思いがけないこと
「それでね!先生がね!」
「…あまり喋ると口に入るぞ。」
風呂で真木に髪を洗われながら、なまえは幼稚園での出来事を嬉々として話していた。
彼女が幼稚園に通うようになってから、それが日課となっている。
「大丈夫だもん。」
「あとで苦しくなっても知らないからな。」
「…………」
自信満々に言ったが、真木が少しきつめの口調で話したためなまえは黙った。
別に真木も、話が聞きたくなくてこう言ったのではない。
ただこの年の子は、話すと興奮してじっとしていられないのだ。
口や目に泡が入ってしまうことへの心配をするのも無理はない。
「流すぞ、耳を塞げ。」
「ん……」
ひとしきり洗い終えたところで真木は一声かける。
そしてなまえが耳を塞いだのを確認すると、シャワーで泡を流した。
「よし、話してもいいぞ。」
「あ、うん!それでね!」
髪を洗い、体を洗う行程に入ればまたなまえが話し出す。
真木はその話に耳を傾け、僅かに微笑んでいた。
拙い話し方だが、彼女の話は面白い。
自分の知らない世界を知ることができるし、真木はこの時間を結構気に入っている。
「そしたら……あっ…!」
「…………」
「いや、真木ちゃん、くすぐった…っ……!」
足の裏を洗っているとき、なまえは必ずくすぐったがる。
これもいつものこと。
そこでいったん話が途絶えてしまうのは惜しいが、こうして悶えているなまえを見ているのもまた飽きなくて面白い。
「いや…うぁっ……!」
だから少しだけ、必要な分より長く洗っているのだが、それは本人には秘密だ。
すべて洗い終えた頃、ようやくくすぐったさが抜けたなまえがまた話し出す。
そんななまえに湯船に浸かるよう促し、真木は自分の髪を洗い出した。
その間もなまえは話し続ける。
彼女の話を聞き入りながら、真木は小さく笑った。
「なまえ。」
「ん?」
風呂から上がり、真木は髪を拭きながら机の引き出しを開けた。
呼ばれたなまえは足音を立てて駆け寄ってくる。
そんな様子に僅かに笑みをこぼしながら、真木は取り出したものを彼女に手渡した。
「何、これ?」
「開けてみればわかる。」
「開けていいの?」
「あぁ。」
教えてくれなかった彼を不思議に思い首を傾げたなまえだったが、思いがけないプレゼントに喜びを示した。
「うわぁ…」
箱の中に入っていたものは、ネックレスのように見える。
「やっとリミッターが完成してな。本当はつけさせたくないんだが…」
一般の教育機関に通うためには仕方がないのだ。
「まぁ、小さい体には負担がかかるから、そのためにつけていると思えば悪い気もしないだろう。」
喜びに目を輝かせ、話をほとんど聞いていなかったであろうなまえの頭を撫でる。
「つけてやる。少し後ろを向いてくれ。」
「ん。」
後ろを向いたなまえの手からリミッターを取り、真木はそれをつける。
首に触れる手が少しくすぐったかった。
つけ終わると、真木はなまえの肩をぽんと叩いてから彼女の正面に回る。
そして目線を合わせるため膝をついた。
「一応なまえの能力に合わせて作られているが、何があるかわからない。もし不具合があればすぐに言うんだぞ。」
「…真木ちゃんが、作ったの?」
「…………」
その質問に真木は黙ってしまう。
「真木ちゃん?」
「……少しは、九具津も手を加えている…!」
ようやく発した言葉は、彼女の質問を肯定するものだった。
面と向かって言われるのが恥ずかしいのか、素直にそうだとは言わなかったが。
それが逆に自分で作ったということを強調していた。
「ありがとう!」
「…っ……」
満面の笑みで礼を言われ、照れたのか顔を背ける真木。
だが、ちらりと目を向けたときになまえがまだ満面の笑みを浮かべていたため、彼も微かに笑った。
あの笑顔を見ると、複雑に考えているのが馬鹿らしくなってくる。
「なくすなよ。」
少しぶっきらぼうに言うと彼女は大きく頷き、そして真木の胸に飛び込んできた。
その数時間後、なまえを寝かしつけるため真木は寝室へと向かう。
「真木ちゃん、おやすみ!」
寝る前の挨拶と共に施される頬へのキス。
彼女がねだるため、真木もそれに応じて同じように頬へキスをした。
「おやすみ。」
そしてなまえが眠るまで隣で横になる。
「…………」
彼女が眠ったのを確認すると、そのまま自分も眠ってしまいたい衝動を抑えて仕事に戻るのだった。
「いいか、絶対に服の中から出すなよ。」
「わかってるよ!」
次の日の朝、真木は何度もなまえに忠告した。
リミッターは、絶対に人に見せるなと。
「もし見つかり、超度を聞かれたら…」
「わかってるってば!」
「…………」
自分の超度は2で危険はないのだと言えと注意しようとしたのを遮られた。
周りの者にバレてつらい思いをするのは彼女なのに、しつこすぎる注意に苛々したのかなまえの口調はきつくなっている。
「じゃあ…」
「うん、いってきます!」
「あ、おい…!」
最後の言葉を聞かぬまま、なまえは真木に一度抱きついてから幼稚園へと走っていった。
真木はその後ろ姿を黙って見つめる。
今までも人前で能力を使ったことがないらしいし、大丈夫だとは思うが…
「…………」
いつもよりも眉間に深く皺を刻んだ真木は、渋々ながらも踵を返しアジトへ戻った。
***
「なまえちゃん、今日もやろ!」
「うん!」
幼稚園で、なまえは同い年の子達と遊んでいた。
やんちゃな彼女たちの間で今流行しているのは鬼ごっこ。
ただ走り回るだけでなく、遊具に登ってその上で逃げたりするのが楽しいようだ。
「10数えたら追いかけるからなー!」
鬼になった男の子がそう叫ぶ。
他の子供たちも、一斉に散り散りになり逃げ出した。
なまえは楽しそうに笑いながらジャングルジムへ向かう。
そしてちょうど登りきったところで男の子が叫んだ。
「10!いくよー!」
元気よく走りだし、彼もジャングルジムへ向かう。
なまえを標的にしたようだ。
ジャングルジムの傍まで来た男の子は同じように登り、なまえを捕まえようと腕を伸ばす。
だがそれがなまえを掴むことはなく、しばらくは互いがどう動くのかを見合っていた。
鬼が少し動けば、同じ方向になまえも動き、一定の距離を保っている。
だけど、これではいつか捕まるかもしれない。
そう思ったなまえは、ジャングルジムを掴んでいた手を放し飛び降りて逃げることに決めた。
「あ!」
その考えに気づいた鬼は掴まりながら素早く移動し、慌てて手を伸ばす。
しかし彼の手はなまえを捕まえることができず、服を少し引っ張るように掠めただけ。
「あ…!」
捕まえ損ねたことに悔しがり、男の子は思わず声を出す。
だが服を引っ張られたことはなまえにとって一大事だった。
「きゃ…っ……!」
何にも掴まっていない状態の彼女は、後ろに引かれてバランスを崩す。
その一瞬の出来事に為す術もなく、そこからなまえは落ちてしまった。
ドサリ、と大きな音がする。
「え、あ…あ……」
視界から消えたなまえを探し下を見た男の子は、顔色を変えて急いで降りた。
地面に横たわり、動かないなまえ。
鬼だった男の子は事態を飲み込むことができずおろおろしている。
鬼が自分のところに来るかもしれないと彼を見ていた他の子供たちも、ジャングルジムに集まってきた。
「どうしよう…僕…なまえちゃんが……」
ますます混乱し出す男の子。
「私、先生呼んでくる!」
誰かがそう言って園内へ走っていった。
「先生!」
「あら、どうしたの?そんなに慌てて…」
「先生!なまえちゃんが!なまえちゃんが!」
泣きながらそう叫ぶ子供に、先生の顔が強張る。
「ジャングルジムから落ちちゃって動かないんだよ!!」
その一言で、彼女の顔は真っ青になった。
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