奇妙な感覚




書類作成をしていると、真木の携帯が鳴った。

確認すると、相手は幼稚園の先生だった。

何かあったのだろうかと真木は眉間に皺を寄せ電話に出る。


「はい…」

「あ、真木さんですか?すみません、六條院幼稚園の者ですけれど…」


電話越しに感じる相手の焦りに、真木の手が強張る。


「何かあったんですか?」


真木がそう聞くと、彼女はさっき起こったという事故について説明し出した。



「っ、なまえが、落ちた…?」

「えぇ。今救急車を呼んで病院へ連れてきたんですけど…すみません、私が目を離していたばっかりに……」

「いや…、」

「今お仕事中でしょうか。忙しくなければ来ていただきたいのですが…」

「行きます…!場所は…」


病院の場所を聞き電話を切った真木は、急いで扉を開け部屋を出ようとした。


「ちょっと待てよ、真木!」

「…っ……」


だがそのとき、ちょうど兵部が瞬間移動で彼の部屋に現れた。


「少佐、すみませんが今は急いで…」

「あぁ、わかってるんだけど…こっちの方が近いんじゃないかなと思って。」


そう言って兵部が指差したのは、部屋にある普通の入り口ではない扉。

いくつかあるパンドラ名義で借りたマンションに繋がる扉だ。

真木が手をかけ開いたのは、普通の扉。


「幼稚園の近くにある病院なんだろ?そっちから行ったら何日もかかると思うけど…」

「…………」


しまった、焦りのあまり思考回路が止まっていた。


「…すみません。」

「緊急なんだろ?早く行ってやりな。」


言われるが早いか、真木はすぐに別の扉から出て行ってしまった。

残った兵部は肩を竦め、小さく息をつく。


「まさかあの真木が、ここまで焦るとは…」


少しの間彼は苦く笑っていたが、すぐに笑みを消した。


「…よくない方向に転ばなきゃいいけど…ね。」


そして少し険しい表情になり扉を見つめた。



***



病院に着いた真木は正面玄関に見慣れた姿を見つけた。

なまえの幼稚園の先生だ。


「真木さん…!」

「なまえは?」

「今、病室で医者に診てもらっています。園長が一緒にいるんですが…」


真木は眉を顰めた。


「案内していただけますか?」

「えぇ。こちらです。」


彼女の半歩後ろを歩きながら、真木はなまえのことを考える。

電話で大体のことは聞いたが、詳しいことは何もわかっていない。

呼んでも反応がなかったというのは、相当重態なのではないだろうか。

大丈夫なのか、心配で堪らない。




「ここです。」


ずっと彼女のことを考えていると、病室の前に着いていた。

近い場所にあったのか、距離もわからないほどに考え事をしていたのか。

真木はすぐに扉を開けた。


中にいたのは園長と医者、それからなまえ。

入り口を見た園長と、目が合った。

診察を終えたのか、医者もゆっくりとこちらを振り返る。


「保護者の方ですか?」

「え、えぇ…」


ちょうど医者がそこにいるせいでなまえの顔が見えず、心配が尽きない。

少し別の場所へ移動してくれ、なまえの顔が見たい。

だが見て彼女が酷い状態だったら――

そんなことを頭の中で考えている真木を他所に、医者は穏やかな口調で言った。


「心配ありませんよ。軽い脳震盪を起こしてますが、もうすぐ目が覚めるでしょう。」

「そう、ですか…」


その言葉を聞いて安堵した自分は、とんでもなく情けない顔をしているに違いない。


「では私はこれで。」


医者は真木に一度微笑みかけると、病室を出ていった。

医者に頭を下げた真木は、彼と入れ替わるように病室へ足を踏み入れ、なまえの傍へ行く。

眠っている彼女は多少外傷があるものの、医者の言った通り大事には至ってなさそうだ。


「…ご面倒をお掛けしてすみません。」

「いえ、こちらこそ、こんな事態を招いてしまってすみませんでした…」


真木が謝ると、園長も深々と頭を下げて謝る。

しばらく沈黙が続いたが、もうここにいても意味がないだろうと思った彼女たちは、一声かけて出ていった。

2人きりにしてくれたのだろう。

真木は息をつき、そっとなまえの頬を撫でた。







先程、看護師がここへ来た。

なまえの目が覚めたら帰ってもいいそうだ。

それまで何もすることのない真木は、ベッドのそばにある丸椅子に腰掛けただなまえを見ている。

すると、また病室の扉が開いた。


「なまえちゃん!」


入ってきたのは、今なまえの名を叫んだ男の子とその母親らしき人物。

男の子は走ってここまで来ると、眠っているなまえを見て泣き出した。


「なまえちゃんのお父さん、ごめんなさい…!僕、僕が手を伸ばさなかったら……!」


嗚咽混じりに言いながら泣く男の子。

なるほど、この子がその鬼だった子か。

お父さん、という言葉に真木は少々顔を顰めたが、言ってもしょうがないことだと諦めることにした。


「すみません、うちの子のせいでなまえちゃんを怪我させてしまって…」


母親まで謝り出し、真木は少し困惑の表情を浮かべている。


