なくはなっていたけど、こうも会う回数が増えていると良いのか悪いのか分からない。もう連絡を求められることは無くなったけど……。

「良かった」
「何が?」
「最近知らない人につけられてる気がしてたから、誰かと歩く方が気が楽なんだ」
「……」

 そんなことを言われたらもしうっかり会ってしまったとしても気を使って一緒に帰ることになっちゃうじゃないか……。俺の良心がドキドキと音を立てている。

「誰か、知り合いとかいないの」
「引っ越してきたばっかりだし、近くに友達とかもいないんだよね」
「そっか……」

 ミナが突然声を上げた。俺はなんだとミナを見ると、ミナは道を挟んだ正面にある店を指さしていた。

「あそこのアクセサリーショップ、気になってたんだ」
「そうなのか」

 確かに女性受けが良さそうな店構えだ、幾度となく通った道だけど特に気になったことは無かった。

「でも、もう暗いからやめようかな……」
「……そうだな」
「ちょっと行ってみたかったな」
「……」

 グサグサと何かが良心に突き刺さる。俺にどうしろと言うんだ。
 俺には妹はいないけど、もしいたらこんな感じだったのだろうか。俺はもしかしたら妹には甘かったかもしれない。実際いるのは弟だけど。

「……少しだけでいいなら付き合うよ」
「本当に? ありがとう、ずっと行きたかったから嬉しい」

 それから向かいのアクセサリーショップに入った。女性が好きそうなキラキラした雑貨やアクセサリーで囲まれていて、思わず俺は圧倒された。
 ただメンズ用品の棚も一部あったりユニセックスのものも置いてあったりして、色々と発見があったり。俺はアクセサリーはつけないけど、洸太郎が意外とそういうものを好むんだ。俺につけて欲しいとさえ言っていた気がする。
 ピアスの穴を開けるのは怖いから遠慮したけど……でもお揃いっていうのも良いのかもしれないと少しだけ思う。

「あ、これ可愛い」

 キラキラしたピアス、何色と言って良いのかわからないような色をしている。ピンクにも見えるが青も透き通っているし、透明のようにも見えるガラス石だ。

「不思議だな」
「可愛いよね。シンくんも開ければいいのに」
「……いや、俺は今更いらないよ」
「そう?」

 ミナは嬉しそうにレジにアクセサリーを持って行った。男と一緒に来てるのに、自分で買うのかという目で見られそうでいたたまれない気持ちになってくる。でも俺が買うと言ってもそれはそれで気持ち悪いから良いのか……。

「ありがとう付き合ってくれて、嬉しかった」
「いや、別に。でも付き纏ってるやつのことは警察なり相談に行けよ」
「うん。そうしようかな」

 ミナはニコニコと笑いながらそう言う。
 それからお互いの分かれ道になって、手を振って別れた。少しだけミナの後ろ姿が心配だったけど、家はほど近いと言っていたし街灯も明るい地域だから大丈夫だろう。
 頼むから事件にはなるな、と心の中で祈る。

「ただいま」

 家に着くと、何だか良い匂いがすきっ腹に響いた。今日は鍋だろうか。

「おかえり」

 洸太郎が寄ってきて抱き締められる。いつも思うけどスキンシップが激しいんだよな。朝は行ってきますのキスは絶対だとか、そんなことを言い出すし。
 何だか思い出すと顔が熱くなる。

「……なんか、甘い匂いがするね」
「え、そうか?」

 鍋の匂いしかしないけど……と言いかけて、ピンと来た。ミナの香水かもしれない、それかアクセサリーショップの匂いとか。そんな短時間で付着するものなのかは分からないけど、俺も洸太郎も香水をつける習慣がないからすぐ気付いたのかも。

「電車も大変だよね」
「え? ああ、そう。いつもギュウギュウだから」
「ふーん」

 良かった。洸太郎も電車での移り香だと思ってくれたみたいだ。まあそりゃそうか、俺にはそもそも女っ気が無いって知ってるもんな。ミナも何であんな懐いてるのか……いや、ただタイミングが合うだけか。
 何だか一人で納得して一人で安心する。そもそもミナも会いたくて会ってるわけでは無いだろうしな。

