ダウト


 


「今日はどこ行くの?」
「あー今日は新宿マツイの店舗が営業不振だとかで、ちょっと説教しに行くんだ」
「ふうん、そうなのか」

 ネクタイを結ぶ俺を、まるでテレビでも眺めるようにして見ている忍。忍はいつも通り、少し寄れたTシャツに下着一枚というだらしない恰好だった。なんだかスーツを着て、ネクタイをしっかりと締めている自分が馬鹿らしくなるな。いつもそう思いながらもノリが効いたワイシャツに腕を通すと自分が役員だという意識と責任が戻ってくるんだ。俺はつくづく日本社会の人間だと思い知らされる。

「……今日はどこか行くのか?」
「んーうん、どうだろう。最近天気も良くなってきたし、お散歩行こうかな」
「……そうか。金はそこに……」
「大丈夫だよ、引き出しの中でしょ」
「あ、ああ」

 忍は思い立ったかのようにすっくと立って、俺の下に歩み寄ってきた。そして先ほど締めたばかりのネクタイを解いたかと思うと、シャツのボタンまで外してきた。

「お、おい……」
「……ここ、見てみてよ」
「な……ぁ」

 シャツをプチプチを外していき、胸元に見えたのはいくつもの赤い斑点だった。それを視界に入れた瞬間にカッと顔が熱くなる。

「分かる? 俺のモノっていう印だよ」
「ぁ、う……分かったって……」
「俺にも昨日付けたでしょ」

 自分の寄れたTシャツの首元を引っ張り、見せてきたのは俺の昨晩付けてしまった歯形だった。自分の性癖というか、癖は知っていたけど、それでもこうやって素面の時に見せられると生々しい。それに痛々しくも思えてきて罪悪感だ。

「ご、ごめん……」
「気にしなくていいんだよ。俺だっていっぱい実次のお尻に噛みついたからね」
「うわ……」

 突然無防備だった尻を鷲掴みにされてビクリと肩を跳ね上げた。腿と尻の間の溝に指を差し込まれて擦られると、昨日の夜を思い出した。
 昨日も夜遅くに帰ってきてからテイクアウトしたイタリアンを食卓に並べたのに、忍が買ってきたというケーキを先に食べたいとねだるから切り分けるためにキッチンに立ったんだ。
 そしたら、忍が後ろから腰を当ててきて、ケーキに乗ったクリームを指で掬って俺の口に突っ込んできて……それから……。

「エッチな顔してるね」
「……忍がそうやってするから」
「なに? お尻掴んだだけだよ?」
「ん、ちが……」

 忍の顔が企んだようにニヤリと歪んで、俺は堪らなくその唇に貪り付いた。スラックスの前が張ってしまって腰が引けてしまったが、忍の大きな掌が俺の腰をグッと引き寄せてきた。

「ァっ! や、ふ……」

 抑えが効かなくなるから、やめろと言いたかったが、声を上げる前に口を塞がれた。
 もう駐車場には部下が来てるから止めなきゃいけないが、忍の誘いにはどうしても乗ってしまうことが常だった。
 尻を揉まれると腰がもどかしくて左右に揺れてしまうが、それでも決定的な快楽は貰えずに、悶々とした熱に身体を捩った。

「う、……うぅ、忍」

 涎でベトベトになった口元を顎から下唇まで舐め上げられて、熱い息と共にとうとう忍の名前を呼んだ。
 忍の顔を見上げると、忍はニコリと愛想よく笑って俺の頬を掴んだ。俺は口を開けて忍の舌を待ったが、忍はクスリと笑って俺の後ろに視線を向けた。

