来世は天使に生まれたい


  


 この世には三通りの人間がいる。
 顔が良い人間と、顔は普通の人間、そして不細工な人間。

 顔が良い、美人やイケメンなんていう人間は努力はそこそこでも顔が良ければ大概のことはなんとかなるし、収入だって高収入な傾向が多いという。そりゃそうだ、仕事の幅が広がりやすい。だって顔が良いだけでソイツが何か良い人間に見えるからだ。

 顔が普通の人間は、大抵一見するくらいじゃ嫌いにはならない。性格が悪いだとか、そういうもので不細工に見えてくるかもしれないが、中々そんな事は起こらない。意外とモテるのは普通の顔をした人ともいうし。

 不細工は大問題だ。だってどう考えても世間から浮いている。普通にすれ違うだけでも不細工は不細工という認識になるだろう。なんなら不細工というだけで嫌われることがある。理不尽だろうがなんだろうが、虫が無理な人がいるように不細工を人間と認めていない人間は一定数いる。

「よう、ブス島」

 その、人間だと認められていない不細工はここにいる。

「今日も辛気臭い顔してるな、どうした。ああ、そうか…」

 金髪がサラサラと輝く。

「生まれた時からそんな顔してるんだったか」

 如月はいつもその綺麗な顔で俺に毒を吐く。
 顔を隠すように伸ばした髪の毛を握られておでこを光の元に晒す。周りがクスクスと笑っているのが聞こえた。

「生憎だよな。人間は生まれてくる時は自分の顔を選べない」

 肌が綺麗なのはまだ良かった。これで肌が荒れていたらもっとバイ菌扱いされていたんだと思う。

「これから整形しない限りは、その顔と一生付き合っていくことになる」

 如月が口を開く度に唾が顔に飛ぶ。いつからだっけ、如月が俺に突っかかってくる様になったのは。

「ただ可哀想なことに、顔が悪いやつは顔が良いやつに比べると収入が低いらしい。困ったな」

 如月は良い所のボンボンだという。周りがそう言っているのを聞いたことがある。何処かの財閥の息子だとか。
 天は二物を与えずとは一体どこの誰が言ったのか。

「きっとお前は底辺で這いつくばってこのまま一生生きて行くんだろうな」

 心底嬉しそうに顔を歪める如月に、俺は冷めた目を向ける。お前に言われなくたってそんなこと、もう自分で気付いている。不細工に不細工と言ったところで顔が良くならないように、決まっていることに抗うほど俺の頭はお花畑じゃないんだ。

「誰かが救いの手を差し伸べてくれるといいな」

 まあそんなやつ、いないだろうけど。


「…まただ」

 教科書に落書きがされている。俺の似顔絵らしい。
 象のように小さい目に、鼻筋の通っていない丸まった鼻、唇は不自然に分厚い。

 如月が指示したものに違いない。アイツは生まれた時から美形にばかり囲まれていたらしい。だから不細工を見たのはお前が初めてだと出会って最初の頃に言っていた。
 如月は幼稚園の頃からの腐れ縁だ、親同士も顔を合わせているはず。その時からずっと如月はこうだ。
 この付近には高校がボコボコ建っているものではないから高校に上がっても同じだ。

 周囲は無視する者が殆どで、如月の取り巻きは如月の指示に動いているような感じで、助長するようなことも言う。

 幸いにも暴力を加えられる事は殆どなかった。不細工をもっと不細工にしては可哀想だからという如月の配慮らしい。
 だから俺はずっと前から自分が不細工と気づく前から不細工だと知っていた。そう生きてきたんだ。

 母さんは俺を可愛い金魚ちゃんと呼ぶ。どうやら魚顔らしかった。母親から見ても不思議な顔立ちという事だろう。

「転入生がうちのクラスに来るらしいよ」

 不細工な落書きをぼうっと見ていると、隣の席の女子が前の席の女子とそう話している。転入生なんて殆ど無い。みんな見知った顔ばかりだから、きっと他のクラスでも話題に上がっているだろう。