「本当だ。凄い匂いだ」

 コートを脱ぐと背中の方から女物のような香水の匂い。ミナはこんなにもキツイ匂いだっただろうか?
 やっぱり電車で香水をつけた女の人とずっと乗っていたのかもしれない。



「これ、この間のお礼」
「え?」

 紙袋を渡される。開けてみると包装紙に包まれた白い箱で、手のひらより少し大きいその包みの中は何も見えない。生憎詳しくはないが、ブランドらしいロゴが入っている。

「ハンカチ。いつも持ってるでしょ」
「え、ああ」
「こうやってさ一緒に帰ってくれるだけで助かるから」
「……」

 そんな事を言われたらより一層邪険な態度は出来ないよな……。年頃の子が夜道を怖がってるんだから、別に一緒に帰るくらいなら良い気がする。それこそ洸太郎にも話してみようかな……あ、いや、出会い方が悪いなぁ……。

「ありがとう。大切に使うよ」

 笑顔でそれを受け取った。
 暫くは一緒の帰路に着く事になるだろう。彼女の目の前でも使ってあげたら喜ぶかもしれない。

「喜んでくれたみたいで良かった」



「これは何?」
「え? ああ、ちょっと人助けをしたら御礼に貰ってさ。なんか良い所のものなのかな。お返しとか必要……」
「……これって女から貰った物だよね」
「え? なんでそんなこと……」

 洸太郎はジッと紙袋から出した箱を睨んでいる。それから徐に包装紙を破き出して、箱を開けた。

「これ、女性ブランドメインのメンズものだよ。男はこんなの贈らない」
「え……」
「ほら、これ。ミナ? ふーん、そんな女と出会ったんだ。また付き合ってね?」

 へえ。
 箱の中に入っていたメッセージカードを読み上げる洸太郎の背負う雰囲気が一気に険悪なものになる。まるで俺が浮気をしているような言い方だ。そんな事、あり得ないのに。

「二人でどこに行ったの? 俺がこうやってご飯作っている間に二人でお出かけして楽しかったかな? この間の香水も明らかに牽制だよね。俺はちゃんと気づいてたよ、鈍い慎とは違ってね」
「ちょ、ちょっと待てよ。何で浮気だって疑うんだよ。俺がそんな事するわけない」
「そんな事っていうけど、俺が嫌がるって知ってたよね。そもそも下心がなかったのなら俺に報告するのが当たり前だと思うけど?」
「下心なんか……俺は」

 洸太郎が箱とハンカチとメッセージカードを床に叩き付けるように投げ捨てた。それから憎いとでもいうように踏み付ける。

「おい! そんなことする必要ないだろ!」
「……今この女のプレゼントを守るわけ? そんな慎なんて俺知らないんだけど。どう洗脳されたのか教えてほしい」
「洸太郎!」
「慎は今一度俺にしたことを考えた方がいいよ。どう思ってるのか分かるでしょ、見て見ぬふりしないで」

 洸太郎は長い足をサッサと動かして玄関に行ってしまった。それから寸分の間もなく玄関ドアが閉まる大きな音がした。
 追い掛けようと腕を掴もうとしたはずなのに、洸太郎はするりと俺の手を抜けて行った。

「……クソ、こんな筈じゃなかったのに、……はあ」

 ビリビリにされた包装紙や散乱した箱とハンカチを拾い上げて、ヒラヒラと舞ってどこかへ行ってしまったメッセージカードを探す。
 床に膝をついて棚の隙間を探すが一向に見つからない。

「どこだ……」
「これのこと?」
「……」

 幻聴かと思ってゆっくり振り向く、そこには仁王立ちをして手にはメッセージカードを持っているミナが立っていた。

「! どうしてここに」
「鍵が空いてたよ。その前に男の人が出て行ったね」

 全く無用心だね。そう言ってミナがいつものように人懐っこい笑顔を浮かべた。男の人、ということは特に洸太郎とも知り合いではなさそうだ。なんでここにミナが。

「み、ミナちゃん」
「そのハンカチ、気に入ってくれた?」
「あ……うん、いいね。けど高そうで俺には勿体無い」
「そんなことないよ。ちゃんとシンくんに似合うやつ選んだんだから」
「そ、かな。ミナちゃん、とりあえず外に行こうか」