「……なんで……忍」
「佐伯さん……もう駐車場で三十分は待ちましたよ」
「えぇっ!」

 突然俺と忍以外の声が響いて、慌てて後ろを振り返ると、わなわなと肩を震わせている部下の姿があった。俺は慌てて濡れた口元を拭って、忍と距離を取った。

「し、忍……お前いつから気付いてたんだ?!」
「……実次も気付いてるかと思ってたんだけど」
「そ、んなわけ……」

 乱れたシャツのボタンを直してネクタイを締め直しながら振り返ると、汚いものでも見たかのように冴島が自分の眼鏡を拭いていた。見ないように気を使ってくれたのかわからないけど……それならせめてインターフォンくらい押してくれよ……。
 いつも冴島は朝に迎えに来てくれるのだが、たまに俺がこうやって忍の誘いに乗ってしまうことがあって待たせてしまったりしていた。そして最近はなんだかその誘いの回数が多くて、ついにキレた冴島にスペアキーを寄越せと怒鳴られてしまい、仕方なくこの家の鍵を渡したんだ。
 ついこの間はそれでもなぜか身体が止められなくて、ベッドまで行ってしまい……インターフォンの音を無視してまでことに及ぼうとして、また怒られた……というか怒鳴られたんだ。

「なんで貴方はそんなにも欲求に弱いんですか!」
「う……仰る通りです……」
「というか、快楽に弱いと思うけどね」

 横から忍が揶揄うようにそう言ってきて、冴島もキッと忍を睨みつけた。
 この二人はなんというか、対局にいる二人といった感じで、あまり仲は良くなさそうだ。というよりも俺が悪くしてしまっているのかもしれないけど……。

「とにかく支度がもう終わったなら早く行きますよ」
「わ、分かった!」

 そう言って冴島はくるりと踵を返してしまった。俺は慌ててバッグを取りに行こうとしたが、もう冴島が持って行ってくれたらしい。これは本当にお怒りのやつだ……。

「忍、行ってくるな。気を付けて散歩、行って来いよ!」
「……うん。行ってらっしゃい実次」

 忍は綺麗に笑って俺に手を振ってくれた。靴を慌てて履きながら、俺は冴島を追った。

「さ、冴島……いつも本当に助かるよ」
「そう思っているならそれなりの態度と節度を守ってください」
「う……わ、分かりました……」
「以前も同じことを言っていましたよね」

 ヒィ……耳が痛い……。
 確かに以前も同じようなやり取りをして、俺も勢いよく返事をしたんだ。それなのにこの有様だ……冴島もいい加減本気で怒るよな。

「ご、ごめんって……でも、こんなの頼めるのもう、冴島しかいないんだよ」

 俺はもともと、朝が弱くていつも秘書である冴島に迎えに来てもらっていた。そして例に漏れずして今日の朝も迎えに来てもらっているんだけど……。

「……あの色男を追い出せば今日みたいなことはもう無くなるんじゃないんですか?」
「そんな……でも、忍は多分俺の意志を汲み取ってこういうことをしているんだと思うんだ……だから忍は関係なくて、俺の意志の弱さのせいで……」

 俺がブツブツと反論していると、冴島が深いため息をついた。

「僕は、あなたが三時間もセックスに浸っていて、僕を駐車場で待たせたとしても怒りはしません」
「え、えぇ……それなら……」
「ただそれが、他の女性や男性……あの男以外ならの話です」
「え、なんで……?」

 それほどまでに忍のことが嫌いだったのか、冴島……。はあ、とある意味で感心しながら冴島を見ると、ミラー越しに冴島の視線が鋭く俺を刺した。

「僕があの男を気に入らないから、だと思っていませんか?」
「違うのか?」
「それもそうですが、違います」
「じゃあなんで……」

 眼鏡のブリッジを押し上げたかと思うと、冴島は大きくため息を吐いた。

「あの男が貴方にたかっているからです」
「……たかるなんて、そんな事」
「いいえ。貴方は愛されていると思っているのかも知れませんが、あの男は定職についていないどころか働こうという意識すら見えません。今朝だって貴方がお金の心配をしていた」
「それは……良いんだよ。忍に使ってもらう以外、あまり使い道が無いから」

 俺は趣味も無いし、プライベートで飲みに行く事もない。まあ、飲みに行ったとしても会社の経費で落ちる事ばかりだろうし、忍に金を使われても俺はなんて事ないんだ。
 むしろ、それよりも忍が何処かへ行ってしまう事の方が遥かに許せない……。

「佐伯さんはなんであの男にそこまで入れ込むんですか……」
「なんでだろう、運命とかじゃない?」
「そんな適当な……」
「はは」

 冴島、俺は本当にそう思っているんだよ。だってどう考えても俺が今まで生きてきた中で一番綺麗だと思うのは忍だ。
 確かに、下着で歩き回ったりするし、裸で出迎えを受ける事もある。それに職にだってついてはいないけど、俺のことを全部ありのままで受け入れてくれるのは忍だけだ。