「聞いたけど凄いカッコいいらしい!」
「本当!? 如月くんくらいカッコイイかな…」
「どうだろう、山本くんもカッコイイけどね」

 どうやら転入生の顔も良いらしい。女の子たちが色めきだっているのがなんとなくわかる。鏡を取り出して髪の毛を直したりし始めた隣の席に、俺はパタリと教科書を閉じた。


「これからよろしくお願いします」

 キャア、と隣の女子が小さく叫び声を上げた。
 転入生の柊は如月とも山本ともまた違ったタイプのイケメンだった。雰囲気がなんとなく都会っぽい感じだ。東京から来たというのも頷ける。
 如月は綺麗なところの坊ちゃんという感じで、山本は運動部のイケメンという感じだ。顔が良いやつは本当に得だ、どうしたって良いヤツに見える。

 俺の左隣の席は昨日設置されたばかりだ。
 柊のために女子たちは綺麗に拭いていたのをつい先ほど見たばかりだ。そのときにはしっかりと、毒島の隣で可哀想と呟いていた。俺はそれを聞き逃さなかった。

「よろしく」

 隣に座って早々に柊は話し掛けてきた。
 俺は一瞬目を合わせてペコリと頭を下げた。目をパチクリさせた柊に俺はフイと前を向く。柊もきっと不細工な男だと気付いたに違いない。それでいいんだ、無駄に関わられて後々いじめられているヤツだと知られて気不味い思いをするのは柊なのだから。

「ねえ、教科書見せてくれない?」
「…俺のは見れないから」

 俺の教科書はほぼ全てにおいて如月に落書きを加えられている。中には女の裸体が乱雑に書いてあって、それに男の裸体が加わっている時もある。俺に似た男の絵が男の裸体に跨っているなんて落書きもあった。
 そんなものを見て授業に集中できるわけない。

「どうして?」
「……」

 俺がしばらく答えに困っていると、前の席の上田が「俺が見せてやるよ」とフォローのような声を掛けてきた。

「ううん、俺はこの子に見せてもらうから」
「…だから見れないから、他の人に見せてもらって…」
「なんで? 俺には見せられないってこと?」

 柊は人の良さそうな笑顔を浮かべているが、なぜか如月のような威圧感を感じる。語気が強く感じるのか、言い方は棘がないように感じるのに。

「俺が見せるから毒島のは…」
「毒島君っていうの? 変わった名前だ」

 俺は柊には視線を向けないように俯いた。上田がどうにかしてくれるのを祈ろう。隣の女子がヒソヒソと何かを話している。
 唐突に、ガタガタと机の動く音。柊が俺の机にピッタリと自分の机を寄せてきた。

「これで見せれるかな?」

 ニッコリと笑う柊に俺はたらりと嫌な汗をかいた。
 俺は渋々柊に教科書を開いた。丁度、俺に似た落書きが裸体で大の字になっている絵だった。気不味い。

「なるほどね」
「…俺の見るか?」

 上田も気まずそうにそう言ってくる。その方がいい。

「ううん、大丈夫。毒島くんが見せてくれるみたいだから」
「そ、そうか」

 上田はそれ以上何も言わずに前を向いた。隣の女子たちはいつの間にかヒソヒソ話をやめていた。

「ねえ、いじめられてるの?」
「…うん」
「いつから?」
「…分からない」
「そっか」

 柊はよく分からないことを聞いてくる。単純に好奇心が強いのかもしれない。

「この絵は毒島くん?」
「多分」
「男が好きなの?」

 次のページを捲ると俺の似顔絵が男の股間に囲まれた絵があった。そういえば、如月はいつだったか俺はオジサンに体を売るくらいしか稼ぎの道がないとか言っていた気がする。別に、顔を隠すような仕事だってあるのに何の意図で言っていたのかは分からなかった。俺が同性愛者にでも見えているのかもしれない。