 笑顔のまま表情の変わらないミナにぎこちなく笑いかける。ミナは首を緩く振った。

「嘘ついた罰だよ。彼女じゃなくて彼氏じゃん」
「え……」
「ちゃんと見てたよ。あの男の人と住んでるんだね」
「……そう、だね。ごめんね嘘ついて」

 よかった。これできっと諦めてくれる。もしくは洸太郎の格好良さに目が眩んで俺に八つ当たりしに来ているのか……?

「嘘って嫌いなの」
「え」

 突然ミナが近寄ってきて身体に鈍い感覚と同時に鋭い痛みが身体中に駆け巡る。身体が勝手に反射的に震えて、唇も動かなかった。ビリビリ、身体に走るのは紛れもなくミナの手に握られたスタンガンから放たれたものだった。

「は……ッァ!」

 バタンと大袈裟なほど音を立てて身体が床に沈む。体が肉の塊になったように動けない。ミナを目だけで見上げた。ミナはにっこり笑って目の前に屈んだ。

「ごめんね。シンくんも男の人だから」

 それからミナは器用に俺の身体を縛り付けた。背負っていたリュックから取り出した麻縄で軽々と俺の身体を巻き付ける。

「出来た! 痛くない?」
「はなせ」

 身体が少し痺れていて上手く話せない。身体がずっと痛い。

「怖いシンくんは好きじゃないな」

 縄の隙間からワイシャツのボタンの留め具を外される。ミナのピンクに彩られた長い爪先は器用に降りて行った。それからシャツの隙間からその白くて華奢な指が入り込んでくる。骨をまるでなぞるように肋骨を指が辿る。
 ふわふわした小さい指と長い爪の感覚が不思議だ、洸太郎の指じゃないと直ぐにわかるから少し気持ち悪い。

「ぁ」
「乳首、ここも彼氏に触ってもらったんだ」
「や……めろ」

 ミナの指がスルスルと下に下に降りていく。洸太郎から送られたブランド物のベルトをゆっくりと外したあと、スラックスの留め具を外してチャックを静かに引いた。

「このパンツは彼氏の趣味なの」
「ぅ、るさ」

 たしかに、いつも下着類は洸太郎がプレゼントしてくれる。いつまでも俺がクタクタのパンツを履くからと言って贈ってくれたものだ。地味な俺と違って派手なパンツは確かに洸太郎の趣味だとわかるかもしれない。

「全然気持ちよさそうじゃないね、ここにこれ押し付けたらどうなっちゃうかな」
「!!」

 スタンガンが再び視界の中に入り、それが下着に近付けられると身体がビクリと反応してしまう。

「ウーソ。そんな可哀想なことしないよ」
「……っ」

 それからミナは俺が動けないのをいい事に、そのまま身体を縛り上げて四肢を拘束した。
 そしてほぼ裸に近いような状態にさせられて、今は股間を触られている。時々痺れが無くなり動こうとすると、先ほどより微弱だが、スタンガンを押し付けられるからなかなか動けないでいた。

「本当はあの彼氏みたいに後ろを触って欲しい?」

「あの彼氏とはどんな事をするの?」

「ここはもう責められたかな?」

「そんなに可愛く泣かないで」

 ミナは言葉で辱めるようにして、俺の身体を弄ぶ。
 こんなか弱い女の子に身体を拘束されて遊ばれているだなんて、本当に情けない。
 洸太郎には早く帰ってきて助けて欲しい気持ちと、こんな恥ずかしい姿を見て欲しくないと言う気持ちが混濁している。

 馬鹿馬鹿しい。あの時付き合って相席屋なんて行かなければ、もっと早く洸太郎に相談していれば。

「キャッ……」

 突然、ミナが短くて甲高い叫び声を上げた。

「何してんの」



 それからミナが持ってきた麻縄でミナを縛り上げた。デロデロになった俺を冷たく見つめる。ミナが、なんだか喚いていた。


「ァ、あ……」

 ズルズルと洸太郎の長大な物が胎内に入り込んでくる。ゴリゴリと内壁を割り開くようにして尻の膨らみに恥骨が当たった。
 ハクハクと浅く息をすると、宥めるように顔や鎖骨や胸にキスを落とされる。