「……別にあの男じゃなくても、世の中にはいっぱい人がいるんですよ」
「そうかもしれないけど、その人と今から出逢うことは俺にとっては苦痛なんだよ。時間が割ける訳じゃないしね」
「そうかもしれないですが、その方が余程健全です」

 この関係は不健全だと言い切っているようなもんだ。別に少年を金で買っている訳ではないのに、何がいけないんだろうか。
 そこら辺にいるホストクラブに貢いでいる人と、俺とは何が違うんだ。不健全かもしれないが、犯罪を犯している訳ではないのに。

「冴島は本気で恋したことある?」
「それは……数えるほどは」
「そう。俺はこれが初めてだよ」
「…………」

 そう答えると、冴島は黙ってしまった。少し意地悪しちゃったかな。それでも、俺の気持ちは本当だし、言ったことに嘘はない。本当に、俺は一回しか本気で人を想った事がないよ。それが忍なんだ。

 忍と出会ったのは、俺がよく行くカフェだった。
 俺がお茶を飲んで休んで、さて外へ出ようかとした時にレジ前で不審な男が立ってたんだ。その人は体をパンパン叩いて、財布を探していたようだった。
 俺もよくやるんだよな、と冴島の顔を思い出して可哀想に思ったので、代金を立て替えて……払ってあげようと思った。ただそれだけだ。それが忍だったって訳。

 俺は別にそこで忍をどうこうしようと思ったわけじゃない。お金は要らないと言われたけど無理やり店員さんに押し付けた。そしたらコーヒーを持った忍が慌てて追いかけてきて……それからだった。
 まあ、なんていうか漫画みたいだよな。今思うとあれだけの美丈夫だ、助けない人は多分居なかっただろう。だから、別にそれがただ俺だったってだけで、別に忍にとってはそのなかのひとりが俺だったんだ。

 忍とはそれからランチをしに行ったり、ディナーに行ったり。あんな人目を惹くような人を連れて歩いているんだから、代金はもちろん俺持ちだ。それに、聞けば忍は俺より年下。俺もたまげていたけど、忍はもっとたまげていた。確かに、垢抜けない顔をしているとはよく父にも言われる。

 それから、なんとなくそういう風に至った。
 別に、俺からディナー代に……なんて求めた訳ではない。ただ、本当に自然に……そうなったんだ。
 それから半同棲状態になり、忍が俺の家に居つくようになり、今の形だ。

 俺は忍と出掛けることが凄く楽しかった。本音で言うと、もうすでにその頃から惚れていた。だから金を払うなんて全然苦ではなかったし、寧ろ忍が今のように俺に頼ってくる事がとても嬉しい。冴島は不健全だと言うけれど、今や忍への援助は俺の心身の健康へと繋がっているのだ。

 仕事が終わり、例に漏れず冴島の車で家へ送ってもらう途中、車が繁華街を通った。ネオンがピカピカ眩しいが、これぞ東京だと思わせる風景だった。
 そして、そこで見慣れた背中を見つけた。
 車がゆっくりと徐行していたので、見間違えるはずもなく……それは忍の背中と横顔だった。

「忍……」
「……アイツは、そういう奴なんです。どうか目を覚ましてください」
「……お前、わざとここを通ったな」

 冴島は何も答えなかった。しかしそれが答えだと俺も、無言を貫いた冴島も、分かっていた。
 きっと、冴島なりに俺のことを考えてくれているのだろう。それは分かっている、分かっているけど……。

「俺は忍を離せない」
「……佐伯さん」
「ごめん、冴島。忍が俺を離さないんじゃなくて、俺が忍を離さないんだ。……本当はああやって外に出るのが好きなのかもしれないけど」
「どうしてですか……貴方にはもっと、……」
「ごめんね、冴島」

 それから車内には重い空気と、軽やかなジャズミュージックだけが流れていた。


 冴島が言いたい事はわかる。俺が忍に入れ込んで全財産擲ってでも手に入れたいなどと言ってしまうのではないか、とか。そういうことを心配してくれているんだろう。それに、忍がいると俺になにか不便が起こるのではないか、とか。
 だけど俺はそれを全部ひっくるめてどうでもいいんだ。忍と天秤に比べたらどれだけその物事の軽いことか思い知るだろう。