「違う、と思う」

 正確にはわからないだ。男も女も物心ついた時から好きという気持ちを抱いた事はなかった。

「俺のことはどう?」
「え…?」

 柊は自分を指差して笑った。もしかしてもう柊も俺を揶揄っているのだろうか。

「カッコイイと思うけど」
「じゃあ付き合える?」
「どうだろう…」

 どうせ、のちのちに俺が男が好きだったとかなんとかいうんだろう。柊はまともそうに見えたけど、分からない。

「俺は毒島くん、タイプだな」
「…そう」

 柊はニコニコと笑っている。それがどういう意味なのかは分からなかった。これから俺を揶揄う奴が一人増えたという、そういうことだと思った。

 それから、柊は事あるごとに喋り掛けてきた。
 昼になった時には一緒に食べようと言って着いてこようとしたが、クラスの奴らに囲まれていた時に俺は逃げてきた。
 誰も来ないような階段の踊り場で弁当を食べようとしていると運悪く如月がやってきた。

「さっきの見たぞ」

 俺は箸を止めて、口の中のものを必死に噛み砕いて飲み干した。

「転入生に話し掛けられて随分嬉しそうだったじゃねえか。お前やっぱりホモだろ?」

 金髪がキラキラ揺れていて、ツリ目気味の目が更に釣り上がっているように思う。如月が怒っているのが何故か雰囲気で分かる。

 如月が徐に自分のズボンのチャックを下ろしだして、俺は思わず身体を硬くした。


「ン、ぐぅ……ぅぶ」

 前髪を掴まれて乱雑に腰を振られると、さっき食べたものが思わず逆流しそうになる。恥毛が鼻に当たって、それから鼻が更に押し潰されるように深く口内の奥まで深く差し込まれる。

「オラ、ベロも動かせ」
「ぁえ、んぐ…ぇ」

 鼻水が垂れて、涙で視界がぼやける。ぼやけた視界の中で如月が興奮したように笑っていた。
 それから暫く頭を揺さぶられて、弁当箱に白い液体がシミを作った。

「俺の遺伝子を取り込めば、お前の顔も少しはマシになるんじゃねえの?」

 ニコニコとさぞ嬉しそうに笑顔を浮かべる如月に俺は鼻を啜り眉を顰めた。
 それから如月が見続ける中でその弁当箱を空にさせられた。最悪。

「どこ行ってたの?」

 口を濯いでいると、話し掛けてきたのは柊だった。
 まあ、話し掛けられることなんて滅多にないから、だろうとは思ったけど。

「…別に」
「もうご飯食べちゃったよね? 一緒に食べたかったなぁ」
「俺と食べるより他のやつと食べた方がいいと思う」

 俺といると、きっと如月に目をつけられる。柊がいじめられることは天地がひっくり返っても無いと思うけど、それでもイチャモンつけられるよりは絶対いい。

「それはどうして?」
「俺の扱い見てみれば分かるだろ」

 わざわざ言わせようとするなよな。俺は内心ムッとして、ぶっきらぼうに言い返した。

「それは同意できないな」
「…とにかく、もう関わらない方がいいから」

 濡れた口元をゴシゴシと袖で拭うが、得体の知れない気持ち悪い感触が未だに残っているような気がした。
 追ってこない柊に俺はホッと息を吐いた。全人類仲良しとか、訳の分からないことを言いそうな男だ。少し強めに言うくらいが効くのかもしれない。


「おはよう」

 朝から、柊は全く懲りていないと言うことを前面に押し出しながら挨拶をしてきた。俺は眉を顰めて、無視を決め込む。
 ヒソヒソとクラスの中で誰かが俺たちのことを話しているのが雰囲気で察した。きっと、誰かが俺に関わるのをやめろとでも釘を刺してもなお、こいつは話し掛けてきたんだろう。
 ここまで来ると、こいつは懲りていないんじゃなくて、俺の事を嫌いなんじゃないかと思う。それだったら辻褄が合うような気さえしてきた。