「…軽い脳震盪ですぐに目を覚ますそうですから、大丈夫です。」


こういったことは苦手なのだと思いながらも、彼は続けた。


「それに、子供たち同士の遊びですし、なまえの行動にも問題があったのでしょうから、そんなに謝らないでください。」


母親は、ありがとうございますと言って頭を上げる。

だが男の子はまだ泣き続けたままだ。


「なまえは大丈夫だ。だからそんなに泣くな、男の子だろう。」

「でも、なまえちゃん…僕……」

「すぐに元気になるから、心配しなくていい。」


そう言って頭を撫でてやると、彼はようやく落ち着いたのか泣くことをやめた。


「…なまえちゃん、明日も幼稚園来る?」

「明日はわからないが、明後日は絶対に行く。」

「ほんと?」

「あぁ。」

「よかった…!」


そして元気も取り戻した男の子は、母親の傍へと戻っていく。


「すみません、本当に…」

「……………」

「なまえちゃんにも、そうお伝えください…」


もう一度頭を下げて詫びた母親は、まだ残りたがった息子をつれて病室を出ていった。

扉が閉まるのを確認すると、真木はため息をつく。

だが丸椅子に座り直しなまえをもう一度見ると、彼は穏やかに微笑んだ。


「…人気者だな。」


先程の男の子は、次になまえが幼稚園に行ったとき彼女に謝り、復帰したことに喜びを示すのだろう。

他の子達もきっと、この子の復帰を喜ぶはずだ。

そして帰れば、アジトにいる者にも似た反応をされるのだろう。

きっと兵部が、この事について話しているだろうから。


そこまで考えて真木は我に返った。


「…それがどうしたというのだ。」


何故今のようなことを考えたのかわからない。

ただ、何となくくすぐったいような痒いような感じがした。

真木はわけがわからず眉間に皺を寄せる。

するとその時、なまえの目元がピクリと動いた。


「ん…」


なまえが目を覚ましたのだ。


「起きたか。」


しばらくぼうっとしているなまえを見て、今考えていたことなど忘れて真木は微笑んだ。

焦点の合っていない虚ろな目で天井を見ているなまえ。

だが徐々に意識が覚醒してきたのか、彼女は勢いよく上体を起こした。


「ここどこ……いたっ…!」


急に起きて頭が痛いのか、すぐにまた体を戻してしまう。


「おとなしくしていろ。頭が変になるぞ。」

「…何で、真木ちゃんが…?」


事態が飲み込めず、困惑した表情で問いかけるなまえ。


「遊具から落ちて、救急車で運ばれたそうだ。俺は先生に呼ばれ、今こうして病院にいる。」


落ち着いた真木がそう説明すると、なまえは何やら思い出すように眉をひそめる。

そして思い出したようで、騒ぎ出した。


「そうだ、落ちてそれで…真木ちゃんにもらったリミッターは!?」


首の辺りに手を当て、その存在を確認する。

わさわさと手を動かすあたり、相当焦っているようだ。

見つけると、彼女はへにゃりと笑って服の上からそれをしっかり掴む。


「よかった…何ともなかった…」


その言葉を聞き、真木は苦笑した。

自分のことより、そんなものを気にするのかと。


「自分の心配をしろ。」

「でも、絶対外すなって言われたし…真木ちゃんにもらったものだから……」


最後の方は小さな声で言っていたが、近くにいるため真木には聞こえてしまった。

驚いた彼はなまえを見て目を見張る。

当の彼女は、目をとろんとさせて、へらりと笑っていた。


「ん、まぎちゃ…なんか、眠た……」


呂律もまわっていない状態でそう言ったなまえは、再び目を閉じてしまった。

眠ってしまったのだ。


「…………」


幸せそうなあどけない寝顔は、初めて病室に来たときよりも随分と血色がいい。


「……まったく。」


目が覚めれば帰っていいと言われたが、これでは帰ることができない。

真木は苦笑を浮かべて小さく息をつくと、そっとなまえの頬を撫でた。


「世話が焼ける。」


そして腰を屈め、彼女の唇のすぐ脇――ギリギリ頬と呼べる場所に口づけた。

唇を離すと彼は穏やかな笑みを携えてなまえを見る。

だが、ふと彼の動きが止まり、眉間に皺が刻まれた。


「…俺は、何を……」


今の行為は何だったのか、何故あんなことをしたのか。

いつも眠る前にする頬へのキスは、なまえがねだるからしているのだ。

それを自分から、しかもあんなギリギリの場所に…


「…違う。」


何が違うのかわからないが、きっと安心したからあのような行動に出たのだ。

なんだかんだ言いながらも、自分は彼女のことを保護者として心配している。

自分の性格を考えれば、その結論に辿り着くことは難しくない。

父親と言われるのは気に入らないが、それなりにいい保護者になっているではないか。


「…………」


自分の娘として育てている子が、パンドラの仲間が無事だったのだ、安心して当然だ。

何かまた、くすぐったいような奇妙なものを感じながら、真木は取り敢えずなまえが目を覚ますのを待った。







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