「しのぶ……」
「ただいま、実次」

 ソファに寝っ転がっていただけだったのに、いつの間にか寝ていた様だった。忍は香水の匂いをプンプンさせて戻ってきた。あの繁華街にいた忍は紛れもなく忍だったが、この匂いであれが本当だったのだと思い知らされる。

「忍、好きだ」

 忍に手を伸ばすと、忍はフッと笑ってから俺の手を掴んでくれた。そしてソファの端に座って、俺の上に上半身だけで覆いかぶさってきた。誰の香水の匂いだろう。女の子かな、忍のタイプだったのか?

「実次」

 俺はきっと印刷物の匂いしかしないだろう。体臭には気を使ってるから、香水もしないけど、きっとそんなに匂わないだろうし……俺も、こんな風に香水を振ったほうが、忍の好みに合うのだろうか。

「俺も、愛してるよ」

 俺に、財産が無かったとしても?
 ……俺はそんな野暮なことは聞かない。だって、俺には忍がいればいいんだから。

 それから、忍は俺を風呂に誘ってきて、一緒に風呂にシャワーを浴びた。
 そして、濡れたままに俺たちは綺麗なベッドに身体を放って、もみくちゃになりながら俺は忍を求めた。忍も、同じように俺を求めてくれて、誰とも繋がってはいないことを安堵しながら、俺は忍がくれる快楽に溺れた。


「おはようございます」
「う……冴島……なんでいるんだ」

 陽の光が目を刺すようにして、朝だということを俺に告げた。
 そしてその陽の光をバックにして立っていたのは、冴島だった。

「あなたを起こしに来たんですよ」
「……忍は?」
「さあ。もう来たらどこにもいませんでした」
「……そうか」

 俺は少しだるさが残る腰をさすって、起き上がった。タオルケットがはらりと落ちて床に広がった。
 忍はもういないのか、いつもの朝だったらずっと俺と寝ていて、起きるのだって俺の方が早いはずなのに。

「……佐伯さん、なにか着て下さい」
「別に、いいだろ」

 冴島は俺の裸になんてなんも思わないだろうし……。

「冴島、コーヒー」
「……自分の家でしょう」
「もうひと眠りしようかなぁ」
「わかりましたよ」

 俺はリビングに向かった冴島の背中を見てから、新しい下着を取り出して履いた。
 髪の毛を乾かさないで寝たからきっと寝癖が凄いだろう。ベッドにも濡れたまま寝たから、身体が少し冷えているような気がする。それとも、隣には誰もいなかったから……なんてな。

「コーヒー、できましたよ」
「……ん」

 ソファに座っていると、冴島がカップに入れたコーヒーを持ってきてくれた。
 いつもの藍色のマグカップ、これは忍がはじめてくれた俺へのプレゼントだ。

「美味しい」
「コーヒーには、隠し味を入れるんですよ」
「そうなのかぁ」
「……なに、とは聞かないんですね」

 俺はクアと欠伸をして、冴島を見上げた。
 いつも通り、冴島はスーツをきっちりと着ていて、眼鏡は指紋ひとつなく拭きあげられている。神経質そうな見た目そのままに、冴島は神経質なのだろう。
 だからこそ、俺がしていることも、忍との関係も口出してくるのかもしれない。

「冴島が忍の代わりになってくれる?」
「え……?」
「冴島が、忍の代わりに俺を愛してくれるなら、忍は諦めてもいいよ」
「え、ちょ、ちょっと……佐伯さん……」

 コトリ、とマグカップをテーブルに置いて、俺は立ちあがった。冴島がそんな俺を目で追っていて、動揺しているようだった。思えば、冴島は俺と忍の関係に嫌そうにしていたけど、男同士で抱き合っていることは咎めなかったな。
 冴島の肩に手を置いて、俺は冴島の眼鏡に手を掛けた。その間も冴島はジッと俺の目から視線を離さずにいて、ゴクリと息を飲んだのがわかった。