 あえて俺を目立たせる作戦なんだろうか。そしてまた俺は如月に……。

「おはよう、毒島くん」
「……」

 もう、徹底的に無視を決め込んでやるから。

「教科書見せて」
「この問題の答えわかる?」
「次体育だね」
「一緒に準備運動しようか?」
「あ、もうすぐお昼だ」
「今日もお弁当?」

 どの問い掛けにも俺はうんともすんとも答えなかった。だけど、柊はそんな俺にも構わずに話し掛け続けた。

「今日は、俺も一緒に食べようと思ってもう買ってきたんだ」

 昼のチャイムが鳴り、立ち上がった俺にそう言って笑う柊。俺はチラリと如月を見た。

「どこで食べようか?」
「……三階の階段の踊り場」

 如月とはバッチリと目が合ったが、敢えて俺は柊を連れて行くことにした。
 もしかしたら、如月は柊がいる時には来ないのかもしれない。今日の半日を終えてようやく気づいた。

「着いていくね!」

 意気揚々と着いてくる柊に、本当にコイツは俺を馬鹿にしていないのかも知れないとちょっぴり思った。
 ……はずだった。

「ン!?」

 リップ音がして、唇を割り入ってくる生暖かい濡れた感触。目の前には長いまつ毛で縁取られている閉じられた瞼。
 俺はびっくりして思わず柊の頬を叩いてしまった。
 それから蜘蛛の子を散らすようにワーッと叫ぶ暇もなく弁当を片付けて退散した。

 どうして柊は、あんなこと……!

 階段を駆け足で降りて、長い廊下を駆ける。
 すると思考が落ち着いてきて、落書きされた教科書が思い出された。

「……そうか」

 俺は閃いた瞬間に足を止めた。
 柊は、あの落書きされた教科書を見て、俺をゲイだと思い込んだんだ。
 だから興味本位で俺がタイプだとか、さっきみたいにキスをしたりだとか、無視してもめげなかったのか。

 ストン、と心に落ちてきた。
 それもそれで立派なイジメだよな。

 それからは俺はなるべく柊には無視を決め込む事にした。如月も俺が柊を無視していると分かれば機嫌を良くしたのか、特に何もなく。呼び出されることも、急に目の前に現れて乱暴な事をされることも無かった。
 そう思っていた矢先の事だった。

「ブス島、放課後は4階の空き教室な」

 昼休み終わり、人気のない廊下でばったり出会した如月にそう言われた。空き教室に呼び出される時はいつも二人きりで、前に踊り場で無理矢理された時みたいな同じようなことをされる時が多い。

 俺がゲイだと如月は言うけど、いつだって俺から何かをねだったことは無いし、それに俺がゲイだと言うのだっていつの間にか言われていたことだ。
 俺がブスだといつも笑う癖に、それでいて俺に慰めてもらおうとするなんて、ちょっと勝手が過ぎないか?
 取り巻きが見たらどう思うかなんて、火を見るより明らかなのに。

「全裸になって、回って見せてみろ」

 もう如月の前で羞恥心なんてものは無いに等しい。
 すぐ様服を脱ぎ捨てて、椅子に座る如月の目の前でゆっくりと回ってみせた。何を見たいのかは分からないけど、羞恥心目当てだったら残念だったな。そんなものはとっくのとうにオサラバしてる。

