はじめてのチュウ
「なまえ…?」
朝起きたら、なまえがいなかった。
ベッドは俺が寝ていたところ以外すべて冷たい。
まさか寝ている間にこっちの俺が帰ってきて元の時代に…!
そう思って慌てて部屋を見渡したが、ここは未来のなまえの部屋だった。
ということは、また今日も仕事があったんだろうか。
「………」
昨日、せ…生理用品、を買いに行ってから、なんとなくなまえの様子がおかしかった。
夕食の材料を買ったときも、それを調理したときも、食べたときも。
先ほど部屋を見渡したときテーブルに1人分の朝食が用意してあったのが見えた。
置き手紙はない。
今まで仕事が入ったりしても、黙っていなくなることなんてなかったのに。
急に不安になってきて、俺はパジャマのまま部屋を飛び出した。
そうはいっても、あまり人に姿を見られてはいけないから、他に行けるのは自分の部屋だけ。
だがここにもなまえの姿はなかった。
「なまえ…」
「あれ、真木さん?」
「…っ……」
こいつはいつも人を驚かせるように入ってくる。
どーしたんすかパジャマのままで、と言いながら歩み寄ってくる葉を、軽く睨んだ。
「なまえを知らないか…?」
「なまえ?あいつなら用があるって朝出てったぜ。」
「そう、か…」
いつもなら必ず告げていくのに、という文句は少なからずあったが、取り敢えず理由があっての外出だったことに安堵した。
長く息を吐くと、葉はこっちを見ながらニヤニヤする。
「そんなになまえが心配だったか?」
「………」
「そう怒んなって。眉間のしわ取れなくなるぜ。」
「わ、やめろ…!」
眉間に指を当ててぐりぐりしてくる葉の手を叩き、なまえの部屋に戻ろうとする。
しかしそれは葉に腕を掴まれたことによって阻まれた。
「で、結局、お前はなまえのこと好きなのかよ。」
「…っ……」
「お、図星か?でもお前、もうすぐ帰っちゃうしなー。」
わかっている、そんなことは。
からかってくる葉が嫌で逃げようとしたが、失敗に終わる。
1つか2つくらいしか年齢も違わないだろうこいつに色々言われるのはすごく腹立たしかった。
正直、今の生活を手放したくない。
こっちのなまえも自分の時代のなまえも好きだが、あっちは当然俺より年下。
こっちでなまえに自分の思っていることが素直に言えるのは、彼女が年上だからだ。
こっちは大人だから多少我儘を言っても優しく聞いてくれる。
だけどあっちは、慎重に言わなければ嫌われてしまいそうだ。
年下だから悪いなんてことは思わないが、あっちに帰って、なまえに好きだと言う勇気がない。
俺の気持ちが未来で変わってしまっているかもしれないように、俺が時間移動したことによって過去のなまえの気持ちが変わっていないとも限らない。
「あれ、真木さん?」
「…っ」
「うそ、泣いてる!?」
慌て出した葉が俺の腕を放し、なまえに怒られる!と叫びながら部屋を出ていく。
泣いた、というほど涙は出ていないが、視界が滲む程度には目が潤んだ。
***
司郎に内緒でアジトにある大キッチンでケーキを作った。
せっかくこっちにいるんだから、こっちの私が祝ってあげないと!