「ぁあ、や……」
「やなの? どうして」
「だめ、だ……う」

 ゴリゴリ、ゴリゴリと内壁を削るように潰すように動く腰。頭を逸らすと、突き出た喉仏にカプリと噛み付かれて変な声が出る。

「ひぃ、ぁあ」

 パツンパツンと部屋中に響き渡る肌と肌がぶつかる音、頭に靄が掛かったように目の前しか見えない。

「ぁ、洸太郎……」
「なあに、慎」
「ごめん、なさい」

 洸太郎が笑って腰を振る速度を緩める。深く潜り込むような旋律に、腹がビクリと反応する。

「どこが悪かったの?」
「ぁ、あ……俺、ちゃんと断んなかった」
「ん?」
「おんなのこ、良くなかったのに……ぁ」

 ヘロヘロの舌ったらずなものしか出てこない、甘い痺れが思考と発言を遮るように体を支配する。

「洸太郎がすき、だから」
「……俺もだあい好き」
「ん、ん……うれしい」

 視界が滲む、涙が出てしまったみたいだ。ビクビクと腹が波立って、胎内でもビクビクと洸太郎が震えていた。
 ミナの方を見ると、ミナは驚愕の目をしていてこちらを見ていた。
 それから身体の痺れか体力の消費のせいか、いつもの癖もあってそのまま意識を失ってしまった。


 起きると俺はベッドにいた。隣には洸太郎がいてこっちを見ていた。

「洸太郎……」
「おはよう慎」
「ミナちゃんは……?」
「? ミナちゃん?」

 洸太郎は首を傾げたので、俺も同じように首を傾げてみた。

「俺、なんで寝てたんだ」
「……慎、また意識失っちゃったんだよ。ほら、ここにあとがあるね」

 洸太郎の視線を辿ると、裸の肌には赤い跡がある。縄よりも太い跡だ。

「もしかして記憶まで飛んでるの? 慎の帰りが最近遅いから、お仕置きでソフトSMをしたんだよ」
「え? エスエム……?」

 ミナが家に侵入して俺のことを縛り上げたんじゃなかったのか? 夢?

「だぁれ、ミナって。もしかしてまたお仕置きが必要なのかな」

 一気に低くなった温度に、俺は慌てて今までの事の顛末を話した。俺がみていたらしき夢の内容を話すと、洸太郎は笑ってから「同じことをしてあげようか?」と笑っていた。
 一体本当になんだったんだアレは……俺の罪悪感から生み出した夢……?


 翌朝出社すると、渚が笑って背中を叩いてきた。
 話を聞くと、どうやら俺がミナのストーカーになっていたらしい……ミナから相談されたよ、と渚が笑って言ってきた。

「お前もちゃんと男だったんだな」

 渚がバシバシと背中を叩いてくる。
 ミナはどうやら駅で俺と何度か会ったくらいで、そこまで話したことも無いと言っていたみたいだ。
 何処からどこまでが夢で現実なのか、俺にはイマイチ分からなかった。

 一先ず、もしミナとこの先ばったり会うとしてもお互いに無視をした方がいいだろう。本当に、俺がミナを気に入っていたとか……? あり得ない。

「おかえり、慎」
「ただいま」

 洸太郎が出迎えてくれて、コートを取ってくれる。ふわりと香る香水に、あの日のミナを思い出した。

「香水の匂いがうつっちゃってるね。これはクリーニングに出さなきゃだ」
「そうだな。休みの時に行ってくるよ」
「ううん。俺がついでに行ってくる。慎に任せるとまた忘れちゃうからね」
「酷いやつ」

 全くこの数日でどっと老け込んだような気がする。短い期間の玉手箱みたいだ。

「はぁ」

 もうなにも考えまいとため息をついて、美味しそうな匂いのする食卓へ向かった。

 それから俺はミナと再び会うこともなく、暫くしてから洸太郎の仕事の都合で別の町へと引っ越した。


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