「…いい。俺のここに来い」

 そう言って如月の足の間に指を刺す如月。床に座れということだろう。そこまで考えて未来が見えた。


「本当に毒島くんは可愛いんだから」
「何が良いのか全然わからん」
「どこも可愛くない」

 口を濯いでから教室に向かうと、柊の声がした。思わずコッソリと聞き耳を立てていたが、どうやら俺の話のようだった。

「逆にどこが可愛いと思うわけ?」
「え、全部?」
「それ、マジで言ってるのかよ」

 柊ではない、他の二人が鼻で笑い飛ばすようにそう言い放つ。

「うん、まじだけど」

 柊の声が至って真剣、という風にそう言い放つ。他の二人はカラカラと笑っていた。
 これもこれで、その手の冗談なんだろうか。話の種にもならないと思うけど。

「笑わないでよ、本当に毒島くんが好きなんだ。自分でも訳わからないくらい可愛いし…」
「…わ、わるかったって。別に揶揄ってる訳じゃないから」
「そうそう。ほら、よくB専とかいうだ…イテッ」
「どうしたら毒島くんに伝わると思う?」

 本当かもしれない、嘘かもわからない。
 だけど、柊の声と二人の態度が演技とは思えない。
 ドキドキと心臓の音が大きくなって、血が指先まで急に巡っているような感覚。

「…ばかみたいだ…」

 馬鹿なのは俺か、それとも俺みたいなのを好きだと言う柊か。


「おはよう」

 次の日、柊は俺の無視にも負けじと意気揚々と挨拶をしてきた。俺は柊の目を見た。その瞬間柊が少したじろいだ。

「おはよ」
「……!」

 俺が馬鹿なら、柊も馬鹿だ。二人して大馬鹿なのかもしれないけど、柊の気持ちが本当だったんだとしたら俺はとても最低なことをしているんだと思った。

「おはよう」

 俺がぶっきらぼうに返した挨拶に、さも嬉しいですと言った表情を浮かべてまた挨拶をしてきた柊。俺はそんな柊の表情に心臓の辺りがキュウと何かに掴まれた気がした。

「…チッ」


 昼飯のチャイムが鳴ると、柊が弁当を持って話し掛けてきた。一緒に食べよう、と何故かおずおずと言われて俺は頷いた。柊の表情がさらに明るくなる。これも演技だとしたら、相当な役者だ。俺はこの柊のこの顔を見ても嘘だと疑っていたのだろうか。
 ….いや、俺は柊の顔なんてちゃんと見たことは無かったかも。どうせ嘘だと、揶揄っていると決めつけていた。

「今日はサンドイッチなんだ。毒島くんも一つ食べない?」
「…ん」
「はは、どうぞ」

 全粒粉の食パンは彩り豊かで、いろいろな具が挟んである。その中から一つ掴んで、俺はかぶりついた。

「どうかな。実は今日は俺も作ったんだ」
「…美味しい。ありがとう」
「よかった。またこうやって一緒にご飯を食べれて嬉しいな」

 ニコニコと俺がサンドイッチを食べるのを笑顔で見ている柊。少し気まずくなりながらも黙々と食べ続けた。
 しばらくすると柊もサンドイッチを食べはじめて、二人で特に会話もなく飯を食べた。

「どうして俺と話そうと思ってくれたの?」
「…話し掛けてくるから」
「前は嫌がってたでしょ。話し掛けるなってオーラだった」
「それは…」

 なんと言っていいか分からず、俺は黙り込んだ。揶揄っているんだと思ったと言えば良いかもしれないが、昨日のことを思い出すと何も言えなかった。

「如月?」
「え……」
「如月が毒島くんに何か言ってくるんでしょ?」
「……」

 俺は黙って頷く。如月が怖いだとか、そう思ってるって思われたくないけど、実際面倒くさいことが起こるし……。

「俺が毒島くんを見てると、必ずその先に如月がいて毒島くんを見てるんだ」
「キモ…」
「はは、可哀想だよ。如月は毒島くんに構われたくてたまらないみたいだね」

 どーせ俺みたいなちっぽけな存在、虐めたって特に利益や面白みなんてないだろうに。なんで俺なんかを目の敵にして追ってくるんだか、俺には理解できない。

「俺は如月のことなんて何とも思ってない」
「そう言うのが伝わるんだろうね、如月には」
「だからって俺に手を出したところで面白いわけでもないだろ」

 俺のことを性欲処理として使うのはどうかと思うけど、気軽に扱い易いんだろうな。

「それより」

 柊は急に真面目な表情をして、なんだか堅い声で不自然に話を区切る。
 そんな柊になんだか俺まで真剣な表情になってしまい、柊の顔を見つめた。

「俺の気持ち、伝わってるかな。この間は急にキスしてごめんね」
「……」

 なんだか恥ずかしく感じて、真面目な表情をした柊から視線を下げた。

「毒島くんが可愛くて、気が早まっちゃった」
「…柊」
「…嫌だった?」

 柊の顔をじっと見つめて、それからゆっくりと横に首を振る。
 昨日の柊の言葉が無かったら信じられなかったし、揶揄われていると思って嫌な気分になっていたと思う。だけどそうじゃないって、今日は何故かわかるんだ。

「…これからもまたこうやって一緒にご飯食べて、たまにキスしたりとか…してもいいかな」
「…わからない」
「そっか。また、気が早くなってるかな」

 ゴメンネ、そう言って少し傷ついたように笑う柊にドキリと心臓が鳴る。

「でも、悪くはない…」

 柊は途端にパッと顔を明るくさせた。

「毒島くん…!」
「……っ」

 ギュウ、と抱き締められて思わず息が止まる。柊の体温が伝わってくるような気がする、お互いの呼吸が耳元に響いて、心臓の鼓動がまるで一つにでもなったようだ。
 本当に心臓の音ってドキドキってするんだ、こんなの走った時には気にならなかったけど、柊のこの音が脳内まで響いてくるようだった。

「毒島くんは、意外と身体しっかりしてるんだね」
「…そうか?」
「うん。抱き締めてみないと分からなかったことだよ」

 柊の背中にこっそりと腕を回した。柊の呼吸が一瞬止まって、それから少し深く吐いた息が耳元にかかった。

「柊は、見たまんまだな」
「はは、どういうことかな」
「体も、かっこいい」

 それからどちらともなく見つめあって、啄むだけの小鳥のようなキスをした。


 その日からなんだかんだと毎日柊といるようになって、放課後も一緒に帰ることが増えた。
 周りも最初は興味津々に俺と柊を見ていたけど、立ち聞きをしてしまったあの日の二人が俺にも話し掛けてくれるようになった。それから周りの視線も気にするほどではなくなった。

 柊のお陰で、最近学校へ行くのが苦じゃなくなった。

 それに、如月が絡んでくることも無くなった。もちろん取り巻きたちもだ。柊のおかげだ、守られてるというわけではないかもしれないけど、間接的に柊の恩恵を感じている。

「あれ、毒島くん柊と一緒じゃないの?」
「あ、うん。今日は委員会らしいから先に帰っててって」
「…ふーん? でも、柊は毒島くんと一緒に帰りたいって嘆いてたぞ」
「……そうなの?」

 橋元くんが笑いながら、そう言ってきた。

「待ってたら、喜んでくれるかな」
「さぁどうだろうな? 俺の予想だと、明日の朝っぱらから俺に嬉しそうに報告してくると思うけどな」
「そっか。分かった、ありがとう橋元くん」
「おう。じゃあな」

 橋元くんはあの放課後の二人のうちの一人だ。もう柊の気持ちも知っているからか、俺たちのこの曖昧な関係も知っているのかもしれない。

 何しようかな。
 そう考えながら廊下をぶらつく。委員会が終わるまでは後一時間はありそうだから、できるならどこかで暇を潰したい。
 そう思って顔を上げると図書室のプレートが掛かっていた。

 カラカラと鳴る扉を開けると貸し出しブースには眼鏡をかけた子が本を読んでいた。ここにはあの子しかいないみたいだ。

 俺は部屋の中に入って本棚の森へ足をすすめた。
 窓が開いていて、そこから少し温い空気が入ってくる。目の前の別棟では、柊が委員会で行っているはずだからもしかしたらここから見えるかもしれない。

 そんなことを考えながら、ぼうっと肘をついた。
 そんな時に後ろから声を掛けられて、二の腕を掴まれた。

「……如月」
「なんだか久々だな」
「なんだよ」

 俺は振り払う事はせず、如月にそう尋ねる。
 如月は鼻で笑って俺の腕を引っ張った。

「離せよ。もう俺はお前のオモチャじゃない」
「なんだ? お前にはもう別のオモチャが見つかったのか?」

 フッと含みのある笑い方をする如月に、俺はムカッとして眉を寄せて唇を尖らせた。

「オモチャなんかじゃない」
「じゃあなんだ、コイビトとか面白い冗談言うのか?」
「お前には教えない。離せ」

 俺は腕を思いっきり振りかぶって、無理やり腕を離させた。それから置いてあった自分の鞄を掴んでドアへ足を進めた。

「待て……!」
「はな、せ……!」

 今度は後ろから羽交締めにされて、如月も俺も声を荒げた。肘で如月の腹を殴りつけて、やっと離れたと思ったらシャツの襟を掴まれて首が締まり、ボタンが弾け飛んだ。

「ぅぐ……っ」
「待て、よ」

 引っ張られて、顔を掴まれそうになって俺は抵抗した。顔を左右に振って手と足をばたつかせると、ドタンと床に体を打ち付けて、如月も重みで上に覆いかぶさってくる。

「ッ……」

 その瞬間に少し低い本棚にぶつかり瞼と頬に鋭い感覚が走って、俺はより一層暴れた。如月の頬と胸を押す。

「…お前…」
「どけ……っ」

 腰辺りに馬乗りになられて、両方の腕を絡め取られた。そしてそのまま床へ貼り付けられて、俺は上に乗る如月を睨んだ。

「はは、その顔…」
「くそ、どけよ」
「お前そんな顔でアイツに会いに行けるのか」
「はぁ?」

 唾でも吐いてやろうかと睨み付けるが、如月は何故かさも嬉しそうに笑みを浮かべている。
 すると急に冷たい感触がして、目を瞑る。汗が垂れてきたのだろうか。

「ほら、見てみろ」

 掴まれていた腕が離れたかと思ったら、今度は顔に手を伸ばされる。咄嗟に顔を庇ったが、顔に触れられた。

「見てみろ」
「なんだよ……は?」

 そう言われて素直に目を開けて見てしまった。すると如月の手のひらには血が付いていた。

「なに…どこから」

 俺は自分の顔に触れて、頬をなぞる。それからその手を見ると同じように血が付いていた。

「なんで…」
「もしかしたら一生残るかもしれないな。キズモノになっちまったんだ」

 キャア、と猫が鳴くような甲高い声がして、視界にさっきの眼鏡の子が映る。

「だ、大丈夫ですか」

 如月は無言で俺の上から退いた。俺は唖然として顔を触る。
 女の子がどこかへ走っていって、如月は満足そうに腕を組んで俺を見ていた。
 俺から血が出てるってこと?

「これ、使ってください」

 女の子が戻ってきて持ってきたティッシュの箱から何枚も抜き取ったものを渡される。

「どうしよう……」

 目の前の焦っている女の子に、俺はなんとも言えなくて立ち尽くす。気が動転してるっていうのはこういうことだろうか。

「毒島くん!」

 バタバタと飛び込んできたのは、柊だった。
 なんでここに?