「ふふ……なーんちゃって」

 俺は思わず吹き出した。いつもクールな冴島が少し可愛く思えて、俺は冴島の肩を叩いた。

「大丈夫、俺が欲しいのは忍だけだから。俺、意外と潔癖症なんだ」

 マグカップに口を付けると、思ったよりも熱く俺は舌を出した。

「佐伯さん、僕は……」
「冴島が俺のこと心配してくれるのはわかるけど、あんまり口出しされるのは好きじゃないな」
「……失礼しました」

 冴島はシュンとした様子で、少し可愛かった。
 別にいいんだ、口出しされるのも反対されるのも分かってるし。……だけどじゃあ、俺は一体誰に愛されたら良い?
 俺が愛さなかったら、誰にも愛されないのに……ずっと独りでいるなんて、忍の温もりを知った俺はもう戻れないよ。



 忍が帰って来ない。

 昨日の朝はいつもと同じように怒った冴島が家に来て、それから渋々出勤した俺を忍がキスをして送り出してくれて、お昼には遊びに行くという連絡だって来ていた。
 それなのに夜になっても一向に戻って来なくて、俺は深夜も眠れずずっとボーッと宙を見つめていたくらいだった。
 朝になった今でも連絡は来ない。

 冴島に連絡をしなければならないのに何も頭が働かない。そういえば昨日の朝から何も食べていないような気がする。

 遊びに行くってどこに、誰と、何をしに?
 いつ帰ってくる?

 そればかりがずっとぐるぐると頭の中で回っている。それ以上の疑問も、回答も、何も出て来ない。
 今まで忍が帰ってこなかった日はない。朝帰りになるとしても連絡を入れてくれたから安心して寝れたし、ちゃんと伝えていた時間に帰ってきてくれていた。
 女の子と遊んでいるだけならまだ良い。だけどもし何かしらの事件に巻き込まれていたり、連絡できないような事があったりしたらなんで考えるとゾッとする。
 もしかしたら俺のことが嫌になって出て行ってしまったのかもなんてことも、思ったりしてしまう。でもそんなわけ無い、忍ならきっと何かしら相談してくれるはず。

 考えに耽っていると突然インターフォンが鳴った。
 俺は何も考えずに身体がすぐに反応し、玄関まで走った。

「わっ!」
「……冴島」
「どうしたんですか、呼びに来たんですけど……」
「忍が帰ってこないから仕事なんて行けない」
「え?」

 開けると冴島が驚いた顔をして立っていた。動揺したような冴島に、俺は簡潔に伝えた。するともっと冴島は動揺したようで、とりあえずと家の中に上がってくる。

「何があったんですか」
「何もない。連絡がないんだ、何か事件に巻き込まれたのかも」
「そんな……きっと何処かで遊んでいるんですよ」
「俺に連絡をくれなかった事なんてない、絶対に何か言ってくれているはずだったのに」

 ソファに座らされて、冴島が慣れている態度で湯を沸かし始めた。俺はぼーっとそれを見ている。

「もうきっと佐伯さんに寄生するのに飽きたんですね」
「そんな筈ない。もしそうなら忍はちゃんと連絡してくる」
「……そうですかね、お金で繋がっていた関係にそんな信頼も何も無いと思いますけど」
「お金で繋がっていても、根本的な忍の性格は分かってるんだ」
「そんなの分かってるつもり、だったんじゃないですか」
「忍はそんな事しない」

 ガチャン、と食器がぶつかるような音が部屋に響いた。

「なんでそんな事が言えるんですか」
「冴島」
「貴方は全く分かっていない。あの男がどんなに野蛮で粗野で、貴方には相応しくないということを知るべきです」
「わ……っ」

 冴島はぐるりとこちらに向き直ってきたかと思うと、般若の様な形相をしていた。その手にはカップが握られている。

「早くこれ飲んでしっかりしてください」
「……わかったよ、もう。酷いなぁ」

 ハーブティーらしく、なんだか草の様な匂いがする。あんまり紅茶には詳しくないんだよな、なんかお上品だからって自ら進んでは買ったことない。

「ハーブティーにはリラックス効果があるそうですから、きっと冷静になれます」
「……うん」

 それからぽつりぽつりと何か冴島が話し掛けてきて、俺はそれに反応をただ返すだけだった。なんだか次第に視界がふわふわとしてきて、頭の回りも鈍くなってきた。
 寝ていなかったからハーブティーを飲んで落ち着いて、睡魔がやってきたのかと思い俺は目を閉じてしまった。