そんな気持ちで作り出したけど、そういえば司郎は真木ちゃんほど甘いものが嫌いじゃないことを思い出す。
ここ数年は真木ちゃんでも食べられるケーキを研究してたから、司郎の口に合いそうな甘さのを作るまでに結構時間がかかった。
「司郎、入るよ?」
「…っ……」
「え!?」
部屋に入ってすぐ視界に飛び込んだのは、ドアの前に立っていた司郎だった。
目がちょっと赤くなってる。
「ちょっと、どうし…」
「勝手にいなくなるな!」
「っ、ごめん…」
抱きついてきた彼に反射的に謝ってしまった。
きっと不安なことがたくさんあったんだ。
「ごめんね、今夕飯作るから。」
「こんな時間からか?」
「うん、ちょっとね。」
だから待ってて、と言って司郎の頭を撫でてから体を離すと、彼は私の腕を掴んだ。
「俺も作る。」
「いいよ。今日は司郎休んでて。」
「一緒に、作りたい。」
ぎゅっと手に力が入って少し痛かったけど、口には出さなかった。
こんなに弱々しいってことは、相当不安だったんだろう。
「わかった、ありがとう。今日は司郎の好きなもの作るから。」
今提げてる買い物袋にその材料が入っている。
ケーキの材料と一緒に今日買ってきたものだ。
完成したケーキの方は、私の部屋の冷蔵庫に入っている。
司郎は私の手を放すと袋を奪い取ってキッチンへ行ってしまった。
***
「すごいな…」
出来上がった料理を見て司郎は目をぱちくりさせた。
自分も半分作っていたのに、最中には気づかなかったようだ。
「今日は他に誰か一緒なのか?」
「ん、2人だけ。」
「じゃあ何でこんなに作ったんだよ。」
訝る司郎はやっぱり今日が何の日か覚えていないみたいだ。
「何でって、今日は司郎の誕生日でしょ?」
あ…と声を漏らした司郎があまりにも彼らしくて笑ってしまう。
「お誕生日おめでとう。今日で17歳だね。」
「…しばらく、なまえとの差が縮まるな。」
「広がるんでしょ。向こうの私はまだ15歳なんだから。」
「………」
あれ、正しいこと言ったはずなんだけどちょっと睨まれた。
よくわからないけど謝って、多すぎるご馳走を食べ始める。
2人では食べきれない量だけど、明日のお昼にまた食べればいい。
好きなものばっかりだから、たぶん司郎も食べてくれるだろう。
真木ちゃんが帰ってきたらまた同じものを1人で作るんだとしみじみ思った。
「…もう食べられない。」
「ごめん、多く作りすぎたね。」
「いや…」
箸を置いて申し訳なさそうな顔をした司郎は、本当に限界まで食べたみたいだ。
無理しなくてもよかったのに。
「その、まだケーキもあるんだけど…」
ちょっと待ってて、そう言って自分の部屋へ取りに行く。
1ホールまるごと持ってきたけど、今の司郎には1口食べるだけでもきついかもしれない。
司郎の部屋に戻ってきて、これも明日かな、と内心諦めつつテーブルに置く。
案の定司郎は顔を顰めた。
「一応、今の司郎が好きそうな甘さにはしたつもりなんだけど…」
「なまえが作ったのか…?」
「まあね。朝から作ってたんだけどなかなかうまくできなくて。」
切り分けながら、司郎の質問に答えていく。
「あ、別に残してもいいからね!余ったら明日食べても他の人に配ってもいいし!」
「…食べられる。」
「ほんとに無理しなくても…あ、そうだ。プレゼントもあるんだよ!」
そう言って、包装されたものをテーブルに置いた。
昨日買ったんだと言えば、司郎は驚いた顔をする。
「た、食べ物じゃないから大丈夫だよ。もしかしたら司郎は気に入らないかもしれないけど、えっとそれから…」
「なまえ、」
「何、…ん……」
呼ばれたと思って振り向けば司郎の顔が近づいて、唇を重ねられた。
今までこっちの司郎からされたことはない。
私からしたこともないから、これが初めてのキス。
ただ合わせただけの唇からは、真木ちゃんとは違う愛が伝わってきた。
「っ、ん…ぅ……」
「なまえ、」
どうして今こうしたのかわからないけど、人とキスしたのは久々で、流されてしまいそうになる。
離したりくっつけたり、啄むようなキスの間に司郎は何度も好きだと言ってくれた。
「……何をしている。」
ガチャ、扉を開く音が聞こえたあと、しばらく間を開けてから発せられた声。
「…っ……」
その低い声の主は、この場にいるはずのない人物だった。
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