「柊」
「どうして! 如月…!」
「揉み合ってたらぶつけちまったみたいだ」

 ニヒルな笑みを浮かべた如月に柊が怒ったように声を荒げた。

「どうしてこんな傷に…」

 女の子から受け取ったティッシュで、顔を拭かれて傷を見る柊。
 柊の顔は俺からしか見えなかった。

 女の子は心配そうに俺を見ながら、如月も気にしているようだ。当然だ、さっきのケンカのような怒声を聞いているから故意にやったと思っているのかもしれない。

 如月も嬉しそうにニヤニヤと顔に不気味な笑いを浮かべてこちらを見ている。

「柊…どうして」
「ん? 痛い?」

 柊は、俺の顔を優しく拭きながら笑みを浮かべていた。
 眦はいつも以上に垂れ下がり、口角は穏やかに弧を描いている。声だってなんだか猫撫で声のようで、全身で嬉しいと伝えてくるようだ。

「痛く…ない…」
「そう。良かった」

 それから保健室に行くと、先生が悲鳴を上げた。
 消毒液を含んだ脱脂綿で傷をなぞられると、たまらなく沁みて顔を歪ませた。

 柊はずっと俺の手を握ってくれて、いつの間にか如月は消えていた。

 保健室で先生がちょっと出てくると言ってどこかへ行ってしまった。女の子の話を聞いてきっと喧嘩だとか思ったのかもしれない。
 柊はジッと俺の顔を見つめてくる。

「…傷、変かな」

 さっき鏡で見て見たけど、瞼から頬の中心までを一直線に傷が走っていた。先生曰く縫うほどではないにしろ、赤い線のような跡は残るかもしれないとのこと。

「変じゃないよ。大丈夫」
「…でも、柊気づいてる?」
「ん?」

 柊の手がキュウ、と強くしまる。まるで俺を逃さないと言ったような雰囲気だ。

「笑ってるんだよさっきから」
「嘘、本当?」

 自分の顔をペタペタと触ると、ようやく自分が笑っていることに気付いたようだ。

「…ふふ、本当だ」
「どうして」
「なんでだろう。これで毒島くんも少しはモテなくなるかなって、ちょっと考えちゃったんだ」
「え…?」
「もしこの傷が残ったとしたら、無闇矢鱈に近づいて来る人は少なくなるかもしれないでしょ。そうなったら毒島くんの良さは俺だけが知る事になるから…」

 だから本当は嬉しいんだ、ごめんね。
 そう言った柊は頬を撫でて来る。

「毒島くんは自分のこと卑下しているけど、これだけは覚えておいてほしいな。もし整形したとしても顔に大怪我を負ったとしても、俺だけは過去の君も今の君も好きだから。いつでも同じことを言ってあげるよ」
「そっか」
「俺、ちょっと歪んでるでしょ」
「…だいぶな」

 柊はクスリと嬉しそうに笑った。

「如月が付けた傷っていうのは頂けないけど、俺は毒島くんを傷付けたくないからね」
「まるで柊が俺に傷を残したかったみたいな言い方だな」

 そう冗談を言うと柊は何も言わずにニコニコとしている。

「…おい」
「はは、冗談だよ」

 それから柊は俺と付き合っていると公言した。理由は俺が告白に頷いたからだ。付き合ったら周りに言うと言うのは決めていたことらしい。
 俺は別にそれでよかったけど、柊は良かったのだろうか。

「如月も手を出して来なくなったし、良かった」
「まあな」

 柊は傷に触れて来る。やはりあの後傷は瘡蓋になり剥がれ落ち、痛くはなくなったが赤く線が入ってしまった。
 成長期だし、代謝も高いからいつかは消えるかもしれないとのことだったけど柊はとても愛しい物のようにその傷に触れる。

「誰かに虐められたらすぐに言ってね」

 こめかみにキスをされて髪の毛の匂いを嗅ぐ柊。
 どうやら不細工でもそれなりの清潔感があればこんな風に恋人ができるらしい。

「わかった」

 柊の瞳には、小さい目に丸みを帯びた鼻、分厚い唇に目元から頬にかけて線が走った俺が映っていた。

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