 ハアハアと誰かの荒い息が聞こえる。それに伴って聴こえる微かな水音に、俺は眉を顰めた。それに温かい、なんだか陽の中にいるみたいだ。
 俺は暫く瞼を開けなかった、寝ている様な感じもしたし、起きている様に頭の中で考えたりしていた。

「っ?!」

 急に首のところが痛くなって、俺は音のない叫び声を上げた。痛い、なんで、何が起こったんだ。
 瞼を上げようにも身体が金縛りにあったように言うことを聞かない。声だって何故か出せなかった。

「なんでここにいる?!」
「それより実次に触ってる汚い手を離して」
「やめろ、俺はお前のことなんて認めない」
「別にいいよ。実次が求めてくれるのは君じゃなくて俺だからね」

 ガシャンと何かが倒れる音に、呻き声。
 なんだか頭が凄く重たい。
 誰かがギャーギャーと喚いていて、俺の身体は暖かくて少し冷たい何かに包まれていた。

「ただいま、実次」

 俺の好きな声だ、きっと忍が帰ってきたんだ。

「あーあ泣いちゃった、そんなに嬉しかったの」

 俺、泣いてるのか?
 瞼が重たくて開けられないが、確かに顔が濡れているような気がする。どうしてこんなに体が言うことを聞かないんだろう。目の前に忍がいるのに、どうして。

「ああ、こんなに汚されちゃったの」

 俺、汚れてる?
 それじゃあ忍に触ってもらえない。早く綺麗にしないと。

「俺が綺麗にしてあげるね」

 ムグムグとくぐもった声が聞こえる。忍じゃない誰かだ。一体誰だ?

「ぅ、」

 身体が重くなって、関節が悲鳴を上げた。多分膝を折り曲げられてお尻を丸出しにしているんだと思う。
 それから暫く振動が続いて、俺はいつの間にかまた気を失っていた。


「……あさ」

 起きると空はすっかり明るくなっていて、ついでに隣には忍が寝ていた。俺はぽけっと窓から見える白い空を見ていると隣で唸り声がする。忍が起きたみたいだ。

「おはよう、今日は早起きだね」
「……忍、いつ帰ってきたの」
「夜中だよ、実次はもうぐっすりみたいだったけど」
「どうして」

 忍はグッタリと俺にもたれかかって来る。そのままベッドへ沈めるみたいに体重を掛けてきて、バフリとベッドへまた、沈んだ。

「……どうしてって? スマホに電話したらサエジマさんが出て遅くなるって伝言頼んでいたけど」
「……冴島」
「冴島さん、もしかして俺に意地悪したのかな。俺のことが嫌いだからまあしょうがないね」

 昨晩の冴島の言葉を思い出す。あれは確かに冴島の言葉の槍だったはず。……もう冴島は終わりだな。

「忍、もう冴島は別の部署に移動してもらうことにするよ」
「そう? 俺が嫌われてるだけだし、大丈夫だよ」
「いや、もう決定した。新しい秘書を雇う」

 俺から忍を切り離せる奴なんて誰もいない。
 誰も、俺と忍を切り離せないから。

「……冴島さん、可哀想だな」

 忍が隣でポソリと呟いたが、俺は冴島に宛てた御礼の文と共に新しい冴島の移動先の部署名を添えた。
 アイツは優秀だから、きっとどこの部署でもやれるさ。
 今回はただ、俺と忍のことについて踏み込みすぎただけの事。

 メールを送り終えてから、スマホを放り投げた。
 忍に抱きつく様に身体を寄せる。ドクリドクリと心臓のなる音が体を伝っていく。

「忍、好きだ」
「うん、分かってるよ。俺も愛してる」

 ぐりぐりと忍に頭を擦り付け、匂いを深く吸い込む。
 忍の仮初の言葉だって、なんだって嬉しいんだ。きっとこれが長くつづくことはないけれど、それでも今この時が永遠だってそう信じたい。

「実次、今日も綺麗だよ」


×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -